満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

イスラームにおける子供の教育

2009-05-30 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم


السلام عليكم

イスラームは子供に重点をおいている
イスラームの教育は子供が生まれる前から始まっている

婚約するとき、相手の女性の美しさではなく自分の子供の母親に相応しい人を選ぶべきである
「もし男性が女性を選ぶなら自分の精子がくっつく理性ある卵子の持ち主を選びなさい」

夫婦関係を結ぶ時も「ビスミッラー」と言いい、その後、ドゥアーを言う。アッラーに祝福され、アッラーに自分と自分の妻がシャイターンから守ってもらうように頼む。

妊娠した時は
《「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」 》(3-35)の節を読んでドゥアーをする(アッラーのために産むというニーヤを確認する)

胎児には母親の精神状態が生まれてからも影響があるので、心をいつも安らかに、そして信仰心を持つように。

生まれてすぐからイスラームの教育は始まる

右耳にアザーンを聞かせ左耳にイカーマを聞かせる。はじめてこの世で聞く言葉は「アッラーの偉大さを讃える礼拝の呼びかけ」となる

幼児時代は2歳過ぎると個人の教育が始まる

教育は慈悲に基づいたやり方で行うこと。大きな声でどなったり、ぶったりしないこと。悪いことをしても感情でしかってはいけない。子供は良いことか悪いことが判断が出来ず、ただ親が怒ったこと(それに対しての恐怖)しか記憶に残らないからである。スパルタ式はその時は効果があるように見えるが長じて悪い影響が出てくる。

クルアーンでは子供のことを以下のように形容している
1. この世の飾り・・飾りとは「美しくすること」、家族の生活が子供によって美しく輝いたものになる。夫婦の間で少々の行き違いやいざこざがあっても子供の存在が解消してくれる

2.フィトナ(誘惑)

3.敵

全ての子供が2&3という意味ではなく、逆にそうならないように子供を育てなさいという警告である

親が子供をどう育てるかで参考になるのは
《さてルクマーンが、自分の息子を戒めてこう言った時を思い起しなさい。「息子よ、・・」》
でルクマーンが息子に呼びかけているのは「ヤー ブナイヤ」というアラビア語で「ヤー イブニー」よりもずっと丁寧で優しさを込めた呼び方である

自分の子供でも丁寧な言葉で、子供といえども一人の人間として尊重して扱う。

どの親でも自分の子供が良い子になってほしいと思っているが、それが上手くいかないのは教育の方法を知らないからである

子供の間違いを正すだけではなく、子供の中に価値観を受け付けるのが教育である。

精神的・理性的・身体的・知的・内面的・社会的などさまざまな面から教育すること

1.身体面からの教育

強い健康な子供に育てる
「アッラーは強い信仰者を弱い信仰者より好まれる」

健康面では時間を決めて規則的に食事を与える・・泣く度にぐずる度に食べものをやる親がいるが、それはよくない。
また食事の際にもイスラームのエチケットやスンナを教える
立っていたら、座らせる。一気にのもうとしたら、2・3回に分けて飲むようにさせる

子供の要求を満たす(飲食など)間も子供の様子を見て、子供の行儀などを正す

眠り・・朝早くおきて、夜早くねる
自分が朝ゆっくり起きたいために、子供も夜遅くまで起こしている親がいるが、子供の脳にはよくない。母親自身も教育の知識がなければいけない、時間をどう使うか

2.知的面からの教育

母親は自分の時間を費やして子供と対話すること
イスラームの情報を教えなければならない。特に非イスラーム圏では母親一人ではイスラームの教育はできないので、家の者以外の第三者(家族以外の者)である先生(よいムスリムでイスラームの知識のある人)を週1回ぐらい招いて、学ぶ必要がある
イスラームが繁栄していた時代には子供を先生のところに送って、先生に代金を払って教えてもらっていたが、今はそういうことが難しくなっている

母親がいくら教えても就学年齢に達するとその教えたものは半分ぐらいしか子供に残らず、同年齢の子供から影響を受けるようになる

子供が自分で友人を選ぶ前に、イスラームの先生を選んだ段階で、そこで同じように学んでいる子供を自分の子供の友達にしておくこと

そうすれば学校に入ってもその子たちとの友人関係が継続し、学校で悪い子を選ぶことがない。

就学前にそのようなイスラームを共に学べんでいるような子を友人にできなかった場合は、就学してからできた友人とどういうつきあいをしているか母親は密かに知っていなければならない

子供が学校でいろいろな考えを吸収してしまい、その中にはイスラーム的ではないこともあるので、母親は英知を使って(怒ったり叱ったりしないで)子供の頭からそういう考えを消さなければならない。

子供は現代では18歳ぐらいになったら大人とみなされて、もう大人だから好きなようにしなさいという風潮があり、若者達が家族から離れ、家族は若者が何をしているかわからないということがあるが、これは間違いで、イスラームでは子供はいくつになっても親にとっては子供である。
若者だけでいつも集まって年長者が周りにいないということは「賢さ」が学べない

大きくなってから厳しくすると親の前ではいい子でいるが親の監視の行き届かないところでは何をしているかわからないという状態になる危険がある

間違った考えを正すのは難しい。

いくら子供が大きくなっても母親とは何でも話せるいい関係を続け、いつでも子供から相談をしてもらえるようにしておく

これはイバーダ(礼拝や断食など)と同じぐらい重要なアッラーからの命令であり義務である。

若者が酒を飲んだり、見てはいけないようなハラームな映画を見たりすると、生産性がなくなり社会に貢献できなくなる。

3.精神面からの教育

身体的・知的面教育に比べると内面は表面に現れにくいが、それを怠るのはとても危険である
勇気を持つこと、はきはき応えること、人に親切にすることなど

恥ずかしさや臆病さはそれをその要因を取り除くようにしなければならない

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の右にはいつもアブー・バクル(رضى الله عنه)座っていて彼に飲み物や食べ物を与えて、それから更にその右の者に渡していた。ある日、いつものように右に飲み物を渡そうとするとそこには小さい子が座っていたので、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はその子に丁寧な言い方で「最初にアブー・バクルに渡してもいいか」と許可を求めた。子供は、「いいえ、私は預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のすぐあとにいただきたいです」と断り、それを聞いた預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は彼の望むとおり、手渡した。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)大人の中にいる子供をぞんざいに扱わなかった、また子供も大人の中でもはずかしがらずに自分の主張をした。

子供にたちにはそういう面を指導する先生が必要。子供の成長に影響する。

ウマル(رضى الله عنه)がカリーファの時代、みんなから恐れられていたので、子供達は彼が来ると、恐がって逃げた。しかしある一人の子供は逃げなかったので、ウマル(رضى الله عنه)は「どうして逃げないのだ」と聞くと「私は逃げるような悪いことは何もしていない。それに道は広いから私がどく必要もない」と礼儀を持ってはきはき理性的に応えた(これはきちんと教育を受けていたから)

タービイーンの時代、ウマル・イブン・アブド=ル=アジーズがカリーファになったお祝いに著名な人々がフトバをしに来た。フトバをする人々の中に子供がいたので、追い出そうとしたした大人に対して、その子供は「人間は年齢ではなく舌と心で評価される」と反論した。
「心がきちんとしていてそれを舌が表現できるなら、年長者を差し置いて、ウマル・イブン・アブド=ル=アジーズがカリーファになったように私もフトバができる」と言った。

はずかしがっていたらその度に母親は正していくこと。
そうしなければ大きくなって不義不正や権利の侵害に対してものが言えない大人になってしまう。
礼儀をもった勇気を身につけさせること  勇気だけでは無作法であり、勇気のない礼儀だけでは中身がない

こわがりやすい性格も小さいうちに正すこと、大きくなってから矯正するのは難しい

よく大人たちが犯罪事件やギャングの話などのこわい話やその手の作り話をしていることがあるが、これを子供が聞いてしまい、悪い影響を与えるので、子供の前ではその手の話はしないこと

怪我などをおそれて子供に何もさせないで禁じてしまう親がいるがそうすると子供は失敗をおそれて何もできなくなってしまう

昔の学者は、「子供が転んで血が出ていなかったら母親は遠くから見ているだけで、子供自身で起き上がってほこりをとるようにさせなさい」と言っていた

子供のフィトラは転んだときにまわりを見る。誰もいなかったらそのまま起き上がる。でも母親が大きい声を出して近づくと泣き出す。

子供が小さいときに母親(母親自身は忘れている)がどなったりしていたことがトラウマになってしまうこともある

ある子供が預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の膝の上にいたとき、おもらしをしたことがあり、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の服を汚したことがあった。その子の母親は「キャー」と言って子供を預言者さま(صلى الله عليه و سلم)から引き剥がした。その時預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は静かにこう言われた。「服は洗えばきれいになるが、子供の心に植えつけられた恐怖というしみはなくならない」と。

子供が掃除機を音を恐がったら、その正体を教えて「恐くないんだ」と教えること

「自分は劣っているという」という劣等感をもっている子供がいるが母親は観察してそれを察知してすばやく対処しなければならない

母親がよかれと思ったことで逆に劣等感を持ってしまうことがある
例えば学校に行く時は運転手つきの車で送り、買い物にはいつも誰か付き添う人がいる。他の子供は一人で学校に行き、一人で買い物に行っているのを見て自分は何もできないと劣等感を抱く子もいる

身体的な欠陥をもっている場合は、そういう身体的な問題を抱えた偉大な人の話を聞かせ、子供に自信を持たせる

自分の周りの子供が裕福で、ある子だけ貧しい・盗みをするかもしれない。他の子供が妬むような贅沢なものを持たせないこと。
父親がいない場合は、母親が気をつけて子供を見る。子供に預言者さま(صلى الله عليه و سلم)生まれた時にはお父さんがいなかったし、またその後お母さんも亡くなったと話してやる、それでも預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は今でも世界中の人から尊敬され、愛されているという話をして自信を持たせる

イスラームでは母親の仕事は子供の教育である。人間を形成するという偉大な仕事アッラーから命じられている(任されている)。
他の仕事は夫に任せればいい。
父親・・物質的・身体的なものを育てる能力を与えられた
母親・・一人前の人間を育てる能力を与えられた

個々の人間をつくる母親はとても大切なものであり、もしその社会に送り出す人間をつくる母親が駄目ならその社会も駄目になってしまう。

すべての偉大な人物の裏には偉大な母親がいる
母親の役目→立派な人間を育てて社会に送り出すこと

そのためには結婚する前から母親になる女性は教育が必要。子育ては女性に与えられた役目なので、その知識をもっていなければならない

医者になるのには何年もかかる、特に名医は。
あなたは母親となるのに何年勉強しましたか。

ウンム(母親)というのは家族にいる一人だけのことではなく深い意味をもつ偉大な言葉です。ウンムには「拠り所、避難所、自分を守ってくれる」という意味がある。イマームという言葉もウンムからきている。

アッラーの同意がありますように
والسلام

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (purova)
2009-08-26 00:14:38
アッサラームアライクム
バングラデシュ在住3児ママです
子供のイスラーム教育に興味ありじっくり読ませていただきました
ちょっと難しかったですがそうできる様努力したいと思ってます
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イスラームにおける子供の教育 (管理人)
2009-08-29 12:18:30
ワ アライクムッサラーム purovaさん

これは、ダマスカスのI先生の講義をまとめたものです。短い滞在期間でそれも最後のクラスでしたので、話すことはもっとたくさんあるが時間がないからと、先生はコンパクトになさってくれました。I先生から次世代の教育にもっと注意を向けるように言われ、そうだなあと共感しました。お子さんを育てるのに少しでも役に立てたら嬉しいです。努力しようとするそのニーヤだけでもアッラーからの報奨はあるそうです。それを実際に行うと更にいいことがありますよね。インシャーアッラー
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