家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

台風その後

2011-07-29 07:50:34 | Weblog
台風6号が去って1週間が過ぎた。

我が家には、まだその傷跡が残り後遺症がある。

といっても大したことはないのだが。

我が家は屋上のある平らな屋根だ。

ビアーガーデンにもなるが平らな故に雨漏りには泣かされている。

建築後間もなくから雨漏りは始まった。

降水量の多い場合に漏れる場所と風を伴った場合に出る場所とは違っている。

今回は全く新しい箇所に出た。

電灯に漏れた。

朝起きてテーブルの上に水滴を見つけた。

見上げてみると電灯の笠から滴り落ちているではないか。

「こりゃ電気点けられないなぁ」とぼやく。

だが習性なのだろう、ついついスイッチに手が伸びる。

間違ってスイッチを入れてショートでもしたら大変だ。

スイッチが入らないようにガムテープで固定した。

さて雨量は増し、まだまだ止みそうもない。

電灯を見たら電球の中に黒いものが。

よくよく見ると電球の中に水が入っている。

そんな馬鹿な、と思ったがやはり水だ。

真空になっている電球ではなく中身が蛍光灯になった物だ。

中の水が増えて、まるで乳首のない乳輪が広がるようだ。

電球を取り外して逆さにして振ってみると水滴が飛ぶ。

電球から水滴を飛ばすなんてマジックみたいだ。

あれ以来外したままの電灯。

そして乾くまで放ってある電球。

春野では枯れていた赤松が倒れていた。

枯れているとはいえ大きな松だ。

たぶん地響きが起きたであろう。

平らな地面から90度倒れたのではなく勾配のきつい斜面から120度程度の倒れ方なのだ。

道路や家から、かなり上に位置しているので問題は起こさなかった。

春野町内で2箇所も避難勧告が出たほど降水量は多かったようだ。

気田川の水位も近年になく高かったことをY爺さんが伝えてくれた。

「中洲の木が1本しか見えなかった」と原地を知る者にしか分からない迫力満点の表現だった。

雨の日には屋根が欲しいし晴れている日なら屋根は要らない。


鮎を食べる

2011-07-28 07:02:58 | Weblog
東京に住んでいるモーガン仲間のU氏からメールが入った。

「春野の鮎を食べたくなった」 ということだった。

少し躊躇した。

2009年の8月29日に春野の旅館に宿泊し「鮎づくし」を食べたのが原因だ。

鮎に懲りてしまった感覚。

その後「鮎」は食べたいと思ったことがなかったし実際食べていない。

だが友人がせっかく「食べたい」と言ってきたのだから食べないわけにはいかない。

「実はね・・・・・・」

という話をすると彼も

「塩焼きが2匹とノンアルコールのビールが1本あればいい」

ということだった。

それじゃあ行こうということになった。

しかし春野では、やはり「鮎づくし」になってしまう。

支流の気田川から本流の天竜川に下ってくると鹿島の橋の少し上流に「納涼亭」という名前からして今が旬の店がある。

そのメニューを見ると、うなぎやその他の料理があり鮎もあった。

そこに決定した。

さて東京から、もう一人モーガン仲間のI氏も参加して3人で店に入った。

窓の下には神田川じゃなくって天竜川。

濁ってはいるが水量たっぷりの迫力満点。

崖に当たった本流は龍のように身をよじりながら川下に泳ぐ。

あばれ天竜の上にかけた橋の下を潜って、なおも下に下に泳いでいく。

東京からの二人は、うな重と鮎を1品ずつ。

お造りと塩焼き。

私は地元民で、うなぎは食べ慣れているからハンバーグ定食。

「ん?何か?そうハンバーグ定食」

それとこの店の名物鮎料理「天竜しぶき煮」を頼んだ。

しぶき煮なんて天竜川の早瀬のしぶきが掛かりそうなイメージがあっていいね。

川岸で汗と煙にまみれていただく鮎とは一味違った感覚だ。

窓一杯の天竜川を見ながら座り心地の良い椅子に座って涼しく静かに板さんの料理に舌鼓を打つ。

「天竜しぶき煮」は美味しかった。

鮎を昆布で巻き柔らかく煮てある。

体の栄養は摂り過ぎると差し障りがある。

しかし精神の栄養は摂り過ぎても問題ない。

ただし消化が良すぎて、すぐに空腹になってしまう。 


エキストラコールド

2011-07-26 08:14:23 | Weblog
コンサートの楽しい余韻の残っているうちに美味しい物を飲み食いすることにした。

先日語学教室の暑気払い会があり当初行く予定だった店の予約が取れず別の見せになった。

別の店も良かったが当初の店に行ってみることにした。

駅ビルの中の八丁蔵だ。

時間が早かったので座る席は残っていた。

「飲み物何に致します?」

とすぐに聞きに来たので「生ふたつ」と即答した。

メニューを見て刺身盛り合わせ、黒ハンペン唐揚げ、まぜこぜサラダを頼んだ。

乾杯してお通しをつつきながら音楽の話に興じた。

生ビールのジョッキの大半が私の胃に消えた頃次の飲み物を探した。

目の前に白いビールサーバーがあることに気がついた。

白い色が印象的だ。

触ってみたら本当に凍っていた。

氷結しているから白いのだった。

迷わず「これちょうだい」と頼んだ。

「はい。エキストラコールド注文いただきました」と大きな声が店内に響いた。

スーパードライというビールをマイナス2度に冷やしてある。

少し甘く感じるのは零下の温度になっているためだろう。

「浜松では、この店しかこれは提供できません」とコマーシャルする店員。

続いて妻も飲んだ。

新規のお客さんも「アイスビール」とか別名で同じものを注文している。

なかなか売れ行きも良いようだ。

ピカピカの刺身を食べホクホクの黒ハンペンの揚げ物をいただいていると

「あれ?何でいるの?」と声を掛けられた。

そうとう酔っ払った語学教室の先生が立っていた。

トイレから帰ってきたらしい。

コンサートの帰りだと告げた。

しばらくすると飲み終えて奥の座敷から支払いに出てきた。

再び「何でいるの?」と聞かれた。




「がまぐち」

2011-07-25 08:11:17 | Weblog
「がまぐち」はヒキガエル(ガマ)の口に似ているところから、その名前がついたらしい。

誰でも、その「がまぐち」をパチンと留めたことがあると思う。

最近「がまぐち」を使っている人を見かけない。

たぶん「がまぐち」よりファスナー(ジッパー チャック)やホックに取って代わられたのだと想像する。

ところが、その懐かしい「がまぐち」が今まだ生きていることを知ることになった。

1回目は大谷康子さんのヴァイオリンを聴いているとき。

小さなホールで、まさに彼女の体温を感じ取れるほど近くに寄って聞かせてくれた。

彼女のグァルネリの響きが豊かで暖かい唸りとして皮膚も通して感じられた。

その時向かい側の通路の女性が「パチン」とやった。

「こんな時に」

2回目は友人の父親の葬儀の時。

神式で行われた葬儀。

横笛と篳篥(ひちりき)と笙(しょう)が高貴な音(雅楽)を奏で友人達が弔辞を読んでいる、その時に「パチン」

全員が弔辞の一言一言を聞き逃さないように聴き入っていた。

亡くなった人を偲んでいる「こんな時に」

3回目は何人かの友人が舞台で歌っているとき。

浜松フロイデ合唱団がモーツアルトのレクイエムを歌った。

何度聴いても良い曲だ。

ところが、その途中で「パチン」。

「こんな時に」

思い出しても腹立たしい。

「あれ本人は慣れきっているから自分の発生させている音に気付かないんじゃないか?」

静かなときにはガマの音を放つな。



カメが水ガメに

2011-07-17 07:34:32 | Weblog
水ガメの中の睡蓮が不自然に動いた。

中には金魚しかいない。

それにしては大きく動いた。

立ち止まって様子を見ていた。

すると亀が浮き上がってきた。

浮いてきた時にジット動かずに見ていたから亀は私に気付かない。

甲羅の大きさが私の掌で掴めるかどうかという程度の大きさだ。

何亀か分からないが、とにかく水ガメから出すしかない。

「ザッ」と水の中に手を入れて甲羅を掴み「ザバッ」と掴み出した。

そのまま駐車場に置いた。

「噛まれるかもしれない」と思ったから急いで手際よくやる必要があった。

亀は、そのまま頭や手足を引っ込めている。

妻を呼びに行った。

妻は私の話を聞いて仰天した。

二人で水ガメのところに行くと亀は日陰に移動していた。

我々が近寄ると再び手足を引っ込めた。

首をソーッと出しては、すぐに引っ込める。

写真を撮ろうにも時間がかかる。

カメラを構えて静かに待った。

首に赤いものがないからミドリガメではない。

たぶん日本古来種であろうと思ったが調べてみると、やはりクサガメであった。

亀が自分で水ガメの中に入るはずはないから誰かが入れたことは確かだ。

亀に訊いても口が堅い。

実家に電話して「亀欲しい?」と聞いてみたが「要らない」と答えた。

私も飼う気はないので川に逃がすことにした。

とりあえずバケツの中に入ってもらい堤防の草むらに置いた。

狭い水ガメの中よりは広い川で自由に生きて欲しい。

川の匂う日陰に置かれた亀はしばらくの間顔を出さなかった。

翌日今度は春野に亀が現われた。

水路の中を歩いている所を捕獲した。

写真撮影をした後開放した。

竜宮城へ案内してくれるところだったのだろうか。


二月堂の脚

2011-07-16 06:44:29 | Weblog
二月堂という名前の松本民芸家具作成の座卓を持っている。

25年前に家を建て替えしてからはテーブルでの生活になり出番が減っていた。

さらに和室の畳を一枚外して掘りごたつにしてからは納戸に仕舞いっぱなしになっていた。

子供達が小さかった頃は、これを食卓にしていた。

全員正座して食卓を囲んだものだ。

結構厚めのサクラ材を使用しているため、かなり重い。

重いほうが食卓のぐらつきもなく安定している。

ただし、この二月堂の角にスネをぶつけようものなら涙が出る。

2脚をつなげて使うようにしていたため4人家族だから一人当たりの使用面積は余裕たっぷりだった。

ただ食卓上の食べ物をカイザー(犬の名前)に食べられそうになったことは何度もある。

春野でテーブル代わりにしていた厚手の板をカウンターとして外に出したため、この二月堂をテーブルにしようと思いついた。

それには脚が必要だ。

ホームセンターでヒノキの角材と丸棒を購入してきた。

角材に穴を空け丸棒を通して4本足にすれば、そのまま二月堂が乗っかる。

それらを二組作り柿渋でスペシャル塗料を作って塗った。

二月堂を、この脚の上に乗せ下からビス固定した。

二月堂テーブルの出来上がり。

塗料を塗らない無垢の木の色の中に暗い色のテーブルが入った。

「これはこれで似合うじゃないか」

とひとりごちた。

シンガーミシンの脚

2011-07-15 06:49:36 | Weblog
真っ赤に錆びたシンガーミシンの脚を見つけて1500円で購入したのが今年の4月のことだ。

あれからコツコツと錆取りをしていた。

当初手でやっていたが埒が明かないため電ドルの先端にワイヤーブラシを付けて作業した。

錆取りを終えたら塗装して仕上げるつもりだった。

ネットで鋳物製品の塗装について調べていると「錆転換剤」というものを見つけた。

これは錆の上から塗布することによって、その錆の進行を止め、さらに幕を作るため今後は鯖ないという正に私の作業には打ってつけの品物だった。

再び手作業に戻し大まかな錆落としのみしたあと、この「錆封じ」という錆転換剤を塗ってみた。

ニスのようなニオイを放つ液体がミシンの脚に染み渡っていく。

小分けした全く少ない量で、ほぼ全体を塗り終えた。

錆びていた金属が光沢を放つ本来の美しさを取り戻した。

「これなら塗装しないほうが金属らしい」と思うようになった。

全体を黒色に塗り金色でエンブレムの部分を浮き出させてレストアしようと考えていたが止めた。

そのままの方が鋳物らしさにあふれている。

鋳物のゴツゴツ感を塗料で見えなくしてしまうのは惜しい。

次は天板を選んだ。

置き場所と使用目的によって違う。

妻は、そのままミシン台として使うというしタンスの横に置きたいというので、その大きさが決まった。

さて色は別の塗装目的物があるので、それと合わせることにした。

黒に近いこげ茶色。

柿渋に専用塗料を混ぜて作った。

臭いがたまらないが一定期間が過ぎれば落ち着く。

ミシンの脚に天板を留めれば完成だ。

古民家風洋間の我が家には合っている。

金色に塗らなくて正解だった気がしている。



細葉のネコ

2011-07-14 06:56:04 | Weblog
3月末から語学教室に30分間歩いて通っている。

6時15分過ぎに出るとちょうど間に合う。

当初は暗かった道も今は昼間のように明るい。

通い始めて何回か過ぎたある日「ニャーオ」という声が聞こえた。

ネコに違いないその鳴き声。

私を呼んだ。

しかしあたりに猫の姿はない。

もう一度鳴いたので、その声の発信源を特定できた。

なんと細葉(槙の木)の中からだった。

細葉の下から中を覗き見る。

「居た」

地上2メートルくらいの位置にトラネコが座っている。

ここは外からは見えず内側からは見晴らしも良く涼しくて暖かい恰好のアジトなのだろう。

私を呼んでくれたのは私がネコ好きなのを察知していたからかもしれない。

「教えてくれてありがと」と言って、そっとその場を離れた。

後日妻に、そのことを教え「ここだよ。この木に居たのだよ」と言って中を覗くと、やはり居た。

当初は鳥か何かを追いかけて登り、そこに偶然私が通りかかったのだと思っていた。

しかし、そこが気に入って登ってくるのだと分かった。

それからは毎回(週に1回)通る度に覗くことにしている。

ほとんどは居る。

たまに居ないと少し寂しい。

車はもちろん自転車で走っていても気付かない。

歩いていて良かったなと思うのである。

今日は記念写真を撮らせてもらった。

葉っぱの隙間にかろうじて可愛い眼が写った。

自宅を出るときに「行ってくるね」と言う。

もう一度このネコにも同じことを言った。


サンショウのビリビリ感

2011-07-13 07:53:27 | Weblog
妻が道の駅でサンショウの実を一袋買った。

「これでイワシを煮るから」と言った。

「サンショウなら我が家の山にもあるよ」と教えた。

我が家の山に自生している山椒にも少しの実がなっていた。

トゲに気を付けて取り買ってきた袋の中に混ぜた。

後日イワシの煮つけを食べた。

言われたとおりサンショウが入っていた。

醤油で煮たイワシにひと味加わったサンショウ。

サンショウと一緒にイワシを食べるとピリッとして美味しい。

パクパク食べているうちに何となく、しびれるような感覚に気付いた。

サンショウの粒だけ3 4粒口に含み前歯で噛んでみた。

ガリガリとした食感だが固すぎる感覚はない。

舌先と前歯の周りの唇の裏側がビリビリとしびれてきた。

「これって何だろう?毒?麻酔?」

「サンショウは小粒でピリリと辛い」と言われることがあった。

子供の頃から体の小さかった私が授業中に良い答えをしたり駆けっこで早かったりすると先生が誉めてくれたのだ。

小さいなりにも存在感を現していると感じて、そう言ったのだろう。

サンショウの木は身体中にトゲが生えている。

トゲは「私に触らないで」と訴える気持ちの表れ。

たぶん鹿のような動物に自分の表皮を食べられないようにするためなのだろう。

我が家にある大きなサンショウの木の表面のトゲは私が削り取っておいた。

ふと掴んだ拍子にトゲが刺さることを予防するためだ。

老木になりつつある私。

私自身のトゲも自分で削り落とし他人が触っても大丈夫にしておかなくてはいけないと思った。



モリアオガエル今年の成果

2011-07-12 14:08:05 | Weblog
モリアオガエルの今年の成果は「スバラシイ」。

多くのオタマジャクシが我が家の大鉄鍋の中でひしめく。

よくぞあの危なっかしい場所の卵から鉄鍋に正確に落下したものだ。

妻と妻の友人が網ですくって別の容器に移した。

成長の早いものは既に後ろ足が生えてきている。

これらが全てカエルとなり我が家の庭をピョンピョン飛び跳ねている様は、はっきり言って見たくない。

「ひょっとして、それらを当てにしてビーヘが大挙してやってくる?」

「ひゃー」

やはり見たくない。

もうどこかに逃がしたほうがいいのじゃないかと思う。

ヤフーオークションにも商品として出されているから金銭に換えることも可能らしい。

だが私は、その気はない。

どうしたものか子沢山。