ものすごい雨です。
思えば肝心なときにいつも嵐だ。
OTODAMA中止は私のせいじゃないですよ。
ヤツらのせいですよ。
雨が降ると困る。
仮設住宅の玄関先は狭く、
訪問すると気を遣われて、
家へ誘われる。
突然押しかけて申し訳ない。
こちらもビッショリ濡れているし。
台風はこれからも近づいてくるのだろうか?
土日は包括が閉まるので、
ひたすら訪問を続けようと思ったのに……
あの瓦礫と死臭につつまれていた赤浜に行ってみた。
まだ船は上がったまま。
錨は錆びていてもやる気は十分だ。
臭いがしない。片付いている。
ひょっこりひょうたん島が雨に煙る。
大阪府警が植えたようだ。
曲がったスイカ。
この家に植えられていた。
誰かが種をまいた。
開いてますあなたのローソン。
プレハブだけど。
ちゃんと、ローソンカードのポイントが使えたよ。
役場にはこんな車がいっぱいある。
月曜日から活動を始めた。
ただひたすら仮設住宅を回って、
高齢者台帳、介護予防チェックをしつづけた。
今日で平日が終わり。
包括支援センターは土日休み。
私は土日また仮設住宅を回る。
朝、前回ちょっとお話しできた職員の方とお会いできた。
「ああ、よかったですぅ。お会いできて…今日はこれから出張だから、
会えないかもしれないって思って…」とはにかんで仰った。
実は私たちと包括は活動以外の話をするのは、
1日に1分未満くらいだ。
それくらい包括に余裕がなく、私たち社会福祉士は私たちで活動しているのだ。
包括をある意味煩わせず、私たちだけで活動できるようにしなければならないと強く思い、
計画を立てて士会に訴えたのは前回の活動の時だった。
嫌な役目だと思ったけど、
士会に毎日電話した。
今思えば、まだ大槌に社会福祉士が派遣されて1ヶ月程度で混乱期だった。
その方は、
包括に戻ると、サッと「食べてください」と南部せんべいの袋を差し出し、
小さく「これ、手紙」と言って指さした。
袋に封筒が入っていた。
中には、私には身に余る賛美といつか福岡に旅行に行きたいと書いてあった。
こんないいものを私はもらっていいんだろうか?
あの日とてもつらいことがあった方だ。
前回最後にお会いする日、「いつか家族旅行で来たい」と私が言ったら、
「そういう日が来ると思うといいですね」とふわっと笑って言った方だ。
感謝の言葉をもらうために来たわけではないけど、
激動のこの半年の間に、
私みたいな者が、
この方に手紙を書きたいくらいの嬉しい気持ちを起こさせたのだったら、
なんて光栄なんだろう。
私たちはあくまでも後方支援で、
時期が来たら去っていくことをわきまえた余所者である必要があることはわかっているのだけど、
だけど、だけど、とてもこの人が愛おしい。
なので、もしこれを読んでいる社会福祉士がいたら、
本部に言いつけるような無粋なことはしないでください。
大槌に観光が戻って、
私が家族旅行にやって来て、
この方が福岡というご陽気な土地に行ってみるなんて、
そんなことあってもいいでしょう?
そういえば、
料亭を始めるという話を聞いたよ。
土日は包括に来られないので、
釜石の拠点から大槌の仮設に通うことになる。
準備万端整えて包括を去ることになった。
班長さんや顔なじみの保健師さん、あの方はいなかったけど、
みなさんが立ち上がって注目してくれた。
なにか言わなければと、
「二回目に来させていただいてよかったです。
もしかしたら、みなさんの方が気づかないかもしれないけど、
草が生えていたり、瓦礫が片付いていたり…」と言っていたら、
のどの奥がしまって声が裏返った。
涙がポロポロこぼれた。
涙を流しているのに照れ笑いをしながら、
「あのとき『どうしよう』とばかり仰ってた方々から『これから』という言葉が聞けたり」と続けた。
そして、また来たいこと、最後は旅行で来ることを伝えた。
福岡だったら、拍手してはやし立てるところだけど、
こちらの方はジッと聞き入ってほほえんでらっしゃった。
私のパートナーも私と一緒に去るので挨拶を促した。
「どうぞ!でも…こんなあとやりにくいですよね」とおどけた。
思慮深くあまり気持ちを表出されない方が、最後まで手を振って見送ってくれた。
あの涙はなんだろう?と思う。
きっと来るし、きっと会えるから、
寂しいとかではないのだ。
ただただやるせない気持ちが募った前回と違って、
少しだけど進んでいることに私は深く感動しているのだ。
それでもまだまだだから、
また来ないといけないのだ。
ああそれまでに鮭が食べられるようになりたいな。
釜石の拠点に戻ると、
顔なじみになった財団の方がいらした。
私たちと同じ活動をされている方だ。
PCの操作が苦手で時々操作を教えたりお手伝いしたりしていた。
週末は名簿を打ち込まなければならずとても憂鬱だと仰った。
しかし、台風が近づいているため訪問できない可能性があり、
名簿の入力は私たちがやるつもりだと伝えると、
「週末休める」とホッとされていた。
そして、お土産の柚子ごしょうを渡すと「食べでみたかった!」と喜ばれた。
次は2月しか来られないだろうと言うと、
釜石から大槌までの道路が凍るから、拠点が大槌町内に移ればいいと心配された。
「九州の人間は冬は派遣してくれないだろうか」と言うと、
「そんなごどないよ!」と笑った。
雨脚が強まっている。
週末、少しでもたくさんの仮設住宅を回って、
お話を伺いたい。
思えば肝心なときにいつも嵐だ。
OTODAMA中止は私のせいじゃないですよ。
ヤツらのせいですよ。
雨が降ると困る。
仮設住宅の玄関先は狭く、
訪問すると気を遣われて、
家へ誘われる。
突然押しかけて申し訳ない。
こちらもビッショリ濡れているし。
台風はこれからも近づいてくるのだろうか?
土日は包括が閉まるので、
ひたすら訪問を続けようと思ったのに……
あの瓦礫と死臭につつまれていた赤浜に行ってみた。
まだ船は上がったまま。
錨は錆びていてもやる気は十分だ。
臭いがしない。片付いている。
ひょっこりひょうたん島が雨に煙る。
大阪府警が植えたようだ。
曲がったスイカ。
この家に植えられていた。
誰かが種をまいた。
開いてますあなたのローソン。
プレハブだけど。
ちゃんと、ローソンカードのポイントが使えたよ。
役場にはこんな車がいっぱいある。
月曜日から活動を始めた。
ただひたすら仮設住宅を回って、
高齢者台帳、介護予防チェックをしつづけた。
今日で平日が終わり。
包括支援センターは土日休み。
私は土日また仮設住宅を回る。
朝、前回ちょっとお話しできた職員の方とお会いできた。
「ああ、よかったですぅ。お会いできて…今日はこれから出張だから、
会えないかもしれないって思って…」とはにかんで仰った。
実は私たちと包括は活動以外の話をするのは、
1日に1分未満くらいだ。
それくらい包括に余裕がなく、私たち社会福祉士は私たちで活動しているのだ。
包括をある意味煩わせず、私たちだけで活動できるようにしなければならないと強く思い、
計画を立てて士会に訴えたのは前回の活動の時だった。
嫌な役目だと思ったけど、
士会に毎日電話した。
今思えば、まだ大槌に社会福祉士が派遣されて1ヶ月程度で混乱期だった。
その方は、
包括に戻ると、サッと「食べてください」と南部せんべいの袋を差し出し、
小さく「これ、手紙」と言って指さした。
袋に封筒が入っていた。
中には、私には身に余る賛美といつか福岡に旅行に行きたいと書いてあった。
こんないいものを私はもらっていいんだろうか?
あの日とてもつらいことがあった方だ。
前回最後にお会いする日、「いつか家族旅行で来たい」と私が言ったら、
「そういう日が来ると思うといいですね」とふわっと笑って言った方だ。
感謝の言葉をもらうために来たわけではないけど、
激動のこの半年の間に、
私みたいな者が、
この方に手紙を書きたいくらいの嬉しい気持ちを起こさせたのだったら、
なんて光栄なんだろう。
私たちはあくまでも後方支援で、
時期が来たら去っていくことをわきまえた余所者である必要があることはわかっているのだけど、
だけど、だけど、とてもこの人が愛おしい。
なので、もしこれを読んでいる社会福祉士がいたら、
本部に言いつけるような無粋なことはしないでください。
大槌に観光が戻って、
私が家族旅行にやって来て、
この方が福岡というご陽気な土地に行ってみるなんて、
そんなことあってもいいでしょう?
そういえば、
料亭を始めるという話を聞いたよ。
土日は包括に来られないので、
釜石の拠点から大槌の仮設に通うことになる。
準備万端整えて包括を去ることになった。
班長さんや顔なじみの保健師さん、あの方はいなかったけど、
みなさんが立ち上がって注目してくれた。
なにか言わなければと、
「二回目に来させていただいてよかったです。
もしかしたら、みなさんの方が気づかないかもしれないけど、
草が生えていたり、瓦礫が片付いていたり…」と言っていたら、
のどの奥がしまって声が裏返った。
涙がポロポロこぼれた。
涙を流しているのに照れ笑いをしながら、
「あのとき『どうしよう』とばかり仰ってた方々から『これから』という言葉が聞けたり」と続けた。
そして、また来たいこと、最後は旅行で来ることを伝えた。
福岡だったら、拍手してはやし立てるところだけど、
こちらの方はジッと聞き入ってほほえんでらっしゃった。
私のパートナーも私と一緒に去るので挨拶を促した。
「どうぞ!でも…こんなあとやりにくいですよね」とおどけた。
思慮深くあまり気持ちを表出されない方が、最後まで手を振って見送ってくれた。
あの涙はなんだろう?と思う。
きっと来るし、きっと会えるから、
寂しいとかではないのだ。
ただただやるせない気持ちが募った前回と違って、
少しだけど進んでいることに私は深く感動しているのだ。
それでもまだまだだから、
また来ないといけないのだ。
ああそれまでに鮭が食べられるようになりたいな。
釜石の拠点に戻ると、
顔なじみになった財団の方がいらした。
私たちと同じ活動をされている方だ。
PCの操作が苦手で時々操作を教えたりお手伝いしたりしていた。
週末は名簿を打ち込まなければならずとても憂鬱だと仰った。
しかし、台風が近づいているため訪問できない可能性があり、
名簿の入力は私たちがやるつもりだと伝えると、
「週末休める」とホッとされていた。
そして、お土産の柚子ごしょうを渡すと「食べでみたかった!」と喜ばれた。
次は2月しか来られないだろうと言うと、
釜石から大槌までの道路が凍るから、拠点が大槌町内に移ればいいと心配された。
「九州の人間は冬は派遣してくれないだろうか」と言うと、
「そんなごどないよ!」と笑った。
雨脚が強まっている。
週末、少しでもたくさんの仮設住宅を回って、
お話を伺いたい。