家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

93歳現役医師

2010-05-31 06:45:54 | Weblog
社会人大学の講師は93歳現役医師だった。

93歳の高齢者というと何不自由なく生活できるだけでも「すごい」と思う。

だが司会者が「トイレに行きたくなると困るから朝も昼も何も食べていないそうです。水も飲んでいない」と紹介して、まず仰天させられた。

さすがに車椅子での登場だったが話し始めれば全く普通の老人に見える。

朝昼食べないで過ごしたことなど、ほとんど皆無に等しい私の想像をはるかに超えた人間であるらしいことは、すぐに分かる。

常々考えていることや行動が常人でないことは今の医師としての生活をうかがっただけで分かった。

それが軍医であった時代であれば、もっと極端な形で表れたに違いない。

そんな人物が強運であろうことは察しが着くというものだ。

「よせ!死にたいのか」と言われるのを無視して無理やり激戦地に赴いた。

ところが生き残れるはずの、引きとめた部隊は全滅し自分たちは生き残った。

この勢いの源は、いったい何だろうと疑問に思った。

食べ物不足はイコールで体力を奪い、やがて気力も奪っていく。

食料がないのは皆同じで動く物は何でも食べたという。

だが彼の力の源が食べ物ではないことは感じ取った。

だいたい今日だって何も喰っていないというのだから。

そんな薬も注射器も無い食べるものにも事欠くさなかに医師としてけが人や病人を見なくてはいけない。

その使命感か?

逆境が何かを奮い立たせるといっても今は平和な世の中だ。

父親も医師だったというから子供の頃の病苦や貧困とは考えにくい。

「人間は耐えることに終始することが大切である。どんなに落ち込んでも、また浮かぶときが来る。新しい道が開けてくる」と言った。

この究極の前向き志向が良い方向に導くことは分かる。

だが一般人の私にとって、やはり人並み外れた怪物にしか出来ないことだろうと思ってしまうのである。

「身体を動かして健康に。100歳になったらまた会いましょう」と事も無げに言って歩いて出て行った。

ポツンと残された車椅子。

最後まであっけに取られた講演であった。


ブロック2個の重さ

2010-05-30 08:39:07 | Weblog
道路下にある東屋の横に余ったブロックがある。

そのブロックを宅地内で使いたい。

片方が邪魔で、もう片方が受け入れたい。

これはもう、このブロックを運ぶしかない。

ところが道路下に30メートルほど急坂を下ったところにあるのだ。

これをどのように運べば効率が良いかを考えた。

良い手は思い浮かばない。

とにかく地道に運ぶしかないと決心した。

1度目はリュックサックを利用した。

ブロック1個をリュックサックに詰めて背負う。

空いた両手に、もう1個のブロックを持って坂を上がった。

前に1個持ち後に1個背負う格好だ。

「なんだ。いけるじゃん」

この誤解は15メートル上がった地点で既に解けていた。

だがやり初めというのは頑張りすぎるものらしい。

一気に上まで上がりきってしまった。

ヘトヘトとは、このことだ。

筋肉が疲労を訴えて精神がそれに答えを出した。

「やめー」

もう次を運ぶ気力を喪失させてしまったということだ。

後日キャリーカートを持参した。

ブロックが2個縦に繋がっているものがある。

これから運んでみることにした。

2個はモルタルでしっかり接続されている。

それをキャリーカートに乗せた。

落ちないようにベルトで固定した。

舗装道路で力を発揮するように作られているキャリーカート。

草の生えた土の急坂を登るのには適していない。

だがリュックサックよりは、ましな気がした。

小さな車輪は、時には有効であり時には無意味というより邪魔だった。

やはり途中で一休みしないと上がれなかった。

最後に1個1個のブロックを2個横向きに重ねて積んで運んだ。

これは重心が低くて安定していた。

だが重さは、まぎれもなく2個分だ。

間違っても「運び易かった」とは言えない。

とりあえず邪魔物は片付き物置の基礎となって利用されることになった。

初めから新しい物を購入したほうが楽なことは分かっていた。

だが何故か気持ちとしてスッキリしている。



エゴノキとヤマボウシ

2010-05-28 06:42:21 | Weblog
エゴノキの白い小さな花が満開だ。

枝には鈴状の連なった花が皆で下を見ているようだ。

見上げると花の白と葉の緑、そして垣間見える空の青が清清しく感じる。

まだ色が褪せぬうちから落下するので地面一体も白く花が咲いたようになっている。

「ブーン」と大きな羽音を立ててミツバチの体の5倍はあろうかというマルハナバチが飛び回る。

下を向いて咲く花に頭を差し込んでは蜜を集める。

マルハナバチの姿は、まさに「没頭」という言葉が適当であろう。

花弁から、はみ出た大きなお尻が、なんとも無防備に見える。

さすがに小さな花に蜜は少ないらしく次から次へと飛び移る必要があるようだ。

その忙しそうな姿を見て今度は「書き入れ時」という言葉が浮かんだ。

写真を撮っていると白い鈴が一つポトリと私の肩に落ちてきた。

隣にヤマボウシの木がある。

こちらも花盛りだ。

こちらはエゴノキとは何とも対照的に花は皆上を向いて咲く。

全員が今度は空を見ている。

花弁は大きくて白い。

今この木に蜂はいない。

この先大きな実がなり赤く色付くと、その実を食べにいろいろな蜂や昆虫がやってくる。

自然は美しく誘惑する。

誘われて旬を知ることになる。


筧の水の出方

2010-05-27 06:44:51 | Weblog
春野に到着すると筧からの水の出方が悪い。

まるで糸のように細い水が出ているだけだ。

取水装置を替えてから初めての点検をすることになった。

取水装置が外れてしまっていれば水は出ないはずなので、どこかに詰まりがあるのだろう。

一応10ミリのスパナを2本持って見に行った。

取水装置は完璧にダムを作り雄雄しく水圧に耐えていた。

取水装置を乗り越えて透明な水が通る。

ダムの前には一定の厚さの水溜りが出来ている。

ダムの後は浅い流れになっている。

取水はOKだ。

取水装置に絡まる葉っぱを外して捨てた。

次は順番にホースを外しては水の通りを確認して次に移る。

最後のホースは急に上に上がるので、この箇所での詰まりが一番多い。

ホースを外して水の出方を見る。

初めは残っていた水が出るので勢いは比較的強い。

だが出きってしまうと、今度は水が出てこなくなる。

しばらく様子を見ることになる。

「ポコポコ」という軽い音がして少しずつ水が出てきた。

泥っぽい色の水が出た後は連続して出始めた。

これで筧にホースを繋いで終了。

筧は勢いよく石臼に水を落とす。



長持修理

2010-05-25 07:55:47 | Weblog
「長持」の修理をした。

買ってから壊れたのではなく壊れていた物を買った。

壊れていたから安価に入手できた。

その部分以外の程度は良い。

壊れている部分を直せばよいし、その過程も楽しい。

「長持」のアーチ型の天板の上に重いものでも置いたのだろうか。

一部が割れて外れ、その板もない。

100円ショップに行き2ミリの厚さの板を買ってきた。

これを切ったり薄くなるように削ったりして天板に貼り付けた。

木工用ボンドを塗って外れてこないように爪楊枝を挿しておいた。

それが固まったら天板から出すぎた部分をカッターで切り取る。

そして木工用パテで空いた部分を埋めた。

これで割れはなくなった。

だがパテはベージュ色をしているので赤っぽい色には目立ってしまう。

しかし完全に乾くまでは仕方がない。

気をつけてパテの表面を削り天板の高さを一定に揃えた。

着色してみると修理部分は目立たなくなってきた。

だが艶のある部分の中につや消しがあるので一目で分かる。

つや消しの部分にニスを塗ってみた。

いくぶん艶が出て、さらに目立たなくなった。

「よし、ここまで」

と終了宣言をした。

今「長持」の上は妻の物で一杯になっている。

「これなら直さなくても見えない」と冗談が言えるようになった。



ノラ猫の侵入

2010-05-24 09:28:26 | Weblog
妻がケヤキの下で手招きする。

声や音を立てるなという合図。

抜き足差し足で進み隣に佇んで前を見る。

何も見えない。

「何?」

「しーっ、猫が来るの」

確かに猫がやってきた。

我々は音を立てずに樹木に成りすまして見ていた。

目が合っても「知らん顔」していた。

猫は動かないで居ると気が付かないようだ。

カメラのスイッチをオンにして構える。

幸い操作音は聞こえてないようだ。

車の置いてある所まで坂を登り一息つく。

安全と見るやさらに近づく。

フェンスが内と外を隔てている構築物だと理解しているように、そこで充分に時間をかける。

サラブライトマンの歌声が聞こえている中の様子を何気なく探りつつ足の毛を舐めたり落ちている物の臭いを嗅いだりする。

まるで「落ち着け」と自分に言い聞かせているようにも見えるし本当に余裕が有るようにも見える。

とうとう敷地内に浸入した。

だが家には近づかない。

石垣に登ってさらに家の様子をうかがう。

妻も私も張り込みしている刑事(デカ)のようだ。

また未遂を通り越して既遂に至るまで泳がされる犯人を見ているようだった。

私に少し罪悪感が芽生えた。

何度かの躊躇の時に声をかければ退散したであろうものを敷地内にまで浸入させてしまっているから。

カメラをビデオモードにして撮っていた。

私の靴音が「ミシッ」とした瞬間凍りついた現行犯の顔。

妻が「おいで」とやさしく声を掛けたが恐怖のあまり逃げることしか頭に無いようだ。

急いで斜面を登りミカンの木の根元で、こちらをうかがう。

敷地に入って何かを物色したいという後ろめたい気持ちよりも今まで見られていたという自己の注意の甘さが恐怖を増大させているようだった。

「大丈夫だよー。おいでー」という妻の気遣いの言葉は、まるで魔女の誘い言葉。

我々が追わないとみるや一目散に来た道を走って戻っていった。

取水開始

2010-05-23 08:44:33 | Weblog
Y爺さんが棚田に田植えをする季節になった。

水路には沢の堰で分離され引きこまれた新鮮な清流が流され始めた。

これを待っていた。

取水装置を新しく作っておいた。

今までは木板をU字溝の形に切り整え穴を空けてホースを取り付けていた。

だが少々古くなったので作り替えた。

少し厚手の板にしてみたが木製は寿命が短い。

ホームセンターで恰好の素材を見つけた。

ポリエチレン製のまな板だ。

これにステンレスビスをつけてU字溝の壁を押し付けて固定する。

木製は水分の吸収によって膨張する性質を利用して固定できたがポリエチレンは、そうはい
かない。

すでに勢いよく流れる溝の中に取水装置を入れる。

みるみる水が溜まり始める。

暑さ1センチのまな板が水流に圧されて少し弧を描く。

ロックナットがなかなか決まらず何回かやり直した。

「よしOK。取水は完璧」

3箇所に分けて繋いだホースのジョイントを外して水を待つ。

「コポコポ」という音と共に水が出てきた。

泥の混じった水の後から「ゲボゲボッ」という音をさせて不連続に水が出てきた。

空気を含んだ水は、まるで咳き込むかのようだ。

出てくる水が一定の速さと量で流れ始めると、そこを繋いで次のジョイントに向かう。

最後のジョイントを確認して筧に繋いだ。

「出た」

石臼の中の汚れた水を手で掻き出して透明な清水を入れた。

水の冷たさが心地よかった。

夏の始まりだ。



シャッター塗装

2010-05-22 07:39:57 | Weblog
車庫のシャッターを塗装した。

ネットで調べるとシャッターにペンキを厚く塗ると、そのまま固着してシャッターが上がらなくなってしまうと書かれていた。

確かにペンキは接着剤の役割も果たす。

ガンでペンキを薄く吹き付けるのが良いらしい。

マスキングを済ましてガンで吹き付けを始めた。

どうも出が良くない。

塗料を薄くしてみたがダメだ。

自転車で通りかかった知り合いがジーッと見ていたことに気が付いて驚き脚立から落ちそうになった。

別の知人が入れ替わりにやってきた。

出の悪いガンを見て

「目詰まりしているなら細い針金を差し込んできれいにしなくちゃダメだ。あれ?エアー漏れしてないけ?」と言う。

ガンの下あたりのホースの2箇所に亀裂が入っていた。

ホースを切り詰めて接続し直すも相変わらず出が悪い。

ガンはあきらめてローラーで塗ることにした。

脚立に登ろうとしたら何かを踏んづけた。

何も置いてないはず。

こんなときに限ってスニーカーの底が割れて、その一部分を踏んだ。

構わず続けた。

ペンキは固まる前に塗らなくてはいけない。

表面を塗り終えてみるとシャッターの溝の赤い錆止め色との虎模様になった。

今度は溝を塗る。

「厚く塗らないように」と心がけた。

しかし手加減すると錆止めの赤い色が消えない。

近所の主婦が何人も通って誉めたり冷やかしたりする。

全て終わって恐々シャッターを開けてみると、すんなり上がった。

モーガンを仕舞って終了した。

すこし暗い感じになったが艶があって気に入った。

春野の屋根を塗った塗料の残りだから仕方ない。

1斗缶には、まだ充分残っている。

坐骨神経痛と相談して、また別の所を塗るに違いない。



小雨の作業

2010-05-20 09:14:44 | Weblog
私にしては珍しく雨を待っていた。

大降りの雨ではなく傘を差さなくてはいけない程度の。

小雨の日にやりたいことがあったのだ。

高圧洗浄機による作業だ。

晴れの日にやると音が大きいし汚れた水が飛び散る。

住宅地での作業は気を使う。

傘を差して通る御夫人が

「雨なのに精が出ますね」と励ましてくれた。

錆止めを塗っただけで何年も放ってあった車庫のシャッターを洗浄した。

雨が上がったらペンキを塗ろうと思っている。

シャッターは簡単にきれいになっていく。

中にモーガンが入っているが、入れたままやった。

「モーガンにかかったとしても水だ」

裏から車庫に入ってみたが水の浸入はなかった。

シャッターを終了して妻担当の水瓶の洗浄をした。

口を「ムッ」と閉じて目を細めて作業した。

こびり付いていた藻のような物が、あっさり下に落ちた。

イロイロな物の集積を物語る腐臭がする。

汚い水が跳ね上がって顔に付いた。

臭い付きの泥水だ。

瓶の内壁に掛けた水が底に溜まり始めたので仕方がない。

周りに付いた泥水は雨が洗い流してくれる。

こんな日ならではの作業だ。

雨には水道料金がかからない。


町内奉仕作業

2010-05-17 08:43:12 | Weblog
我が家は今年1年間町内の組長が回ってきた。

妻は、さらに婦人部の部長に選ばれてしまった。

午前中の奉仕作業がふたつ重なってしまった。

妻は町のゴミ拾いに参加し神社の清掃を私が担当した。

私は参加する3組の中でも、まとめ役になった。

少し早めに神社に行き道具の入った物置の鍵を開けなくてはいけない。

神社に到着すると既に3人の神社関係者が境内の枯葉を掃き集めていた。

私が代表である事を告げて段取りを決めた。

「私が参加者を集合させますから挨拶をして、その後作業の内容説明と配置をお願いします」

了解したはずの神社関係者はバラバラと集まってくる人たちを入り口で捕まえては作業を言いつける。

何も知らない主婦たちは従うしかない。

「話が違うじゃん」

次々と集まる人たちは何をしてよいのやら分からない。

私も、どこをどうすればよいのか聞いていない。

一所懸命作業する人たちと途方に暮れる人たちに分かれる。

神社関係者は、それぞれに清掃の箇所を思いつく。

だが指図するのは苦手らしい。

私が大きな声で指図することで神社関係者と参加者と私の役割が決まっていった。

妻の声かけが功を奏して、わが組は11名中10名が参加。

他の組も比較的多くの参加者があり作業は短時間で終了した。

1人で道具を片付け始めた神社関係者。

「はーい。皆さん。道具を片付けしますから持ってきてくださーい」と私。

出欠をとって解散。

「今日は早かった」と神社関係者。

満面の笑みだ。

全体が効率よく行動するために、うまく指図すればいいのだが自分が動いてしまうから収拾がつかない状態におちいることを知らない。

彼らは毎週神社の奉仕作業に参加しているという。

毎週これでは疲れるのも無理は無い。

だがまとまりの悪い組もあって、だから経験上自分で動いてしまうのかもしれない。

何年かに一度しか回ってこない奉仕作業。

同じ町内とはいえ知った顔ばかりではない参加者一同。

「神社関係者が、もう少し効率よくやれないかな」と期待するが。