9月13日、大きな箱が届きました。広島市の厚生課からです。ああ、敬老の日のプレゼントだと、わかりました。現金書留も届きました。
開けてみると、国からお祝い状と銀杯、広島市から、お祝い状と時計、3万円をいただきました。
母にしてみると、ただ年を取ったというだけなのに、お祝いしてもらうこともないと気に留めないようでした。
でも、思えば、100才というのはやはり大したことです。母は今99才、来年の1月3日に100才になります。
まだ自分の足で歩き(出かけるときは杖を突きますが)、食事もトイレも自分でできます。
私が病気のため、体があまり強くなく、力が出ないし、かがんだりステップに上ることができませんので、母にいろいろ頼ってしまいます。100才に頼れるというのは、大したものです。
この頃は、少しずつ物忘れがひどくなり、これは認知症かなと思うこともあります。
でも、自分の住所も名前も書けるし、時々は朝日新聞の「天声人語」を読んでくれたりします。まだまだいろいろなことを分かっているように思います。
大正の最後の年に生まれ、激動の昭和を生きて、平成、令和と平和に過ごした母の一生は、一人の人としては、きっと山あり谷ありのものだったことでしょう。
今の母は、私と一緒にいるのが一番いいと言ってくれます。時々あまりのちぐはぐに癇癪を起こす私ですが、私の気持ちが母にも伝わっているからだと思います。
病気になり、ずっと家に閉じこもっている私と、年を取ってもホンワリ生きている母との仲良し生活は、チャーリーも一緒にゆっくりと続いていくことでしょう。
年をとった二人と一匹ののんびりした時間が、できるだけ長く続くようにと願った、今年の敬老の日でした。