言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

3月の終わりに

2007-03-31 20:59:46 | Weblog
早いものでもう3月も終わり。年度末ぎりぎりまで慌しく過ごした。
多忙を極めるも不思議と疲労感はない。それもこれも「出会い」のお陰であると痛感する。

年初に、積極的に出掛けることを目標に挙げたが、確かに足を運べば何かしら得るものがある。そう信じているからそうなのかも知れないが、これはここ数年感じることだ。暖かくなったことだし、さらに出かけることにするか。

自動車を運転していても、事務所で仕事をしていても、もう暖房をつけることが少なくなった。と言うよりほとんど使用しない。当たり前だが明日から4月。新しい出会いを期待させるように桜もほころび始めた。

春の風が心地よかった3月の終わりであった。

でかい声の挨拶

2007-03-30 21:39:36 | 出来事
本日も慌しい一日となった。あっという間に時間が過ぎていく。

普段よりもたくさんの人に出会えたことが今日の、いや明日の財産だ。
最近はお陰さまで事務所への来訪者も多く、小さなドアから素敵な出会いを運んできてくれる。

自分では何気なく声を掛けただけなのに、相手にとってはタイミングのいいノー天気なバカ声だったりして、落ち込んでいるその人を元気付けたりすることがある事を、今日教えてもらった。

「言ってみるもんですねえ、大声の挨拶」
「そうそう、言ってみるもんですよ」

嬉しい電話をもらった。いい一日だった。

さようならポケベル

2007-03-29 19:39:51 | Weblog
今日も中日新聞の記事から。

「さようならポケベル」

NTTは今月の31日をもって、ポケットベルのサービスを終了するという。
携帯電話の登場で、連絡の手段の座をわずか数年で明け渡した。

084(おはよ)
49(至急)
9999(急急急急)「大急ぎ」

などと語呂を合わせて連絡を取り合った頃が懐かしい。
ベルが鳴ると、サラリーマン達は一斉にベルトに取り付けたそのベルを覗き込むといったシーンを、喫茶店などでよくみかけたものだ。
あの頃はベルの種類も3つほどしかなく、誰の音なのか分かりづらかった。

「ポケベルが鳴らなくて」とかいう歌もヒットした記憶がある。もう随分昔の出来事のようだ。

消費者が選択するのも、拒否するのも、そのサイクルがどんどん短くなってきている気がする。

改めて、「3470(さよなら)ポケベル」(なんで「ら」が0なのかは分からないが…)

金森学級

2007-03-28 21:24:22 | Weblog
今日の中日新聞から。

つながり合ってハッピーに「最後の金森学級」

とある。

金沢市西南部小学校、4年2組の終業式の模様をレポートしていた。
こどもたちの個性を尊重し、ひとりひとりと向き合って取り組んだ金森先生の1年間が見て取れる。
この1年間で子どもたちは目に見えて変わったという。友達の頑張りをしっかり見つめ、つらい時や涙ぐんだ時は「一緒に頑張ろう」と支え合った。と書いてある。
子どもの発信に丁寧に耳を傾け、豊かに受け止めるかじ取りがあってこその「育ちあい」だったと続く。
写真には、子ども達と楽しそうに肩を組んで笑っている金森先生がいる。

今日も記事の中にいい「言の葉」を見つけた。

「自信はなくていいんだ。自信がないから、努力しようとするんだ」

担任の先生からこんな言葉をかけられた子どもたち。どんな子に育つかは歴然だ。

そうか。

2007-03-27 20:28:59 | Weblog
今週は非常に慌しい。
まだまだしなくてはならないことが山積みだ。
あれもこれも…それもどれも…。もう訳が分からん。

どうしてこんなに時間に追われるのだろう、気ばかりが焦って実になっていない。これではミスも招く、気をつけなければ。

「忙しいという字は、心を亡くすと書くんだよ」
誰かが言ったそんな言葉を思い出した。
とにかくひとつづつ確実にこなしていこう、そうすれば道は開ける。

それにしてもどうしてこんなに忙しいのだろう。月末なのは分かっているが息切れがしそうだ。

あっ…

年度末…

情熱大陸

2007-03-26 22:15:17 | 出来事
新聞で見て気になっていた昨日の情熱大陸、やはり良かった。

聖路加国際病院・緩和ケア科医長を務める、林章敏医師をカメラは追った。

以下太字、番組のホームページより引用。

「緩和ケア」とは、日本ではまだ新しい領域。【ガン】などの病気から発生する激しい身体の痛みはもとより、不安、恐怖、絶望…といった精神的苦痛をも和らげ、患者やその家族に、次の段階の治療へとすすむ勇気と生きる希望を与えることを目的とするものだ。林は、その「緩和ケア」に積極的に取り組む、いわば先駆者である。

患者に優しく語りかけるその姿は、見ているこちらまで癒されるような、本当に柔らかい接し方である。
椅子を手に病室を訪ね、患者と目線を合わせて優しく話を聞くことから始まる。

「何か気がかりなことはありませんか?」

まず、相手の不安や不満、恐怖などを「気がかり」という言葉を使って聞き取るのだ。
それはとても優しくそして頼もしい。

営業においても同じである。相手の不安や不満をしっかりと聞き、問題解決することが目的であり、商品や技術は手段に過ぎない。
大変勉強になった30分間であった。
そして印象に残った林医師の言葉がある。

「命を救うことは出来なくても、魂を救うことは出来る」

優勝決定戦

2007-03-25 20:40:00 | 出来事
大相撲春場所も今日が千秋楽、大関白鵬の通算2度目の優勝で幕を閉じた。

本割の結びと、その前の一番が優勝に関わる大事な相撲だった。
結び前の一番、大関白鵬は琴欧洲をすくい投げで転がし、優勝決定戦への切符を手に入れた。
そして結びの一番は、2敗で並ぶ横綱朝青龍と、勝ち越しをこの一番に掛ける大関千代大海。当然朝青龍ががっちり受け止め横綱相撲で決定戦へ進むものと思っていた。
ところが…、意外な展開となった。朝青龍の勝利には違いないのだが、立合い、なんと横綱が右へと変わったのである。「まさか…」場内も、解説者も、誰もが目を見張った。
そして決定戦、今度は白鵬が立合いに変わった。左手をついてしまった横綱、苦笑いで引き上げるその顔が印象的だった。
決定戦での変化は、私の記憶するところでは、栃東が千代大海相手に変化して逆転優勝を成し遂げた時だけだ。
驚いた。そして不可解だった。まずなぜ横綱は本割で変化をしたのか。

勝手に推理してみた。以下は、なんの根拠も無い私の勝手な想像であり、無責任な独り言である。

朝青龍はどうしても優勝したかった。この場所が始まる前の八百長騒動にケジメをつけたかった。「どうだ」と世間を唸らせたかった。
そして誰も成し得ていない初日から2連敗後の優勝を手にしたかった。
しかし、それだけではない。失礼だが本割での千代大海戦は朝青龍にとってそんなに苦手とする相手ではなく、楽勝とはいかずとも勝利を収めることは出来たはずだ。
そこには右肘のテーピングが重要な意味を持つ。おそらく横綱の右肘はかなり悪いのではないか、その負担を少しでも軽くする為、彼は形振り構わず変化をした。「もう一番あるんだ」自らにそう言い聞かせて…。

「あなたも本割でやったことです」決定戦で変わった白鵬はそう言いたかったのか。
それとも横綱の肘の具合を察し、慮ったのならすごい後輩である。

中谷彰宏名言集

2007-03-24 20:21:16 | 読書
久々の本。

中谷彰宏名言集を読んだ。

この人の本が好きで何冊かは持っているのだが、今回はCDで言うところのベスト盤といったところか。今まで出版された本の中の名言を集めたものだ。
当然いくつかは読んで知っていたが、初めて出会う言葉も結構あり、「うんうんなるほど」と噛みしめながら読んだ。


今回のお気に入りのひとつ。

「挑戦とは、大きなことをすることではない。明日する小さなことを今日することだ。」

挑戦とはスケールではなくスピードだと解説している。身に沁みた。

足踏み

2007-03-23 20:01:36 | 出来事
気がつけば沢山の読んでいない本が溜まっている。
原因はわかっている。一冊の本で足止めをくっており、なかなか前に進まない。
つまらない本なのか?いやいやそれが逆で、素敵な本でとても読みやすい。
だからこそ噛みしめながら読んでいるのでついつい遅くなる。まあ、原因はそれだけではなく日々雑務に追われている現状だ。

明日の土曜日もダンボール箱にぎっしり詰まった書類の入替と整理、そして勉強、さらにお客様への訪問とウィークデイよりもハードになりそうな予感。

しののめ

2007-03-22 15:28:15 | Weblog
昨日の中日新聞の「中日春秋」より。

気象庁の予報用語から「宵のうち」がなくなりそうだと書いてある。なくなる理由は、もっと遅い時間に誤解されるからだという。
分かりやすさは必要でも、味わいある言葉がこうしてまた消えていくようでさびしいとある。
また、冒頭では「黄昏時」の黄昏は、証明の無い昔は誰かとすれ違っても顔が分かりにくいので、「誰そ、彼は」といぶかしんだ言葉からきていると解説していた。
「彼誰時」(かわたれどき)とも表したのだが、それはやがて明け方の薄暗い時を指すようになったらしい。
昔の人は時の表現にも豊かな感覚を持っていたと書いてあるが、その通りだと思う。

また夜が明ける様子も、表現に段階があった。これは以前テレビで知ったのだが、
暁から東雲、そして曙、さらに朝(あした)となるそうだ。
東雲、この漢字「しののめ」と読むとは知らなかった。この漢字と読みがすっかり気に入って調べてみると、

どうやら東雲の頃とは、

契りを結んだ男と女の逢瀬の別れの時刻であり、夜明けの清清しいイメージとは裏腹に最もつらい瞬間なのである。(こちらより抜粋)

なかなか風情があっていいぞ「東雲」、日本語ってやっぱり奥が深い。もしかして世界一かもしれない。