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家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

落ち葉焚き

2007-12-29 09:40:01 | Weblog
落ち葉焚きをした。

メラメラと燃え上がる炎が美しい。

立ち込める匂いが遊び中枢を刺激する。

風がなく炎と煙がまっ縦に上昇していく。

落ち葉が終わったら枝打ちして落としておいたコナラを燃した。

静かに強い炎が上がった。

裏山に3回枯れ枝を取りに行った。

「お爺さんは山へ柴刈りに」を思い出した。

炉に真っ白い灰が残り庭は驚くほどきれいになった。

3連続忘年会

2007-12-25 11:17:32 | Weblog
22日

友人と我が家で忘年会。

3人とも同級生。

話が合うだけでなく食べ物も合う。

23日

友人の坊さんのところで豪華な忘年会。

ホタテ食べて波瀬正吉を飲んだ。

24日

母姉を呼んで再び我が家で忘年会。

昼食から夕食まで語りあった。

少し胃が荒れた感じはするが、いたって元気。


皆さんに心を暖めてもらった。

縁を切る

2007-12-22 08:50:48 | Weblog
壊れた温水器からガス給湯器に繋がっていたパイプを外し水道から直接ガス給湯器に水を送るように配管し直してもらった。

「縁を切ってもいいだね?」

友人の配管屋に念を押された。

「たのむね」と答えたが、この使われた「縁」という言葉にちょっと驚いた。

人と人の別れを瞬時に連想したのかもしれない。

「縁を切る」という言葉の重さは、ただ「繫ぎ換える」とか「切り替える」という言葉よりもズシンと来るものがある。

仏教用語らしいが、それが私の身体に染み込んでいる言葉とみえて生理的に嫌な感じを受けた。


縁を切って新しい組み合わせとなったガス給湯器からは以前よりも、たくさんの湯が出るようになった。


温水器が壊れた

2007-12-20 09:30:30 | Weblog
20年以上使い続けてきた温水器が、とうとう壊れた。

屋上に置いていた温水器。

太陽熱とコンプレッサーの熱を利用して湯を作るというエコタイプのもの。

冬でも夜でも集熱して使いたいときには、いつでも湯が出てきた。

修理したり塗装したりして使ってきた。

今湯を使うときには予備熱源用ガス給湯器が作動する。

今までガス給湯器が作動することは、ほとんど無かった。

蛇口をひねると「ボッ」と毎回着火するガス。

湯 = ガス = 金

「湯は金だ!」 あらためて感じている今日この頃である。

灯油ストーブで湧いた湯を湯たんぽに入れて使用し始めた。


苦労している木

2007-12-18 10:21:47 | Weblog
切り倒した木の年輪を数えた。

木の直径は15センチしかないのに40年以上経過していた。

「うーん。こりゃあ苦労しているな」とK爺さん。

周りとの関係でなかなか大きくなれなかったらしいこの木。

年輪から見て初めの20年よりも後半の20年に苦労しているようだ。

苦労している木は材料にすると丈夫で腐りにくいらしい。

適材適所

それぞれの特徴に合った使い道というものがある。

悲観もうぬぼれも不要なのだね。

木を切り倒す

2007-12-17 09:32:19 | Weblog
自分の所有する山の木を切った。

といっても今回も、やはりY爺さんの手伝いをしただけだが。

前日Y爺さんに藤棚の造り替えをしたいと言うと

「それなら山から木を切り出せばいい」と言い、どんどん山に入って行って打ってつけの木を見つけてくれた。

9時半に待ち合わせをしたので9時に行くと既にY爺さんは作業を開始していた。

下草を払い倒す木が不味い方向に向かわないようにロープで留めてあった。

さらに倒す前に手の届く範囲の樹皮を剥いていた。

私は安全な場所でうまく倒れるところを観察していただけ。

メリメリ バッキーン ズズーン と倒れた。

私達は樹皮を剥いた。

Y爺さんはカマのような形をした皮むきを使っていた。

私はホームセンターで購入したジャガイモの皮剥き器(ピーラー)の大型のもので参加した。

皮を剥いていると水しぶきのようなものが顔にかかる。

それは、木が吸い上げている水であった。

杉の皮は面白いように剥ける。

ガサガサだった杉の肌はツルツルの美しい白木の肌になった。

使う部分の皮を剥いて次の木に移る。

枝や葉は着けたままにしておいたほうが木の乾きが良いという。

Y爺さんは急斜面を真っ直ぐに「ヨイセッ」と言って登り、そのまま横に歩く。

私は回りながら登りズルズル落ちながら横に移動する。

腰に着けたケンタイと呼ぶオノとノコギリだけで次々と木を倒していく。

オノは思い切り打ち下ろすが正確だ。

ノコギリは音を聞きながら留めてサッと身をかわして倒木の危険から身を守る。

学びきれないほどの動きだ。

来年3月にこの木々を山から下ろすときにも手伝ってくれると言って帰って行った。

またまた、あっけにとられた半日であった。


定期は喜び

2007-12-15 09:30:39 | Weblog
母と母の兄夫婦を乗せて母の妹のところに見舞いに行った。

母の兄弟で生き残っているのは、これだけ。

妹の夫も母の夫も、もう亡くなった。

「あんまり長く生きたくない」という話題も出てくる。

だが暗くはない。

話題がそんなものであるだけで暗そうな話を楽しそうに話しているのだ。

皆の笑顔が本当に活き活きしている。

「この訪問を定期にするから」と私が提案すると全員喜んだ。

定期であるということで尚一層嬉しさが増す。

定期という希望。定期という安心感。

同時に私の存在価値も生まれた。

椎の木伐採その2

2007-12-13 09:15:01 | Weblog
8月に友人宅の椎の木を伐採したが、再びもう1本切って欲しいと頼まれた。

道具を持ち、いつものように衣装を決めて赴いた。

いざハシゴを昇り始めたら急に怖気付いた。

空中戦は友人に任せて私は地上勤務にした。

横に張り出していた枝を落として本体に切れ目を入れ、あとはロープを引けば倒れる。

その写真がこれだ。

その後バリバリバッキーンと見事に想定した場所に倒れたのだ。

その様子をビデオに収めたのだが見せられなくて残念だ。

8月よりはチェーンソー捌きが良くなったが高所は、より駄目になった。

鉈(ナタ)の扱いも慣れたのだが今日は時間切れであった。

キコリな一日だった。

満足。

誰が?

2007-12-08 09:29:54 | Weblog
モミジの木にヒモを丸めて置いておいた。

誰かが、そのヒモを引っ張って走ったらしい。

そのヒモが途中で引っ張れなくなると戻っていって一部分を食いちぎった。


先日再び石鹸を盗られた。

石鹸を入れておいた網が落ちていた(勿論石鹸は無くなっていた)その先に、このヒモ事件が起きていた。

犯人は石鹸を食べヒモで遊んだと見られる。

カラスなどの鳥類にはできない。

遊び好きの小動物。

誰?  


にわか庭師

2007-12-06 09:56:10 | Weblog
庭師の親方と弟子。

ではなく何かと世話になっている近所の爺さんと私。

庭の模様替えを手伝ってもらった。

というより爺さんを私が手伝った形。

「腰の入れ方が違うョ」と妻が私と爺さんを見比べて言う。

このあと山の上の境界を案内してもらった。

我が家の敷地を売主でもない爺さんに教わるというのも珍しい状況だ。

その昔この土地は爺さんの本家の持ち物で、その時分には面倒を見ていた関係で熟知している。

急坂をスイスイ上っていく70歳。

遅れ気味の54歳。

私は足元に気をつけて歩くが爺さんは全く気にしていない。

だが私とは違い、グラリともしない。

私は見ていた。

土と葉っぱがあれば爺さんは必ず見えている土の上を歩く。

山では常に五感がフル稼働しているのだろう。

私(都会人は皆)の五感など役には立たない。

これから16年で爺さんのように成れるだろうか?