Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

9月19日(月) 原理講論

2022-09-19 23:43:00 | 日記

台風接近で、夕方からかなり強い風が吹くようになってきました。九州、四国では相当な被害が出ているようで、心配です。

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何事も一知半解では先に進めない、とカッコよく言ってみても、事はそんなに簡単ではありません。

私の学生時代に受け付けなかった「統一原理」なるものも、原理ではなく、そもそもの入口、つまりそれを信じ実践しようとしていた学生たちの立ち居振る舞いが、とうてい受け容れられるものではなかったという一事に拠っています。
それからも、「統一原理」について知る機会も、もともとその気もなく、今日まで来てしまいました。しかし、安倍射殺事件のおおもとに、これを教義とするカルト団体の存在があり、自民党の幹部だけではなく組織ごと、この集団と抜き差しならない深い関係をもっていることが明らかになるに及んで、この「統一原理」なるものに、いささか興味を覚えるに至りました。

霊感商法や高額の寄付といった外面の行為もさることながら、信者を惹きつける教義にも目を向けなければ、今日の問題を考える土台はつくれない・・とまあ、考えたわけです。
彼ら(自民党など)は、果たしてこの教義を理解した上で、関係を持とうとしたのか、それとも単なる家族観や勝共、選挙といった利害のみで利用しようとしたのか。

前置きが長くなりましたが、要するに、旧統一協会(世界基督教統一心霊協会)のバイブルとされる「原理講論」を入手して、いま読み始めているところです。ところが、メチャクチャ細かい字で難解な宗教用語が詰め込まれているので、キリスト教の「聖書」に関する知識がなければ、その意味もわからないシロモノ。
ただ、単にそれだけでは日本の若者たちの信を得ることは出来ないでしょうから、いろいろと現代のさまざまな事象や科学の知識などもちりばめているので、それなりに読み進めることはできます。

まず、原理講論のはじめには、序文にあたる「総序」が置かれています。
書き出しはこうです。入口としては、かなり「魅力的」です。

人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。・・・それでは、幸福はいかにしたら得られるであろうか。人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。・・・

大抵の人なら、矛盾だらけのこの世において、複雑な心情を抱いていることは否定できないことです。貧困から抜け出し、少しでも家族を楽にさせたい。納得出来る仕事を見つけたいが、あるのは非正規の人間扱いされない仕事ばかり・・・。

そして、講論は、矛盾に満ちた人間の心性を次のように分析します。

ここにおいて、我々は、善の欲望を成就しようとする本性の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を志向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性を持つようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。
・・・
このような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。

そうなのか・・・とつい相づちを打ちたくなるような書き出しですね。ところが、その後、このような結論は、もはや誰も反駁する余地もないが、この善と悪とがそもそも何であるかを知らないままでいるとして、いろいろ語った末に、次の結論に到達するのです。

真理の目的は善を成就するところにあり、そしてまた、善の本体は神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に堅く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである。

神の救いの摂理が完全になされるためには、この新しい真理は今まで民主主義社会において主唱されてきた唯心論を新しい次元にまで昇華させ、唯物論を吸収することによって、全人類を新しい世界に導きうるものでなければならない。・・・
この真理は、あくまでも神の啓示をもって、我々の前に現れなければならないのである。それゆえ、神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち文鮮明先生である。

・・・先生は、単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと戦い、勝利されたのである。そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。

こうした教義は、どんな宗教であれ持っているのでしょうが、聖書をもとにしてあれこれ「分析」している割に、最後に到達する結論は、極めて非論理的であり、荒唐無稽であり、宗教というには余りに卑俗なものです。
ただ、難解な聖書の引用などを使いながら、人間がいかに堕落したか、それからの救いをどのように求めるのかを理屈っぽく説いており、それに洗脳されてしまえば、結論はどんなものでも受け入れざるを得ないのでしょう。

イエスが霊としてではなく肉体を持った人間として再臨されるというのが、1つの教義なのですが、講論の終わり頃には、「イエスはどこに再臨されるか」という節があり、そこでは、肉体をもって再臨されるのであれば「ある選ばれた民族の内に誕生されるはずである」として、それはどこなのかを解明していくのです。もちろんその民族が属する国とは「韓国」だと結論づけるのですが、この理由が実に生々しくて面白い。

東方に位置する国が何故日本ではないのかという下りでは、過去の日本の植民地支配の実態を告発しており、その限りでは全く正しいのですが、「サタンの第一の本性が侵略性」という立場からは、日本はサタンの国であり、韓国は苦難の歴史を歩んだ選ばれた国ということになるのです。

教祖文鮮明氏は、キリスト教の教義については相当な博識であり、至る所で聖書を引きながら自らの考えを対置していくのですが、この辺りは知識のない私にはとてもついてはいけないところ。しかし、「唯神論に唯物論を吸収する」だとか、「宗教と科学を統一する」だとか、「世界を創造神こそ科学の根本」だと言われると「何のこっちゃ」と、彼の頭の中を疑ってしまう。

ただ、現実世界の問題として世界史の流れを宗教的に「解明」していて、例えばスターリンはサタンの再臨型であり、共産主義を壊滅する第三次世界大戦は避けられない、ただし、武器ではなく、新しい真理による「すべての主権を神の前に取り戻して天宙主義の理想世界を実現する」ことによって・・・と、政治の世界に話が広がってくるとなるとやっかいです。

共産をサタンの側と位置づけているあたり、反共意識は極めて強烈で、一般的な宗教とは相当に異なる。この点こそ、「勝共こそキリスト者の聖使命なり」(久保木修己勝共連合初代会長)として日本で受け容れる接点となっているのでしょう。

信ずる信じないは内心の自由に属する問題ですから、信教の自由は完全に守られなければなりません。しかし、世俗の問題として政治・経済にその信仰を持ち込んだり、反社会的な行為に及んで他人に害を与えたりするようになれば、それは次元の異なる問題となるわけで、それ故日本では「政教分離」を厳しく求めているのです。それは戦前日本の苦い教訓でもありました。

原理講論について、ちょっと長々と引用したりしましたが、結論から言うと、わざわざ手にとって読むほどの価値もない駄文だというのが私の最終結論です。


9月18日(日) 日本共産党創立100周年 記念講演会

2022-09-18 21:21:32 | 日記

昨日は、日本共産党の創立100周年記念講演会があり、メインの志位委員長の長時間にわたるお話を聞きました。
その中で、共産党がいかに現綱領を確立していったかを、党の歴史に即して解明した部分があり、とりわけ外国(ソ連、中国)から国内の内通者を介した干渉・破壊攻撃といかに闘ってきたかを具体的に語っていたのですが、おそらく50代以下の党員、支持者の方々では、十分には知らなかったこともあったのではないかと大変興味深く聞きました。

1960年代では、共産党の機関紙はカタカナの「アカハタ」で、1964年に大学に入学してまもなく読者になりました。当時は、61年綱領を確立した直後で、主に全国の大学と企業、公共団体、学校などで急速に影響力を広げていった時代。日曜版が創刊されて、その読者が怒濤の勢いで広がった時代でもありました。

私自身は、そんなに簡単に共産党の支持者になったわけではありませんでしたけれど、新聞に掲載される論文などは、欠かさず目を通しており、私の周りの党員たちも高い理論的レベルの人々が多かったこともあり、強い影響を受けることになったのです。
当時、ソ連からの干渉やその後の中国からの干渉という2つの大きな分裂・破壊攻撃と正面からたたかっていた日本共産党の姿は、傍目からみても頼もしく「アカハタ」の論文を詳細に読んでいたことを思い返します。

当時、私の関心事は将来の教育現場での活動への準備でしたから、実践なしの理論には直感的に受け付けないところがあって、特異な「理論」を振りかざす学生たちの運動には違和感しかありませんでした。大学ではごく少なかったとはいえ、それなりに勢力を持っていた極左派の学生たちにも生理的嫌悪感しか抱けなかったし、当然ながら、当時大学で影響を広げていた「原理研究会」も同様。
振り返れば、この当時の経験が、その後の私の骨格を作ったのだと、感慨深く思い返すのです。 

志位さんは、講演の中で、紙面のほぼ全文を使った批判論文を掲載した当時の新聞のコピーを示していましたが、まもなくそれらはパンフレットとしても刊行されましたから、私も入手して、友人たちと議論していたものです。今では考えられないような時代でしたね。

下は、1964年4月発行の「ケネディとアメリカ帝国主義」(私が大学に入学した年の発行です!)と、1967年5月発行の「極左日和見主義者の中小と挑発」(志位さんが紹介していた論文です)。これらは私の書庫で保存していたもの(かなり黄ばみがすすんでいる)ですが、持っている人自体珍しいんじゃないかなあ。

それはともかく、この日の記念講演に先立って、4人の方からのメッセージが紹介されており、そのうちの1人、俳優の仲代達矢さんのメッセージには、自分の貧しい子ども時代のことを振り返りながら、戦前から節を曲げずに戦い続けてきた共産党への思いが率直に語られていて、印象的でした。

 共産党の存在を知ったのは戦後です。私の家は貧乏のどん底で、高校は夜学。自分がみじめで、昼間部の生徒と会わないよう裏道を通って通学しました。
 その頃、貧しい者の味方として世の中に現れたのが共産党でした。戦争中も弾圧に屈さず、反戦を貫いた人たち。以来、私は共産党のファンです。


9月18日(日) 台風接近&出所不明ビラ

2022-09-18 21:06:14 | 日記

台風14号が九州を縦断するコースをたどり、強風と大雨による被害が懸念される事態に。事前の対策をしっかりして、被害が少しでも低くなるよう願うばかりです。

この台風は、鹿児島上陸時に935hPaという、最近では見られないような低い気圧。
下は徳島新聞掲載の過去の記録です。

この記録を見ると、気圧が最低だったのは1961年に四国東側に上陸し淡路島へと進んだ第2室戸台風。この時には925hPaだったといいます。室戸台風の風速は計器も壊れるほどで、気圧の低さのために海面が吸い上げられて、各地で高潮被害が発生しました。徳島新聞電子版は、このときの模様を教訓として詳しく紹介しています。

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今日も、午後から妻と畑に出かけて草取り(午前中は、家の向かいの法面の除草)。毎日毎日、草とのたたかいが続きます。草取りが終われば、前にも書いた通り、新しい作物の植え付けのために、耕運機で耕作して施肥、畝を作ってマルチがけ。そんなことを延々と続けています。そのために、腰はもちろん、手首なども痛くなり、身体もあちこちが悲鳴を上げている状態。まだ、全く先が見えません。

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さて、話は変わりますが、先日友人が「こんなものが撒かれているらしい」と1枚のチラシを見せてくれました。
「池田町議会に不満を持つ町民」の名で、「池田町議会の議員定数を1/3減らして財政改善を!こんな議員は要らない!議会解散!合併も視野に!」という、多分ここまでがタイトル。表面から裏面まで、ほとんどが数人の議員の行状をあげつらっているだけ。勢い余ってか、元副町長憎しが募ってか、現在審議が続けられている行革委員会に対する偏見も披露。今は、どこまでこのチラシが配られているのか確認できないので、こんなものがあるという程度にしておきますが、必要なら事実に即して批判することもやぶさかではありません。

1つだけ、事実を指摘しておきましょう。行革委員会について触れた次のような一文があります。

今の財政改革委員会は宮島氏など一部の人の意見で成り立っている委員会のようですね。

すでに、事実に関する誤りが2箇所。池田町で現在審議が続けられているのは「行財政改革推進委員会」(略称:行革委員会)であり、財政委員会などは存在しません。また、宮島氏という人も実在せず、これは元池田町副町長の宮嶋氏のことでしょう。
これらは、ご愛敬としておきますが、一部の人の意見で成り立っているという評価は聞き捨てできません。しかも「ようですね」というのですから、他人の評価を借りて、自分の意見であるかのように見せています。こんな手口では、知識のない町民は騙せても、当事者たちまで騙すことはできません。謀略の手法をとったつもりでしょうが、無責任を通り越して無知をさらけ出していることに気がついていないらしい。委員会のメンバーが聞いたら、全員激怒することは間違いありません。

この行革委員会がどのような議論を行っているのかは、議事録で明白です。
前半の何回かは除いて、最近はずっと私自身が議事録をまとめており、誰がどのような発言をしているのかをすべて詳細に記録しており、資料とともに役場のホームページで公開していますから、多少でも関心があるのなら手間を惜しまず調べるべきだし、こうした公的な記録をもとに、問題点があれば事実に即して言及すべきです。

まあ、名前も出せないこのようなお方にそのような注文をすること自体無理筋でしょうし、こうした出所不明の「怪文書」は無視するに限るという人もいますけれど、そうはいっても、間違ったことは正さなければならない。

過去には何度もこれに類した文書が撒かれたことがありましたけれど、こうした謀略ビラ程度のものでしか自分の鬱憤を晴らせないのですから、可哀想というか哀れというか、例え直接議論したとしても、何の益も進歩もないことだけは断言できます。


9月11日(日) 沖縄県知事選 玉城デニー候補当選確実

2022-09-11 21:29:01 | 日記

今日投開票の沖縄県知事選挙で現職の玉城候補が当選確実となった。開票と同時に当確報道があったくらいだから、かなりの票差が付くのではないかと推測されます。よかった、よかった。奮闘された玉城陣営のみなさん、支持された沖縄県民のみなさん、お疲れ様でした!

自公推進の佐喜眞候補は、少なくとも過去3回、旧統一協会関係の集会に直接参加しています。
2019年9月には同協会が台湾で開いた「祝福式」に参加。2020年1月には日本基督教団沖縄教区カルト問題特設委員会が、このことを重く見て、「知らずに(カルト集団のイベントに)参加することのないように」との呼びかけを行っています。ところが、その直後の2020年2月には同団体の関連団体(天宙平和連合)が韓国で開いた会合にも参加。わざわざ韓国まで出かけているのですから、カルト集団に骨がらみだったことは明らか。
有権者は、基地問題への厳しい姿勢だけではなく、そうしたことも当然視野に一票を投じたのでしょう。

八重山諸島は、台風の直撃で大変な状態に。以前は、北西に進んでいた台風が沖縄本島付近で方向を替えて本州に近づくコースをたどることが多かったのに対して、気候変動の影響からか、大型になると同時にコースも大幅に変わってきているように思えます。台風に慣れているとはいえ、桁外れの規模ですから、沖縄県の皆さんに大きな被害がないように願うだけです。

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今朝、7時前にベランダで休んでいたら、昨日訪問してくれた東京からのお二人が車で通りかかり、さわやかに挨拶をしてくれました。6時過ぎから朝のドライブに出かけたようで、これから民宿で朝食だと言っていました。
今日も、朝からよい天気に恵まれ、昨日は見えなかった北アルプスの嶺々もかなり見えたようで、嬉しそうでした。ここしばらく、全くアルプスは見えなかったので、昨夜の月といい、奇跡的です。安曇野も歓迎してくれていたのでしょう。
今日東京着は遅い時間になるでしょうが、道中何事もなく無事に帰宅されるといいですね。時間を見て、安曇野の印象などをぜひお聞かせください。

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しばらく畑に出かけられなかったので、今日は少し日が高くなってから午後3時頃まで、ラッキョウの掘り起こしに精を出していました。取り残しが沢山あって、もう新芽が伸びてきているので、植え替えをしなければならないのです。
本当なら7月頃掘り起こして、今頃植えるはずだったのに、全く手つかずになっていたのですから、畑の状態は推して知るべしです。ちょっと見ない間に、またまた草ボウボウ。

明日から、畝を作って、ラッキョウ、ニンニク、その後タマネギなどを植えなければなりません。さらに、ネギの苗床をつくって種まき。10月初旬にはイチゴの定植が待っていますから、畑仕事はいよいよ忙しくなります。
畑の面積を今年の半分くらいにしつつ、効率のよい植え付けを工夫しなければならないので、なかなかしんどいものがあります。


9月10日(土) 東京から訪問客と楽しいひととき

2022-09-10 21:02:53 | 日記

それほど遠くない時期に東京から移住を考えてもいいかなという思いを持っていらっしゃる方(50代女性とその息子さん)が、今日わざわざ私を訪問して下さいました。東京時代の知人の紹介で、私のホームページもご覧になり、安曇野がどんなところなのかを実際に見てみたいということでした。

JR穂高駅まで電車、駅でレンタカーを借り、午前11時頃わが家に到着。しばらく休んだ後、私の案内で池田町・松川村の主な施設を一回りしました。
お住まいは東京で、千葉県境に近い場所。Google Mapで見ると、再開発が急速にすすんで、マンション類がひしめくように立ち並ぶ住宅地。東京に住んでいた私の経験から言っても、仕事や文化面での利便性は確かにあるのかもしれませんが、ほとんど緑のない環境では、落ち着いて自らの生活を作り上げていくという点では制約が多いことは間違いありません。

見晴らしのよいクラフトパーク一角の食堂で食事をしながら、その後はわが家で、妻も交えながら、田舎暮らしのよさや問題点などについて、いろいろと語り合いました。
都会では味わえない、田園風景の広がりや豊富な作物の実りなどを実感し、いなかの豊穣さを味わっていただけたのではないかと思います。

もちろん、人と人との繋がり、関係性は、こうした田舎暮らしでのポイントですから、安易な憧れだけでは移住は難しいでしょうが、こうして事前にそこで暮らす人たちと結び付きを深め、情報を集め、人生の目的をもって生活を始めるなら、土地に馴染み、有意義な第2、第3の人生を始めることが可能でしょう。今日訪問して下さった方のお話を聞いていて、きっとそうできるに違いないと思いました。東京に住んでいた頃の私なら、早く池田町に移住したいと思ったに違いありません(自己満足)。

昨日の夕方まで、雨がザーザー降っていましたが、今日は一転暑いくらいの好天気。夜に入って、中秋の名月がくっきりと現れて、辺りを照らし出していました。晴れて本当によかった。(下は相変わらずのボケボケ写真、なぜか電線の前に月が写っている)

今日は、すぐ近くの民宿でお泊まりです。その主も何年か前に池田町に移住し店をオープンしたばかりの方ですから、きっと話が弾んでいるのでないでしょうか。明日は黒部ダム方面に足を伸ばすということでした。どうぞ、道中お気をつけて。

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7日に行革委員会があり、その議事録の作成でまるまる3日間取られ、何とか今日1日空けることが出来ました。

これからは、また畑仕事と町の仕事で追われる日が続きます。