先日卒業生の同級会に招かれ、一家で参加して来た。
ほぼ皆、お父さん、お母さんになっていた。
会場に少し遅れて到着すると、「こんばんは。」の代わりに「こんなに太っちゃいました。」って。ジュニアを立ち上げた時に一緒に汗を流した大学生が大きくなっていた。
落ち着いた大人向けの店で和食コースを頂く。
会の終盤で一人ずつ近況報告と高校時代の思い出を語ることになった。
それぞれが最も輝いた部活の瞬間が語られる。あれだけキツい日々を越えたのだから、社会に出ての苦難などなんでもなくこなせると皆口々に言う。そして思い出話しは苦労話しの披露や練習の話しになるかと思いきや、家でみんなと一緒に食事した話しになる。
カレー、すいとん、キムチ鍋。あの頃は毎日が合宿みたいだった。生徒も保護者も一緒になって家に来てご飯食べた。いつも一升釜3個だった。
私が同席していたから話題を選んだのかもしれないけれど、それを差し引いても古い家の座敷での食事はよほど印象に残っているらしい。
森の中の一軒家。座敷にテーブルを並べ食す。あとは雑魚寝。
当時は大変だった。収入の大半は食費だったかもしれない。だから安く大量に作れるメニューばかりだった。
「あのスイトンの作り方教えて下さい」とよく言われる。かといって本当に作り方を知りたいわけではないこともわかっている。あの味は、あの時代、あの状況が織りなしたものだから。
スピーチの順番が回って来た。そこで先日立ち上げたNPOの披露をした。なんのために今更NPO作るの?と聞かれる。その説明をしようと思った時ふと口から出たのは、「このNPOは、あの時の座敷です。」だった。これが全てを表している。また食べたいと思えるモノを、それは場であり体験であり、を提供しようと思っている。さらに「他者からのアテンション」という言葉を使おうかどうか迷ったが、それは言わなかった。人から生かされているかどうかを感じるのはその人次第で、他人がセットするものではないから。
エレベーターで上ったところを、細い回り階段で降りる。
外に出るとそこは来た時とは風景が変わっていた。呼び込みのお兄さんが立つ、夜の歓楽街だった。
彼らとはそこで別れる。きっと近いうちまた会うことでしょう。
ほぼ皆、お父さん、お母さんになっていた。
会場に少し遅れて到着すると、「こんばんは。」の代わりに「こんなに太っちゃいました。」って。ジュニアを立ち上げた時に一緒に汗を流した大学生が大きくなっていた。
落ち着いた大人向けの店で和食コースを頂く。
会の終盤で一人ずつ近況報告と高校時代の思い出を語ることになった。
それぞれが最も輝いた部活の瞬間が語られる。あれだけキツい日々を越えたのだから、社会に出ての苦難などなんでもなくこなせると皆口々に言う。そして思い出話しは苦労話しの披露や練習の話しになるかと思いきや、家でみんなと一緒に食事した話しになる。
カレー、すいとん、キムチ鍋。あの頃は毎日が合宿みたいだった。生徒も保護者も一緒になって家に来てご飯食べた。いつも一升釜3個だった。
私が同席していたから話題を選んだのかもしれないけれど、それを差し引いても古い家の座敷での食事はよほど印象に残っているらしい。
森の中の一軒家。座敷にテーブルを並べ食す。あとは雑魚寝。
当時は大変だった。収入の大半は食費だったかもしれない。だから安く大量に作れるメニューばかりだった。
「あのスイトンの作り方教えて下さい」とよく言われる。かといって本当に作り方を知りたいわけではないこともわかっている。あの味は、あの時代、あの状況が織りなしたものだから。
スピーチの順番が回って来た。そこで先日立ち上げたNPOの披露をした。なんのために今更NPO作るの?と聞かれる。その説明をしようと思った時ふと口から出たのは、「このNPOは、あの時の座敷です。」だった。これが全てを表している。また食べたいと思えるモノを、それは場であり体験であり、を提供しようと思っている。さらに「他者からのアテンション」という言葉を使おうかどうか迷ったが、それは言わなかった。人から生かされているかどうかを感じるのはその人次第で、他人がセットするものではないから。
エレベーターで上ったところを、細い回り階段で降りる。
外に出るとそこは来た時とは風景が変わっていた。呼び込みのお兄さんが立つ、夜の歓楽街だった。
彼らとはそこで別れる。きっと近いうちまた会うことでしょう。