言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

老化

2009-11-30 21:29:35 | 言の葉
晩年耳が聴こえにくくなったエジソンに、こんなことを訪ねた人がいた。

「どうして補聴器を発明しなかったのですか?」

発明王はこう答えた。

「24時間のうちに、どうしても聴いておかなければならないことがどれほどあると思う?」

そして、

「耳が遠いと、他人は大きな声で話さなければならなくなる。大きな声だと嘘はつけないだろう」

と、笑ってこう付け加えたと言う。

さすがです。エジソン。

この話を聞いて、ふと思ったことがある。
もしかすると人間は、年をとるとこのようにして嘘や詐欺から身を守るようになっているのではあるまいか。自然と話す人の声が大きくなって、自分以外の誰かが聞いていてくれている。そんな「人思い」の老化だったら素敵なのに(笑)。

以前、こんなことも聞いた。
年をとってボケるのは、死に対する恐怖を和らげる為の自己防衛本能。
いつまでも正気だと、身近に存在する死はとても辛いからそうなっているというのだ。
真実かどうかは別にして、なんか「人間らしい」説ではある。

ムキになろう

2009-10-04 22:54:33 | 言の葉
「子ども相手にそんなにムキにならなくても」

子どもの言ったことに腹を立てて、周りが「もういいじゃない」となだめるシーン。
数回だがそんなシーンも見たことがある。
そこでこんな議論になる。

「こどもの言ったことにいちいち目くじら立ててもしょうがない」
「いやいや、これが大事なんだ。小さなほころびがとりかえしのつかないことになる」(実際こんな事は言ってないですけど)

「こどもだから大目に見てやらないと」
「こどもだからこそ教えなければいけない」

その程度やシチュエーションにもよるだろうが、私も後者の人の意見に近い。

大人げない=子どもみたい=子ども目線で考えられる

うーん苦しい三段論法(笑)。

でも、本当にそんな人の家族の方が円満な気がする。父親の存在感もしっかりあるような。
そんなモデルを数人思い出しながら書いているのだが。

あれあれ、なんで今日こんなこと書いているのか。別に何かあったわけでもないのに。
ネタ切れ…。
いよいよ閉店かなあここも…(笑)。

ムキになる=子ども向きになる

コジツケ…。

西アマゾン

2009-03-06 21:06:39 | 言の葉
またまた本が近くなる。

最近割と大きな近くの本屋さんが廃業して少し凹んでいたのだが、やってくれるのはやっぱりAmazon
堺に物流拠点を設け、関西地域では当日発送も可能になるという。当地域もかなり恩恵を受けるかもしれない。

延べ床面積は約6万8000平方メートルって、デカッ。
品数にスピードが加わればもう鬼に金棒、本屋さんの受難は続きそうだ。
でも先日読んだ本のように、小さな書店でもきっと強みがあるはず。そこで今日届いたDMにこんな記事が…。

「本を書く人がいて、編集する人がいて、営業する人がいて、売る人がいる。だけどお客様と直接触れ合えるのは書店員だけだ」

ある書店員さんの言の葉。名言です。

はじまる

2009-02-12 22:29:59 | 言の葉
当社の顧問税理士さんから届く冊子。

毎日その日の朝礼に使えそうなコラムが掲載されている。
その中にこんなのがあった。

恥はかき得

「旅の恥はかき捨て」と言われるが、「人生の恥はかき得」と言ったのは、オリジナルTシャツの制作会社社長、久米信行氏。
「恥をかけばかくほど、よく学び、決して忘れず見返そうというガッツも湧いてきます。恥をかくということは、自分の枠を超えた新しいチャレンジをしているということ」
とし、恥はチャンスであり、「かき得」と強調している。

コラムは、私たちも「恥はかき得」と心得て、勇気ある一歩を踏み出しましょう。と結んでいる。

なるほどね、ついつい恥を恐れてしまっているが、恥から始まることもたくさんある。

あっ…、つまり「恥○(はじまる)」ということか、いい「言の葉」ゲット。

人生のケチ

2009-02-02 21:12:28 | 言の葉
昨日の「エチカの鏡」

いやあ、良かったですね。
久々にしっかりと観たがズシリと来ました。

千葉にある谷津干潟というところのゴミをひとり拾い続けた人の話。

自分が小さい頃友達と遊んだ干潟は、悲惨な姿になっていた。
どうせ埋め立てられるんだからとそこへゴミを捨てる人々。干潟は生き物を寄せ付けない異臭を放っていた。

毎日毎日ひとりでゴミを拾う男を、「勉強しないとあんな大人になるわよ」と指さす母親。
ゴミを拾っている前にゴミを捨てる人たち。売名行為とも言われた。
それでも男は毎日毎日ゴミを拾い続ける。

4年の年月が流れたある日。近所の主婦が「私たちにも手伝わせてください」と加わった。
その輪はやがて町に広がり、こどもたちも泥だらけになりながらゴミを拾った。
そしてその干潟には魚が戻り、その魚を追うように鳥たちも戻ってきたのである。

「お金のケチは分かります。お金をつかわないことです。でも人生のケチはなにか、それは自分の可能性やしたいことをしないままお墓に入ることなんです。自分はやりたいことをめいっぱいしたから悔いはありません。」

その言葉はすごく力強く、そして優しかった。

なぜか泥だらけの彼の服が、すごく眩しく見えたのは私だけではないだろう。

コソ泥

2008-12-23 21:01:04 | 言の葉
去年、「来年こそは早めに出すぞ」と誓ったはずの年賀状。

今年も結局今日になってしまった(笑)。
毎年こんなことをやっている。

来年こそ…
来月こそ…
明日こそ…

これでは「こそ泥」である(笑)

以前にも紹介したかもしれないが、「2ちゃんねる」(だったと思う)の名言集に、心に響いた言の葉があったので気に入ってメモした。今一度書きたいと思う。

10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。今やり直せよ。未来を。10年後か。20年後から、50年後からもどってきたんだよ。今。

「今日こそが、変われる日だと、知った今日」

悪気

2008-10-22 17:20:01 | 言の葉
「まあまあ、あいつも悪気があった訳じゃないんだし」

悪気がない?

例えば大変失礼な言葉を投げかけられたとしよう。
でも言った本人に「悪気がない」のであれば、罪が無くなるようなそんな錯覚をさせてしまう魔法の言葉だ。
つまり本人にはそういった自覚がないのだから仕方がない言動なのだと。

いっその事「悪気」があった方が文句も言えるし、その後の展開もある。
ただ、「悪気がないのにいちいち目くじらを立てるなよ大人なんだから」の雰囲気はどうしても言われた方に分が悪い。
強力で恐ろしいバリアーの付いた「悪気がない」だ。

本当は悪気があって言ったのに「悪気がない」と嘘をつくのは最低だが、
本当に「悪気がない」のであれば、それはそれでタチが悪い。要は社会性がないということである。その言葉で傷つく人が確かにいるのだから。

なんて事を書きますと、今日何か言われたのかと推測される方もいらっしゃるかと思いますが、全然そんなことはありませんので悪しからず。
何故かお昼を食べた後、最近「言の葉」関係のネタ書いてないよなあ…、と思っていたらふと舞い降りてきた「悪気がない」(笑)。

待てよ、やっぱ最近言われたのかなあ?

「当たり前、悪気があれば大喧嘩」

キヨ

2008-10-04 16:51:07 | 言の葉
ジャイアンツ時代に食事をする機会があって、「どうすればホームランを量産できるんだ?」と質問、
その問いに「この筋肉だよ」と言わんばかりに上着を脱いで答えたのは大リーガー、サミー・ソーサ。
それがきっかけで肉体改造を試みたというエピソードを、昨日の生放送で語っていた。

そして、その後清原が伝えた大リーガーの言葉がとても印象的だった。

「この腕はホームランを打つ為だけの太さではない。バッターボックスに向かう時、この腕を見て、この筋肉を作る為に今まで費やした時間を思い、確かな自信にするんだ」

かあーっ、さすがである。
その言葉を汲み取った清原も…。

「今思う、あのドラフトがあればこそ」

悔しさが彼を支えた。
そしてファンがもっと彼を支えた。

お疲れ様でした。

カツカレー

2008-09-18 21:44:27 | 言の葉
昨日研修が終わった後、地下街で夕食を済ますことにした。

せっかくだからと味噌カツの店を覘いたら混んでいて、近くの天むすの店もほぼ満員状態。
その間にある洋食屋さんだけが空いていたのでそこに入った。
私の他には若い男性が窓際でコーヒーか何かを飲んでいる様子。あとは全て空席だ。
(なんでこんなに空いているんだろう?)
と少し不安になりながらメニューを見ていると、もう一人のその若い客が立ち上がって蝶ネクタイをするではないか。
それは先ほど水を運んできてくれたウェイターさんと同じ格好。
(あんたもここの人やったんかい!)
と心の中で右手を出して大きく突っ込んだ後、カツカレーを注文することにした。

思い出したことがある。
こどもの頃、家族で大阪に遊びに行って、高島屋で昼食を食べたときの話だ。

父「何でも好きなものを食べな」
私「カレー」
父「お前はどこへ行ってもカレーばっかりやな、たまには違うものを注文せい」
私「じゃあ…カツカレー」
父「…」

今でも当時のこの話を親にされる。
カレー好きは昔と変わらないなあ。

あっ美味しかったですよ、地下街のカツカレー。
カツもアツアツで、カレーも程よく辛くて、満腹で帰って来ました。

「刺した後、置き場所困るフォークかな」

カツカレーのフォークって普段は使わないのだが、昨日のカツがホクホクだったので珍しく使ってフーフーしながら食べた(笑)。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

2008-05-28 21:40:31 | 言の葉
今日、本屋さんの近くに行ったので立ち読みをするのにフラッと立ち寄った。
お決まりのコースである、経済誌や週刊誌のコーナーを見た後、ビジネス書のところへ。

数冊の本をパラパラとめくっていると、バンッと気になるフレーズが飛び込んできた。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

経営関係の本だったと思うが、インパクトがあったので即脳に刻み込まれた。
解説は読まなかったので本意は分からないが、つまりは、偶然の勝利はあっても、偶然の負けは無く、必ず原因があるということなのだろう。だから負けたときこそその分析が大事なのだと解釈した。

なるほど、とすっかり感心したのだが、その本は買わずに(笑)、趣味のマーケティングの本と仕事に関する本を2冊衝動買い。
まだまだ読んでいない本が沢山あるというのに、病気だ、もうこれは。リッチな読書家である(笑)。

最近は表紙を見ただけでは、読んだのか読んでいないのか分からないケースも珍しくない。本1冊のうち、どれほど記憶に残っているのだろうか。10%?、いやきっともっと少ない。
でも、いいのだ。ひとつかふたつのフレーズが、いつか電球のマークの如く閃く機会があれは。知識こそかけがえのない無形の財産である。

だったら今日のような立ち読みで見つければいいのでは?
いやいや、今日のは偶然。とりあえず全部読んでみないと発見できない。
さて、残りのページをやっつけるとするか。

「ルパンでも、知識を盗む事できず」