昨日の中日新聞の「中日春秋」より。
気象庁の予報用語から「宵のうち」がなくなりそうだと書いてある。なくなる理由は、もっと遅い時間に誤解されるからだという。
分かりやすさは必要でも、味わいある言葉がこうしてまた消えていくようでさびしいとある。
また、冒頭では「黄昏時」の黄昏は、証明の無い昔は誰かとすれ違っても顔が分かりにくいので、「誰そ、彼は」といぶかしんだ言葉からきていると解説していた。
「彼誰時」(かわたれどき)とも表したのだが、それはやがて明け方の薄暗い時を指すようになったらしい。
昔の人は時の表現にも豊かな感覚を持っていたと書いてあるが、その通りだと思う。
また夜が明ける様子も、表現に段階があった。これは以前テレビで知ったのだが、
暁から東雲、そして曙、さらに朝(あした)となるそうだ。
東雲、この漢字「しののめ」と読むとは知らなかった。この漢字と読みがすっかり気に入って調べてみると、
どうやら東雲の頃とは、
契りを結んだ男と女の逢瀬の別れの時刻であり、夜明けの清清しいイメージとは裏腹に最もつらい瞬間なのである。(こちらより抜粋)
なかなか風情があっていいぞ「東雲」、日本語ってやっぱり奥が深い。もしかして世界一かもしれない。
気象庁の予報用語から「宵のうち」がなくなりそうだと書いてある。なくなる理由は、もっと遅い時間に誤解されるからだという。
分かりやすさは必要でも、味わいある言葉がこうしてまた消えていくようでさびしいとある。
また、冒頭では「黄昏時」の黄昏は、証明の無い昔は誰かとすれ違っても顔が分かりにくいので、「誰そ、彼は」といぶかしんだ言葉からきていると解説していた。
「彼誰時」(かわたれどき)とも表したのだが、それはやがて明け方の薄暗い時を指すようになったらしい。
昔の人は時の表現にも豊かな感覚を持っていたと書いてあるが、その通りだと思う。
また夜が明ける様子も、表現に段階があった。これは以前テレビで知ったのだが、
暁から東雲、そして曙、さらに朝(あした)となるそうだ。
東雲、この漢字「しののめ」と読むとは知らなかった。この漢字と読みがすっかり気に入って調べてみると、
どうやら東雲の頃とは、
契りを結んだ男と女の逢瀬の別れの時刻であり、夜明けの清清しいイメージとは裏腹に最もつらい瞬間なのである。(こちらより抜粋)
なかなか風情があっていいぞ「東雲」、日本語ってやっぱり奥が深い。もしかして世界一かもしれない。