馬頭琴日記

交通事故療養中に還暦を迎えた馬頭琴奏者が、馬頭琴に関する知識を書き遺します

ダディ竹千代 こと 加治木剛 逝く・・・出会いは 私が十九歳

2024-05-11 14:23:14 | 日々・・・戯言・妄言記

1975年に上京して、新宿の美術予備校に通いつつ悪ガキどもと連んでは、新宿や下北沢のロック喫茶

などで過ごしていた。下北沢の線路横に「ガソリンアレイ」があって、オーナーは脱サラした進さんだが

横分けの髪にサンダル履きの姿はおよそロックとはほど遠い印象だった。スタッフには、後にロック雑誌

「フールズメイト」を創刊した北村くんや、加治木さんと結婚した真由美さんが居た。進さんから上馬に

ライブハウスを開くという話をされて、何故だか? 店舗の図面というかレイアウトを引く顛末になった

上野の美術学校の1年生の、怖いもの知らずの暴挙だ。国営放送の大道具をしていた方が内装をしていて

度々猫の手ほどのお手伝いをして、1976年に開店したのが「上馬ガソリンアレイ」である。図面引き

&施工手伝いの報酬でチャージ無料だったので、けっこう入り浸っていた。ここで出演者のブッキング&

支配人をしていたのが・・・加治木さんだ。押し出しの強い顔と憎めない笑顔とエネルギーに満ち溢れた

兄貴だった。彼が仕掛けた「東京おとぼけキャッツ」も何度かここで見たが、春日博文氏がドラム担当で

彼の弟がギターを弾いて、皆さんアンプやらテレビを背負って・・・熱演していた。普通? の会社員と

なってからは縁が切れたが、フェイスブックで再会した。彼の新橋のライブハウスが二子玉川に移転した

が、モタモタしているうちにコロナ禍で、その後の彼は病で車椅子生活を送っていて・・・ますます逢い

難くなった。カルメンマキ&オズの作詞を担当、リアルな彼とは別の、重たい暗い詩を綴った・・・合掌

画像の店名ロゴは私の仕業だが、何を参考にしたのか? 記憶が無い。店名はロッドスチュワートの曲名

雲ひとつ無い晴れ空、猛烈な南風が暑く、気温14〜26℃。 午後2時の気温24.9℃、湿度は43%

(11・323)36.0℃(81〜119)

コメント
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