脳のミステリー

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9月23日ものがたり

2016-09-23 08:28:41 | Weblog
2016年9月23日に数日後に来る自らの古希を記念して、チョッとした散文を記してみました。

脳出血で右半身不随になっても是非、自分で道を開いて下さい。

自分で・・・これが肝心です!

周りの人が御膳立てしてくれても自分の気持ちをそこに近付けて下さい。

そうすればきっと「生きていてよかった!」と思う筈です。

興味のある方は是非、読み流して下さ~い!



『9月23日ものがたり』

9月23日前後に毎年「秋分の日」がやってきます。
春のゴールデンウィークに対して最近は秋のシルバーウィークと言われています。
シルバー世代を祝う敬老の日もシルバーウィークという連休の中心になってきています。

2001年9月23日は忘れもしない私の第二の誕生日です。
一歩遅ければ「死」に向かった日でもあります。
生き残った左半身が死んでしまった右半身を引きずりながら始まった甦り人生は終戦直後始まった第一の人生より明らかに意味があるような気がします。

第一の人生は航空会社を中心にしてビジネスマンの英語指導と中途活動の日本漆工芸という二人三脚で飛び回った生活でした。
そして第二の人生はリハビリを中心にして日本漆工芸の啓蒙という事で「夢はみるものでなく、叶えるもの」と私は前途洋々動き出したのです。

30代後半で会社人を辞めて単なる社会人になった当初、私は経済的にかなり実姉の援助を被って生活していました。
「子育ては両立できないけど、無収入になるととっても辛いわよ」と釘を刺した友人がいました。
まさにその通りで、急に生活を詰めるのはかなりの苦労がありました。
それまで、私は結構セレブな生活を子供共々してきていました。
それでも「たった一度の人生」と当時は言っていた私が選んだ道は「愛児と一緒に歩きたい」でした。
そんなルンルン気分の子育て中に父親とは別行動で留学時代のホストペアレントに会いにメルボルンに行きました。
彼らはかなり深刻な状態の高齢者カップルに様変わりしていました。
私に至福の留学生活をさせてくれたホストペアレントは相次いで亡くなってしまいました。
私のふたりの子供を「日本のグランドチルドレン」と紹介しながら、あちこち連れ回していましたけど、別れは突然訪れました。
ホストペアレント亡き後、私は二年間滞在を伸ばしましたが、その時の事に触れるのは複雑で長話になるのでお預けにしましょう。
メルボルンに子連れ滞在中は、有り難い事に実姉は毎週のように私にお小遣いを送金してくれました。
ある日、運命の出会いがありました。
NGV国立美術館の学芸員に遭遇したのです。
初めて会った時から、意気投合した学芸員と私は前代未聞の一大決心をして日本漆工芸展を開催する事に力を振り絞る事にしました。
清水の舞台から飛び降りるほど仰天の展覧会とは・・・
当時、NGV国立美術館では在命美術家の展覧会は、まして個展は皆無だったのです。
一年がかりで日本漆工芸の展覧会を夢みた学芸員と私は塗師に勿論、私の実姉を選びました。
若い頃から抜群のセンスの持ち主だと私は彼女の事を思っていました。
塗師生活四半世紀だった実姉の漆創漆器には彼女のセンスがまるで乗り移ったかのように素晴らしい出来栄えでした。

斯くして「日本漆工芸展」は実姉の創作漆器10点で飾られました。
個展が終わるとNGVはひとつの作品を買い上げてくれる事になりました。
私はお礼に拭き漆の作品をNGVにプレゼントするよう実姉に言い伝えました。

月日が流れ、私は随時、実姉の漆器をNGVに紹介しました。
2001年9月23日に脳出血で倒れ、余儀なく車椅子生活者になった私は思いがけなくも時間貧乏から脱出していました。
時間に追われるような生活と決別した私は真剣に実姉の漆器をNGVに売込む事に専念するようになりました。
1980年当時の学芸員はアジア部門の主任学芸員になり、日本美術には新しく学芸員が加わる事になりました。
私は学芸員と綿密なやりとりをする中で2004年には3点の作品を新たにNGV所蔵にする事が出来ました。
2年後の2006年は日豪交流30周年という事でこの3点の茶道具は美術館で活躍の場を得る事が出来ました。
今年はNGVで日本の竹の展覧会を長期に亘って開催、という事で私は実姉の大傑作を紹介しました。
大分県産の竹の根をそのまま水指に仕上げ、彼女が漆の創作品に仕上げて腕前は流石、という言葉がピッタリでした。
思惑通り、NGVのふたりの学芸員は竹漆の虜になり、美術館幹部の審査で買上が決定して渡豪に至りました。

実姉の誕生日を24日に控え、更に自らの古希を27日に祝い、11月には竹展を鑑賞する為にNGV訪問を予定しています。

私の9月23日ものがたりは甦り人生で究極の極みを求めて、突き進んでいます。

愛犬3頭!

2016-09-05 18:39:34 | Weblog
犬との生活は延々と続きそうです。

右半身が痛くても、辛くても・・・愛犬はどの子でも顔を見るとつい笑顔になってしまいます。

私にとってワンダフル・ワンズはまさに最高のセラピードッグなのです。

長男は黒ラブのペネロ君

次男はサルーキのカウイ君

お譲ちゃんはサルーキのラフィークちゃん

ラフィちゃんは顔が惜しまれて惜しまれて虹の橋を渡ったダックスフントのテト君にそっくり、という事でカウイ君と同じ和歌山から我が家にやって来ました。

未だ、8ヶ月ですがお利口さんで自分のベッドも自分のトイレもよく分かっています。

パピーなので今は未だ一日3食です。

極寒と痺痛

2016-01-24 11:43:14 | Weblog
寒いですね~

当たり前の挨拶ですが・・・寒いですね~

雪やコンコ・・・犬は喜び庭駆けずり回り、猫はコタツで丸くなる

我が家の大型犬には似合わない童謡です。

東京のマンションでは庭もないし・・・

駆けずり回る事も、ドッグランでない限り、許されないし・・・

犬も猫化してきています。

野良猫の方が道路を悠々と歩き回っています。

寒さ知らずは犬より猫・・・時代も変わったものです。




人間も寒さで不精になってきています。

朝食、昼食、夕食もキッチンテーブルで済ませてしまう今日この頃です。

丸いテーブルもエクステンション板をふたつを連結して多くの人達と食事をする事もなくなりました。

私の右手が不自由になってお料理が出来なくなったからです。

月一度は男女10人位集まって、ピアノを弾いたりしながら会食や談話を楽しんだものです。

現在は、楕円形のテーブルの出るチャンスはなく、丸テーブルをペネロとカウイが囲みます。

特にカウイはテーブルの上に顔が悠々と出ます。

でも、今は寒くて寒くてテーブル下のハロゲンヒーターの前に座ったままになります。

2頭共大型犬なのでぶつかり合って心地よく座れるまでテーブルの下で席取りをするので、私は待ちぼうけです。

まさに御犬さまさまの我が家です。




とは言うものの、2頭の御犬さまは私にとっては時に布団代りになってくれます。

ハロゲンヒーターは間接暖房になる訳です。

ヒーターで温かくなったふたりの純毛が私の脚を程良く温めてくれます。

まさに有り難や有り難や、御犬さまです




テーブルの下に2頭がいないと・・・極寒の今日この頃・・・痺痛が突然、私を襲撃する事があるのです。

テーブルの前に座り、優雅にバリスタでコーヒーを楽しんでいると・・・突然悲鳴をあげたくなるほどの痛みが爪先から上昇してきて、最悪の場合は右目が痺れて見えなくなるのです。

数回激痛が襲うと、嘘のように静まり返るのが特徴です。

静まり返ってもいつもの痺れと痛みは残ります。

この繰り返し・・・何とかならないでしょうかね~





今年の冬の寒さは尋常ではない、こんな激痛は初体験です

椅子の惨たらしい傷は成長期のカウイの仕業です。

ゴールデンのドックは私が大切にしていた松本民芸のテーブルを見事に虐めてくれた事があります。

それも懐かしい思い出になっていますので、カウイも成長期は仕方ないねって言ってます。

盲導犬キャリアチェンジのペネロは・・・噛まないですね~

テト君、やりました!やりました!








車椅子と愛犬との散歩

2016-01-20 23:24:02 | Weblog



子供の頃から犬との生活がなかった事はありません。

迷子になって我が家にやってきたシェパードとの出逢いが始まりでした。

あれから我が家にやってきたワンズは・・・

ブラック・コッカ―スパニエル、ゴールデン・コッカ―スパニエル、ビーグル、ゴールデン・レトリバー、ダックスフント、ブラック・ラブラドールそれにサルーキ・・・ああ、疲れた・・・全部で8頭

私は今年で70歳・・・幼児期に一匹、10代、20代、30代、40代、50代、60代・・・70代になってサルーキがもう一匹増えるかもしれません

今現在、私と行動を共にしているのは黒ラブのペネロ君とサルーキのカウイ君です。

黒ラブは盲導犬協会からやってきたキャリアチェンジ犬です。

コマンドはとてもよく聴きますが、自ら行動に出るのはサルーキです。

サイトドッグのサルーキは特有の目つきで私を見ます。

いくら食べても太らない犬種です・・・羨ましい

骨太りなので滑らかな毛の下はゴツゴツした骨です。

ベッドに横になっていると、突然横で寝返りを打つ事があります。

触れると物凄く痛いのですが、うまく当たると・・・マッサージのツボに命中した時の様に・・・痛気持ちいい~に代わるのです。

散歩での優等生は黒ラブで、マッサージの優等生はサルーキです。

犬ってホントに可愛い動物です。


神経が痛いって何?

2015-12-26 17:43:04 | Weblog
脳出血で倒れた時、全く痛みを知りませんでした。

片麻痺を受容して数ヶ月後、私は痛感を取り戻してしまったのです。

「感覚なんて取り戻さなければ良かった!」と心底思いました。

痛みは年々感じてくるものなのです。

年を取ってくると感覚が鈍るなんて、誰が言ったのでしょう

心の痛みは、年輪と共に忘却の彼方に、なんて夢でしょうかね~

私は痛みは「生きている証拠」と思う事にしています。

嗚呼、でも痛い

最近は、一日に2~3回、右足の爪先から物凄い痛みが走ります

一瞬とは言え、叫びたくなります。

右脚を浮かせて・・・膝の後ろを伸ばす、これが出来ないから・・・健足の左に手伝って貰うのです。

爪先を交差させて、ストレッチを暫くしてあげると・・・段々大人しくなってくる右爪先

やっぱり生きている

70回目のクリスマス

2015-12-25 10:23:31 | Weblog
私にとっては70回目のクリスマスです。

10代の頃は・・・家が銀座に近かったので、酔払った父親と合流して不二家のチキンを買って貰って、父からの土産のデコレーションケーキを母が持たされて・・・
家に着くと、すぐに父親のオルガン独奏会が始まって・・・中々夜食にありつけなくて・・・ケーキを食べるのは翌日のクリスマスになっていました。

20代の頃は・・・色々でした。
印象的なのは・・・メルボルンのクリスマスでした・・・メリークリスマス!と言いながらよそのお宅を回り続けて・・・歓び、歓びで飲酒運転も気にしていませんでした。
恋人とサンタクロースがやっぱり一番、印象に残っている20代でした

30代の頃は・・・ファミリー・クリスマスが・・・

40代、50代、60代はしんみりしたり、大騒ぎしたり・・・色々です。

70代になって初めてのクリスマスは・・・イブは私の家族と一緒にテーブルを囲んで、今日も夜はみんなが私の処に集まって・・・26日のボクシング・デーにまたまたターキーとケーキですって

チキン、ターキーの鳥セメですが、まっ、いいか・・・酉年生まれの私としては満足満足です


障害者と介護保険サービス

2015-12-16 06:52:24 | Weblog
先日、障害者として受けているガイドヘルプサービスと介護保険制度のホームヘルプサービスの担当者会議に出席しました。

この日は、朝からかなりの体に負担がかかる入浴サービスを午前中に受けたので、午後一番の会議は結構辛いものがありました。

一般の椅子の座る事を断って、慣れた車椅子での参加になりました。

私は55歳の時に病魔の襲撃に遭遇して、以後、車椅子生活を余儀なく受容しました。

介護保険制度実施の前の年ですから、当然、ウォーカーケインも車椅子も障害者へのサービスとして供給されていました。

ところが介護保険制度が本格的に動き出して・・・

本人が戸惑い出したのです。

障害は先天的な場合は生まれた時から、後天的な場合は年齢を問わず受容せざるを得ません。

障害および介護についてはその対応が個々に異なってきますので、私自身の考えを述べてみたいと思います。




私には長年、障害に付き合って下さるケアマネージャーがいます。

ケアマネージャーは私の心と体の両面から一般社会での「出来ない」と「不満足」の懸橋の役目を担ってくれます。

介護保険は40歳になると保険料金を課せられ、65歳になると制度のサービスを受ける年齢資格が与えられます。

私にとって不可解なサービスが始まったのは多分、65歳になってからだと思います。

介護認定と称して、会った事もない人が私の前に現れて僅かな時間様子を見て後日認定書が郵送されてきます。

一度、認定書がきてビックリ仰天した事があります。

「要介護」が「要支援」に変更されていたのです。

脳外科の主治医の怒りはすぐに区役所に飛びました。

初めて会った人が介護から支援に勝手に変更したのなら、その人は正に稀有な名医です。

しかし、主治医と本人に言わせれば「名医」ではなく「迷医」です。

後日、区役所から連絡があって認定のやり直しがありました。

倒れてから10年間「要介護Ⅰ」で生活してきた私は介護度が進まない事を熱望しています。

そして、介護度が支援に代わるなんて夢の夢です。

何故なら、私の脳からの指令が方向音痴になるのですから、それが治るのは奇跡に近い訳です。

かの脳科学者、ラマ・チャンドラン博士が著書『脳のなかの幽霊』で未だ解決出来ない不思議だと、述べている分野ですから

ケアマネージャーは、高齢者の仲間入りをした人には是非頑丈な橋になって欲しいのです。

障害ケアと介護ケア、この橋渡しになれるのは誰でもない、ケアマネージャーだと思うのです。

利用者とケアマネージャーの間に本当の信頼感があってこそ社会福祉のいい制度が表面化するのだと思います。

余談になりますが、区役所を例にとれば・・・昼間だけ、区役所の人間はその区の人間ですが、5時以降翌朝までは在勤者から離れていくのだという事です。




障害者へのガイドヘルプサービスと介護保険制度のホームヘルプサービスの際どい境界線は敏腕なケアマネージャーなら見詰める事が出来る筈です。

ガイドヘルプは単なる道具の用意だと思うのです。

そしてホームヘルプは各家庭での便宜を図ったり、手助けをする事だと私は解釈しています。

因みに、私のケアマネージャーはベテランで、今現在ガイドヘルプを必要とする私とホームヘルプは未だ不必要とする私をよく理解してくれていると思います。

私はやっぱりラッキーな人間なのかな






傾眠

2015-12-03 11:49:34 | Weblog
ここ数ヶ月のあまりの痛みに耐えきれず、リリカカプセルの飲用を再開しましたが・・・

効果はなく、痛みは長逗留するばかり

副作用は「傾眠」になって出て来ます。

やっぱり痛みを我慢するしかないような気がします。

痛みは生きている証拠と、痛感するしかないのかなあ~

脳の過ぎる悪戯!

2015-10-23 08:36:11 | Weblog
脳の悪戯にはついて行けません

所詮、私はなのです

健側の手・足・すべては血行が悪くなって筋肉が張って硬くなるから動き辛いのです。

頼りの右側が疲れてくると右側に信じられない痛みが走るのです

その痛みは半端な痛みではありません

ジッと右脚を見詰めていても・・・

ジッと右腕を見詰めていても・・・

何の変化もありません

でも中では大戦闘が始まっているのです。

昨日、フィットネス・ケアで療法士さんが思いっきり揉み解してくれていました。

左の健側の手・足は・・・極楽の気持ち良さを味わいました

麻痺している右側は・・・同じ手法でも・・・面白い事にあまり何も感じません。

でも時々凄い痛みは感じます。

気持ちいいと思う事は哀しいかな決してありません。

ベッドから降りて歩こうとすると・・・右側が着いてきません。

強引に引っ張って来ると少しずつ療法直前の痺れと痛みに戻っていきます。

最近、特に感じるのは「痛み」が「痺れ」の数倍も強くなったということです

脳さん、脳さん、悪戯が過ぎる、と思いませんか

これって、やっぱり脳のミステリー

2015-10-14 08:50:42 | Weblog
自分の脳の中で回路がこんがらがっているってどうなるのか、知っていますか

私の場合

自分は特別、凄く感じると思っているのに・・・脳神経の医者は「典型的です」と言います。

異議あり

典型的って、同類の物の中で特徴を最もよく表しているものを「典型的」って言いますね。

敢えて「典型的」と言うのは、もしかして本当に伝えたい裏の意味があるのでは・・・


わざわざ相手 が「典型的だね」と言う理由は、本当に伝えたい裏の意味がある・・・

患者である私の目の前に座る医者に、私の表情から真意を汲み取る洞察力があれば・・・

残念ながら、殆どの医者は・・・

彼らには観察力はあるかもしれないけど、洞察力には欠けているような気がして・・・

先生、ごめんなさ~い




さてさて・・・不随側の私の右半身は・・・

始終、全く動きません。

動くのは、左半身を使い過ぎた時に反動が凄く出る時です。

例えば、キッチンのシンクの前で利き手の左手で食器を洗っている時・・・

15分以上左脚を軸に立って洗い物をしていると、立っていられなくなって痺れが爪先から目の脇までフルスピードで往復するのです。

堪らなくなって、近くの椅子ににじり寄って這う這う体でやっと座るとフルスピードの方向が上から下に変わるのです。

座っている時間が短いと、フルスピードは逆戻りしてしまいます。

私の場合は、立っていた時間と同じ時間座っていると戻ります。

急ぐ時は、横になって、仰向けに寝て、ベッドで跳ね上がっている右足をゆっくり(自動的にゆっくりになる)下ろすと徐々に平和な状態になってきます。

でも・・・いつもの痺れと痛みは無くなりません

私の体に留置されたジャックハンマー(道路工事の削岩機)はやっぱり遠慮せず長逗留するのです




それでも生きているって素晴らしい・・・私の結論です