まだそれだけしか経ってないんだなぁと思う。
いつも、
東日本の時を思い出して、
「あのときっだったら、まだ3月末なのだから仕方ない」と思っていた。
モモが図工で牛乳パックが要るからと持って行った牛乳、
未だに売られていない。
私は熊本市の福祉避難所のボランティア募集に応募した。
避難所等における障がい者・高齢者支援ボランティアの募集について
※今でも募集されているので全国から応募できます。
専門性を生かしたい福祉職の人は社協ボラよりよいと思います。
すぐに電話がかかってきて、私は高齢者の施設(福祉避難所)を紹介された。
避難所の人と直接やりとりして、
高速が寸断されていて渋滞も酷そうだったので、
JRで行くことにした。
初めに熊本に行ったときは、
やっと新幹線が熊本まで走り始めて2日目だった。
各駅停車のつばめしかなく、
博多駅自体も閑散としていたが、
九州新幹線のホームもそれほどの人ではなかった。
新幹線は玉名からずっと徐行で、
ノロノロと進んだ。
徐々にブルーシートの屋根が見えてき、
遠くに熊本城が見えて、
喉の奥がギュッと締まった。
熊本駅のホームはエスカレーターが壊れていて、
けっこう歩いた。
リュックにすればよかったと思った。
熊本駅で乗り換えだった。
ワンマン列車に乗って数駅。
ネットワークは被災地モードになっていた。
全く予定通りにJRが動かず、
着いたのはもうお昼近かった。
駅までスタッフさんに迎えに来ていただくのが心苦しかった。
福祉避難所となっている高齢者の施設に着くと、
とても混乱されていた。
あいさつもそこそこに、
みなさんの見守り、話し相手みたいな活動をした。
もともと入所されていた方に対して、
ショート扱いで来られているので1.5倍くらいになっているらしい。
つまり、全然知らない要介護度の高い人たちをたくさん受け入れてらっしゃるのだ。
ベッドは廊下にまであふれていた。
まだ断水状態が続き、
トイレ、食事など衛生にも細心の注意を払わなければならない。
スタッフさんたちはとても疲れていた。
私なんかがどれだけ役に立つのかわからないけど、
認知症の方のお相手をさせていただいた。
おうちに帰りたくなられた方を説得したり、
昔の楽しいお話を伺ったり、
心配事を聞いたりした。
解決はできないことばかりだけど、
急にここに泊まることになった方、
急に人が増えて不安な方の、
気がまぎれてもらえたらと思った。
お昼ご飯を食べそこね、
夕方、別にボランティアに来られていた介護士の方の車で、
玉名まで送ってもらい、
そこから在来線で大牟田のマツコさんの家に向かった。
マツコさんちでは、
なんだか歓待を受けた。
特にウンメイくんには歓待を受けた。
熊本市内はまだ全く宿など取れない状態だったので、
シュラフ生活も覚悟していたけど、
布団で寝られる幸せ。
フラカン超初期ファンのマツコさんと、
フラカンの話をする幸せ。
ボランティアは自己完結。
被災されている方に迷惑をかけないよう、
自分で手配します。
次の日はマツコさんも仕事だというので、
一緒に家を出て新大牟田駅まで送ってもらって新幹線で熊本駅へ。(この後もマツコ一家に送ってもらうと、いつもギリギリになる)
まだボランティアに入るには早い時間なので、
少し熊本市街を歩いてみる。
熊本駅は閑散としていた。
塀がねじれていた。
石垣が落ちていた。
歩道は割れていた。
熊本城は入れなくなっていた。
神社が崩れていた。
痛々しい。
ホテルは暗かった。
公園
あのにぎやかな通町筋。
大好きなお店。
大変だったらしい。
二日目は、
食事の介助や一緒に施設内のお散歩など、
高齢者との関わりだけであれば、
楽しかった。
ボランティアはもう一人看護師さんもいらっしゃって、
みなさんのお髭剃りや爪切りなどされていた。
清拭はするものの、
お風呂に入れないので、
みなさんサッパリされて嬉しそうだった。
スタッフの方々も、
きっとそういうことを楽しむ方々なのだと思うが、
今はその余裕なかった。
また来ることを話して去った。
帰りの新幹線はすし詰め状態で、
食事もまともに取れてなかったので、
立ったままお菓子を食べた。
家に帰ると倒れこんだ。
無理矢理ボランティアに行っていたので、
仕事が込んでいた。
たった2日、
コンビニ飯を食べただけで調子が悪くなったので、
お弁当を作った。
フラカンのお弁当箱。
間仕切りもない1段弁当箱なので工夫が必要。
3日働いて、
また熊本に赴いた。
こんどはバックパックにしようと思って引っ張り出したら、
私は洗ってなかったらしい。
昔アジアをウロウロしていたころのに比べたらきれいなものなので、
感覚がマヒしていたようだ。
こんなに長くなおしこむと思ってなかったし。
nemuriさんからもらったお守りがついていた。
奇しくも申年年女である。
花巻空港のタグも。
災害支援用のバックパックになってしまった。
もっと楽しいことに使っていいのに。
新幹線は、
直前にJR西日本相互乗り入れができるようになっていた。
本数が増えてホッとした。
グリーン車以外は指定できないのは相変わらずだった。
熊本の観光列車に偶然会った。
そういえば、
阿蘇を走るあそボーイは、
北九州の方に出張に来ることになっていた。
普通通りにいかない。
この日も高齢者の介助やお話し。
みなさんに、
ずいぶん顔を覚えられて嬉しい。
ゴールデンウィークなのもあって、
少しボランティアさんが増えていた。
OTさん、ヘルパーさんなど活躍されていた。
私はレクなどが苦手な方のお話を伺っていた。
これまで、
認知症は大変で悲しいことなのかもしれないと思ってきたけれど、
認知症の方のお話は素晴らしいファンタジーの世界だった。
魅了された。
ここに到達するまで、
ご家族やスタッフさんの寄り添いがあったに違いない。
この日も、
大牟田のウンメイくんの家(マツコさんちともいう)に泊まった。
ご家族が快く受け入れてくださって助かる。
次の日は、
私はこの福祉避難所を最後の日にしようと思っていた。
自分の仕事や家族をほったらかしにしている。
私自身も、多分とても疲れているのだ。
気持ちが高ぶっていて気づいていないだけで。
夕方ギリギリまでお手伝いさせていただいて、
最寄り駅まで送ってもらった。
約束があった。
あのギターが巧い男の子のいる店に行くと言っていた。
私が着くと、
マスター、ママさん、男の子2人、
みんなで待ってくれていた。
きれいに元通りに見えたけど、
震災直後の写真をみせてもらって絶句した。
美味しいお通し。
高い酒から割れてしまったとマスターが明るく言ってたけど、
凹んでるにちがいない。
PAもだましだましだそうである。
あのSGも傷が入った。
そこにボランティアで東京からかけつけたアリさんがやってきた。
久しぶりに盃を交わす。
ギターを弾いてくれたり、
いろんなお宝映像を見せてくれたり。
私たち以外はお客さんがいなかった。
土曜日の夜なのに。
そのとき、
若いご夫婦が現れた。
本当は今日結婚式と披露宴で、
二次会をこの店でするはずだったそうだ。
籍だけ入れてきたそう。
おめでとう!
なにもできないので、
私とアリさんでファーストドリンクを奢った。
お店からは花束のサプライズ。
一緒に暮らしたいけれど、
今、家がなくて困っている方がたくさんいるので、
しばらくは別々に暮らしていくそうである。
最後は親切に熊本駅まで送ってくださった。
二人の未来に幸あれ。
こんな感じでした。
これからはボチボチとシフトを調整して、
ぷらんぷらんのスタッフを派遣しようと思います。
私は、
また社会福祉士会の支援体制が整えば、
そちらで参ります。