家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

前立腺ガンは無かった

2024-08-31 08:40:26 | Weblog

今年初めの前立腺炎が発端だった。

炎症は抗生剤で収まったのだがPSAという前立腺ガンの指標となる数値が高かった。

前立腺炎でも上がる数字なのだから炎症のある時には当然高い。

炎症が収まってしばらくしてから測ってみると3月の段階で8.6であった。

年齢別PSA基準値(正常値)というものが出ている。

それによると、60~69歳で4.5ng/ml以下 70~79歳で6.5ng/ml以下

ということだ。

8.6は71歳の私には高い値だ。

医師の説明では炎症が収まってもPSAはス~っと落ちるわけではなく徐々に落ちていくのです、と言う。

次のPSA検査は5月であった。

数値は4.5だった。

「良し。これで大丈夫だ」と勝手に思い込んだが医師はまだ納得しない。

次のPSA検査は8月30日であった。

名前を呼ばれて医師の前に座る。

医師は検査報告書を見せる。

数値は前回と同じような4.239であった。

すっきり4未満に落ちてくれればいいのにと思ったし、そう言った。

だが医師はこれで納得したようで少し素っ気なく感じるほどに説明を始めた。

「あなたの正常値は、この辺りかもしれませんね。あとは適当な時期にPSA検査をしてくださいね。と言った。

この数字の解釈はプロでないと分からないなぁと感じた。

検査を受ける時に、この病院での検針票の質問欄に排尿後に残尿感がありますか?

排尿の始めにいきむことがありますか?

など10項目がある。

ほとんど全て ない と答えたのだが、床に就いてから朝までの排尿回数は何回ですか?という質問に答えは 0回 なのだが、どういうわけだか 5回以上 という所に丸を付けてしまってあった。

それでも検査でちゃんと証明されたから良かった。

元々の前立腺炎の原因として考えられるのは春野での作業の時のことだ。

地下足袋をはいて外で作業しているので家に戻り地下足袋を脱いで入って用を足すということが面倒で、そのままいわゆる立ちションをすることが多い。

しかも冬場は回数が多く仕事用の手袋すら外さずにすることも多い。

だからじゃないかなと思う、10年前も。


作業台のハンドル

2024-08-25 16:54:11 | Weblog

作業台を安価に購入してからしばらくになる。

たまに行く中古品や新品の安売り品の店でのことだ。

これは良いと思って「これいくら?」と聞くと、たしか1000円未満だったと思う。

迷わず購入すると店員のブラジル人が「今並べたばかりだから得したよ」と言った。

自宅に持ち帰り、いざ使ってみたら作業台をスライドさせるためのハンドルが無かった。

片方は、ハンドルの通る丸い部分までも壊れていた。

「まあそんなに細かく動かして使うわけではないからいいか」という感じで使っていた。

コーキング材の先端のキャップ部分をハンドル代わりにして利用していた時もあった。

するとやはり接着がはがれて使えなくなった。

最近また作業台を使う機会が増えた。

これを機に直そうと思い立った。

旋盤用の回転ハンドルを購入した。

3個入って¥1260だった。

さてどのように使うか、と考えた。

アルミ板を利用することにした。

アルミ板を切って穴を空けて先端を少し曲げて接着して使う。

これが暑い日には車庫に入れないため夕方になってから作業を始める。

少しずつ進めてとうとう完成した。

取っ手がちゃんと回転して作業台がスムーズに動くなんて、こんな便利なことはない。

左右のハンドルが同時に動いてキッチリ挟む。

なんと便利なのだ。

見場はやはりイマイチなのは仕方がない。

でもちゃんと利用できるようになると今までの作業が楽しく思えてくる。

 


妻が発熱した

2024-08-23 10:09:43 | Weblog

妻が発熱した。

孫とその家族が戻って5日目からだ。

特にここが具合悪いということはない。

それから1週間経っても良くならないので病院に行った。

発熱という体温計を使えば誰でも分かること以外は分からない。

病院では問診以外に尿検査 血液検査 レントゲン撮影をした。

尿検査は異常なしで血液検査の結果は時間がかかる。

とりあえず抗生剤を処方されて飲んでいる。

孫が来ることになって急遽購入した折り畳み式ベッドがまだ居間に広げて在り今となると片付けなくてよかった。

私は自分の生活のペースを取り戻し楽しく過ごしている。

しかし歩くのを控えているため毎日1時間半取ってあった行動が無くなったため少し暇になった。

とは言っても、こう暑くては余った時間は避暑に当てるしかない。

その中でも妻の作業靴を直し昨日引き渡した。

この靴は地震に備えて購入したもので新品を袋に入れてベッド脇に保管していたものだ。

妻が出して履いてみると底と上の部分がきれいに剥がれてしまったのだ。

全く使用していなかったので新品そのものだ。

ただ上と底を接着するだけなので私が修理することにした。

今は部屋の中で室内用の靴を着用しているし作業にだけ使用するので見かけが少し悪くなる程度で使用には問題ない。

私のやると決めた水泳も始めた。

100mは泳げるようになったし25mで息苦しくなっていたのが50mずつ泳ぐことになったから倍くらい進化したと思う。

1時間は水の中に居ることにして、いろいろ自分の欠点を直していくことが楽しい。

妻は「良くなったら、どこか涼しい所に行きたい」と言うが「涼しい所は遠いよ」と言って行く場所を選定中だ。

孫の家族は元通りの生活に戻ったようだ。

 


来て嬉しい、帰って嬉しい

2024-08-07 11:00:46 | Weblog

昔から「孫は、来て嬉しい、帰って嬉しい」という。

事実今それを味わっている。

今回は一人だけで新幹線でやって来たから初めから驚きだった。

小学校2年生が一人で新横浜から浜松まで来られるのだから良い国なのだ。

さて、いざ来てみると猛暑で昼間やれることが少ない。

弁天島に海水浴に二度行った。

二度目は干潮になる数十分前だったから海水浴場の面積が極端に少なく、そしてとてつもなく浅い。

少年にはどちらも関係なく、水遊びには問題はなかった。

水が楽しくて全く恐れていず体に妙な力が入らないから手を伸ばして水に浮かばせてみたら、かかとまで浮いていた。

そのまま手で水をかき息が出来れば水泳だ。

クラゲがウヨウヨ海の中を漂っていて体を刺されるのではないかと心配した。

大きなヤドカリがいて、それでも30分程度遊んだ。

プールとは違う遊び方をさせたかったのだが、それは成功したと言ってよさそうだ。

自転車は遊ぶには遊んだが如何せん気温が高すぎて、どこかに行ってきたということはない。

メイトという原付に乗せて走った時には「今日は風が強くて横に振られるな」と感じたのだがミラーに映った孫は目を閉じていた。

居眠りをしていたのだ。

国道を少しその状態で走ったのだが私の後ろからくる車が付いてこない。

私の後ろに乗る子供がグラグラしていてひょっとして落ちたら自分が引いてしまうと思ったのかもしれない。

8日間3人で過ごし9日目に両親と弟が合流した。

11日間を一緒に過ごしたが昨日家族で帰っていった。

帰る前に母親から聞いて分かったことがある。

新幹線が停電で少し遅れが出た時のことだ。

母親は、どこかのサイトを見て知ったのではなく車内放送を聴いた孫が母親にメールで知らせたから、そのあと我々に連絡が来たというからくりだった。

通っている塾の勉強もタブレットで行うからWi-Fiの事もよく知っているしタブレット操作も大人顔負けだった。

一家が合流して弟がTVでこれを見たいと言ってぐずった時に父親は怒らずにTVというのは見たい番組が見られるものじゃないんだよと根気よく教える。

だがそれでも「いやだ。見たい」というのが小さな子なのだ。

そうしたら母親の出番が来た。

やさしく、しかし毅然と説いて聞かせTVではなくタブレットを見ることを承知したら今度は「切り替えができておりこうだったね」と褒める。

私の時には、もっと感情的になっていたし今の子育ても良いもんだなぁと感じて自分も勉強になった期間だった。

さて皆帰ったらジジババ二人だけのゆっくり流れる時間が戻ってきた。

昨夜は8時間28分睡眠をとったと記録されていた。

あと数日経過しないと元に戻れない気がする。