私のような音楽ド素人が書くディスク・レビューにどれだけ意味があるんだと思う。
個人的感想を書いてるだけなので、みなさんそんなに参考にされないように。
日常から言葉や行動の分析に明け暮れている私に目をつけられたのは、
気の毒としかいいようがない。
まあ、好きなものしかこんなものを書く気にならないですよ。
ケーヤンが「やりたいことをやりたいだけやって」それを全部ささげた一枚ですわ。
思いつき…いや失礼、思い立って、いてもたってもいられず、
短期間で作ったライブハウス限定販売ディスク。
前回の「Smile&Destroy」はケーヤンとその仲間たちであるGOGOGO‘Sのものだから、
これが本当のケーヤンのファースト・ソロアルバムになるだろう。
基本的にケーヤンが演奏して歌っているやりかた。(別名山下達郎方式)
ここまでウルフルケイスケを押し出したものが今後でるのかどうかわからないので、
そういう意味ではファン涎垂の一枚になるだろう。
ただし、
急遽仕上げた感が否めず、
このディスクがオールラウンダーであるとは言えない。
というのも、
初聴は泊まっていた深夜の凹子んちなのだが、
ミニコンポで音を抑えて聴くと、
アコギ中心のこのディスク、
ギターの繊細な部分が飛んでしまって、とても平坦な音に聴こえ、
「これはケーヤン、やらかしちゃったんじゃねーか!?」と思ったからだ。
ところが、
私の個人所有物としては一番いい音を鳴らすコペンのカーステで聴くといいのだ。
私の大好きなケーヤンのギターがたくさんつまっていた。
私は素人なのでよくわからないんだけど、
いっぱい録ってトラックダウンするというよりは、
録ったものを「全部」足して、
多少トラック調節はしただろうけど、そのまんま出したみたいな音だ。
家の台所で小麦粉とイーストと塩と水だけで作ってみた、
あまりふくらまなかったパサパサのパン。
企画会議を経ていろいろ計算され、
時間とお金をかけて作られたヤマザキダブルソフトを食べつけてる人には、
いただけないかもしれない。
ケーヤン手作りのパンは、
口当たりは悪いけど、よく噛んで食べると素朴で旨い。
私はケーヤンのギターという極上の小麦粉で練られたこのディスクが旨いのだ。
あと、
全体的に良くも悪しきもケーヤンの息づかいが漏れ聞こえて、
生ケーヤンと出会える一枚だ。
うん、たまらんですな。
ケーヤンはすぐ「全部」になっちゃう。
「完全に」という言葉を普段からよくつかう。
「一生」なんて言っちゃう。
「ずっと」なんて約束しちゃう。
こんな風に表層的には曖昧がない完璧なケーヤンは、
表情に笑顔を選んだ。
笑顔に曖昧を押し込んでいるのだ。
だから、
ケーヤンが笑うと、
私は切なくなってしまうのだ。
「無理せんでええよ」と言ったら、
「無理してへんで」と笑って答えるだろう。
「それならよかったわ」と言うだろう。
でも、女は本当に安心してるんじゃないんだぜ。
強がらせておいてあげてるんだぜ。
男と女の間は嘘でできている。
男は辛くないと嘯き、守ってやると嘘をつく。
女は辛さに気づかないふりをし、守ってもらっている演技をする。
ラブソング押しのこのアルバムは、
笑顔でリアルを隠し、
お互いを思いやる男女の愛でできている。
先日のライブでI love you,OKがかかったわけだが、
あの選曲もなるほどなぁと思った。
(作詞は永ちゃんではないけど)永ちゃんを代表するナンバーであるこの曲でも、
永ちゃんは「俺の愛のすべてを捧げる」のである。
ただ、
I love you,OKは、「俺とおまえ」の到達点として、
俺の愛のすべてを捧げるのであるが、
ケーヤンが捧げている愛は現在進行中で生々しい。
だいたい、ケーヤンは「俺」とか「おまえ」とか言わない。
「僕」が「君」に捧げるのだ。
「君」の方が「僕」より高いところにいる。
そこに高らかに愛を差し上げるのだ。
このあたりがケーヤンの方がリアルだ。
人がI love you,OKに酔いしれるのは、
そんな男いない(いや、永ちゃんはそんな希有な男の一人なのかもしれないけど)のはわかっているけど、
でも男ならそうしてやりたい、女ならそうされたい…という男女共通の幻想を見たいからだ。
でも、
ケーヤンの曲は、どこにでもいるフツーの男がどこにでもいるフツーの女へ愛を捧げていて、
実に生々しくリアリティがある。
さて、
一曲ずつ聴いていこうか。パキリポキリ。(←指を鳴らしてます)
001. MAGICAL CHAIN TOUR
[acoustic guitar, tambourine, marakasu, hand-clap, cowbell, vibraslap]
[cho.Kyohei Hayakawa]
ライブでも最初にかかった曲。
「さあさあライブが始まるよ」という曲です。
今後もMCTやMCCのときは最初にかかるんじゃないかな?
いかにも会場にclapを求める感じの楽しい曲。
こういうのいいいよね。
002. ずっと歩こう
[acoustic guitar, electric guitar, tambourine, marakasu, hand-clap, glocken]
何があっても守ってあげるなんて嘘つくんじゃないよと思うけど、
女はほほえんで「ありがと」と言うだろうな。
「ずっと」なんて信じてないけど
この人と少しでも長く一緒に歩けるんなら、
その嘘を信じたふりをするのが女なのだ。
男が泣いたことを女は知っているけど、
知らないふりをしてあげてるんだよ。
強がって笑ってる男と、知らないふりして笑ってる女は、
お互いをとても大事にしている。
明るい曲調のエンディングに細かいアルペジオ入りのソロが入り、
「ずっと」を感じるんだけど、
最後にジャン!と一振り入って終わる。
やっぱ「ずっと」なんかなくて、
終わっちゃうんじゃないか。
003. 大きな川のそば
[acoustic guitar, harp, tambourine]
楽しいことだけ拾って、苦しいことは投げ捨てて、
涙を流すのは淀川のほとりだけで、
それ以外は笑って生きていく。
やっとやっとの音源化。
この古い曲を今歌っても違和感がないということは、
ケーヤンは変わってないんだなと思う。
きっとケーヤンは今でも心の中に淀川が流れている。
そのとき一緒に苦しいことを投げ捨てた「みんな」は変わってしまったんだろうか。
明るい曲調、軽いハープと軽快なギター。
そして、
この曲には私の好きなケーヤンの弾き癖満載。
ジャッとミュートがかかるときのギター歯切れのよさ。
心臓が高鳴る。
004. 一緒に出かけようのブルース
[electric guitar, hand-clap]
「ヘイヘイ」で始まり、エレキ一本。
ボーカルとのユニゾンからのジャキジャキ。
ブルージーに悪ぶるケーヤンだけど、
かわいいのだ。
恋にとりつかれた男が、
彼女に「一緒に出かけよう」と誘う。
「君」じゃなくて「彼女」と言ってるところが、
まだまだ彼女との距離感を感じるんだけど、
最後に「一生出かけよう」となっちゃってるところに、
「一緒に出かけよう」と言えない男の暴走した妄想を感じる。
かわいいのだ。
005. イクツニナッテモ
[acoustic guitar, tambourine]
別れた人に向けたアコギの似合うラブソング。
だいたい、男が昔の女のことを想い出すときってのは、
今がうまくいってないときだ。
いや狡い曲ですよ。
イクツニナッテモ君を想い出すくせに、
イクツニナッテモ人を好きになってる。
今好きになってるその人、「君」じゃないでしょ?
別れたわけだから、
いろいろ悪いことがあっただろうに、
美しい想い出だけを紡いでる。
男に言いたい、
感傷的になってるんじゃないよ、女は君のことを忘れている。
まあ、
これは男も気づいているわけで、
「なーんてね!」って感じでジャンと一振りして終わる。
006. DOWN ON THE CORNER
[acoustic guitar, tambourine, marakasu, hand-clap, cowbell, vibraslap, claves]
Written by John C. Fogerty
(c) 1969 by Jondora Music / Rights for Japan cotrolled by Victor Music Arts, Inc.
これはcoverですね。
この曲好きだからギターで弾いてみた!っという素直な仕上がりです。
一人で「Whooo!」「ヨイショ!」「ハイ!」と盛り上がっているケーヤンを思うとかわいい。
007. 全部
[acoustic guitar, harp]
でた「全部」。
タイトルにしちゃった。
いいことも悪いことも全部話してくれるらしい。
全部丸投げ。
多分女は、「そうかそうか」「そうなんだ」と、
何も評価せず聞いてるんだろう。
暖かい空間。
音をそっと置くような、
丁寧なストロークが、優しい指が、目に浮かぶ。
好き。
008. サヨナラとはじまり
[acoustic guitar, electric guitar, harp, tambourine]
これは第三者としてのケーヤンが歌う応援歌。
「サヨナラ」と出てくるので、別れの曲かと思いきや、
はじまりの曲だな。
何かに踏み出すときは、何かとサヨナラしないといけないときもあるんだな。
アコギのバッキングに、時々織り込まれるエレキが効いてる。
アコギは歩いてる「君」、エレキはそれを励ましているケーヤンでしょうか。
歩いてる心細さをHarpが表現している。
この曲好きです。
009. 君に捧げよう
[acoustic guitar, harp]
定番曲。
8ビートの3,7拍目に来るアタックが、
私のツボです。
猛烈なラブソング。
やりたいことをやりたいだけやって
生きたいように生きるだけ生きて、
走れるうちは走れるだけ走って、
それを全部ささげられたら…重いよ。
それも、
こっちの意思は無視して、
あなたがやりたい放題したものでしょ…勝手だよ。
でも、
それを満面の笑みで「どうだ!いいだろ!」ってささげられたら、
こっちも満面の笑みで「ありがとう」って言っちゃうんだろうな。
男と女は嘘と虚構でできている。
こんなに虚しいという字がでてくるけど、
愛で満ちあふれている。
男のそういう馬鹿なところを受け入れている自分が好きなのが女なんだよ。
…と、くどくど書いてきたわけですが、
全体的にケーヤンの息づかいが聞こえるコアなファンにはたまらんこのディスクではありますが、
これはちゃんとバンドサウンドに録りなおして、
ボイトレもようこ先生ついてバリバリやって、
もっとたくさんの「君」にささげてください。
Oriental Surferも入れてください。
GOGOGO‘Sが別にあるので、
できれば打ち込み少なめの方向で!
ケーヤンはすぐ歩きだす。
ときには走り出す。
今はリアルによく走っている。
ケーヤンはそこにずっととどまっているのが苦手だ。
希望に向かっていくのか、逃げていくのかわからんが。
そして、
誰かと一緒に歩きたい寂しんぼうみたいだ。
ケーヤンの曲は一人称の独りよがりでありながら、
いつもそこに「誰か」の息づかいを感じる。
その誰かになりたくて、
「よし、私が一緒に歩きましょう☆」と思わせちゃうところがある。
書きたいだけ書いたこの感想を全部ケーヤンにささげよう。
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