Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

3月16日(火) 「運営」から「経営」へ その末路は?

2021-03-16 16:50:33 | 日記

2日間にわたった池田町議会一般質問が終わりました。質問したのは議長を除く10名中7名。
このうち6名が財政危機問題について質問したというのは、池田町議会始まって以来のことです。

今後の行財政改革については、3月初めまで「従来の条例にもとづいて設置する」と明言していたのに、ここにきてにわかに方針転換、条例改正を行って「行財政改革推進委員会」を立ち上げると表明したのですから、びっくり。
条例改正の内容も、「財政問題に特化した審議を行い、任期は2年、公募委員3名の他有識者など10名で構成」などと相当に変更してきたのです。内容がしっかりしていれば、町が提案しようが、議会が提案しようが構いませんけれど。
それにしても、議会の動きを読んで先手を打ったつもりなのでしょうかね。

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ところで、今日の市民タイムスの同じ紙面トップに、長野県朝日村が「行政改革大綱」を決めたというニュースがありました。今日の池田町議会でもある議員がこの記事を示して「村政『運営』から『経営』へ、と書いてあったが、その通りだと思う」と感想を述べていたほどです。

どの町村でも行政の調整機関として「課長会議」を置いていますが、朝日村ではこれを「経営会議」とするのだというのですから、村長の意気込みも相当なものです。
朝日村のホームページには、この大綱案はまだアップされておらず、どのようなものかは新聞記事以外には定かではありません。しかし、審議経過議事録は掲載されていましたから、大体は推測することができます。

誰がどんな審議を行ってこのような方針が作られたのかをよく見ると、行政と村民が深く関わってつくったというものではなく、村の三役、主な課長、有識者、保育園関係者などが構成員となり、コンサル会社がまとめたもののようでした。
そもそも、村長自身、民間の出身で、第1回の会合では次のように語っていましたから。

●私は民間企業に入っていて、そちらで商品の開発設計とか、商品をどうやったら上手く作れるかということで、半分くらいは海外で飛び回っていたな、という時代に、コンピューターとともに育ってきた時代(世代?)です・・・●

「民間活力の導入」「民間感覚」などというのは、池田町でも古くから使われてきた言葉です。
小泉政権による「三位一体改革」あたりから、自治体への兵糧攻めがはじまって財政難が進行。それをテコに「民間の手法にならって行財政運営をスリム化」することや「無駄を排除し、民間でできることは民間へ」という太い流れが作り出されます。
現在は、さらに進んで、超高齢化社会、少子化社会、人口減少による「自治体消滅」という「暗い未来予測」とともに、一方で進むAIの導入やIT技術の進展、IoTをテコに、一層の行政のスリム化と圏域行政への誘導という方向が目指されているのです。

ところが、自治体というのは、その名の通り、「自治」(住民自治と団体自治)を基本とする団体です。住民の参加とそのパワーによって地域共同体を維持運営していく「住民の参加と自治」が運営の基本理念なのです。その守備範囲には、福祉、医療、教育、文化、上下水道、道路整備などの公的財産の管理が含まれます。

「経営」には馴染まない分野は沢山あり、無理にそれを持ち込もうとすると、保育所を民営化して営利企業の食い物にしてみたり、水道事業を民営化して高い水道料を押しつけられたり、さらには「受益者負担」の押しつけが横行することになりかねません。
そればかりではなく、役場の管理が会社経営と同じになれば、「洗練」された経営手法で職員は競争意識に飲み込まれて、行政本来の住民に奉仕する立場が消え失せてしまうことになるでしょう。
「民間の経営」という考え方が今日の自治体行政にとっていかにズレたものであるか、多くの自治体の首長は分かっていらっしゃらないのではないのか。

行政運営に無駄があってよいなどとは少しも思わないし、効率的で住民にとって分かりやすい行政サービスを目指すべきです。また、働き方の工夫や経費節減は当然大いにやらないといけません。それと民間手法とは根本的に異なる。
「民間のいいところから学べばいい」とよく言います。それは公的分野に民間の手法を無批判に取り入れることではありません。

教育も同様ですね。現在の小中高の公教育現場では、この30~40年の間にすっかり「民営化」されて、その昔は管理職を除けば、水平の立場であった教職員が、縦の管理系列にがっちりと組み込まれ、校長(=会社のCEO)、多くの中間管理職、10年契約の一般職員というスタイルに様変わり。「職員会議で決定」などということは昔の物語になってしまいました。それがどのような「日本の教育」をもたらしてきたか、もたらしているかは日々目にしているところです。

もちろんその中で、苦しみながら、闘いながら自治体運営、教育活動にたちむかう人たちがたくさんいて、それに行政も教育も支えられています。
また、全国には平成の大合併に抗して自立を選び、「小さくても輝く自治体」をめざす取り組みをすすめるところも数多くあるのです。「民間経営」を呼号するよりも、これらの経験から深く学んだ方がよほど実りある自治体運営を築くことができるように私には思えます。


3月12日(金) まだ鳴る鐘を鳴らせ

2021-03-12 22:17:55 | 日記

相当に深刻な財政危機下にある我が町ですが、行政にはあまりその実感がなさそう。何だか緩みっぱなしなのです。いまから3年前に農家奨励金を廃止するはずだったのに、当時の担当職員が要綱を修正せずに現在まで来てしまい、結局807万円の未払いが生じてしまったというお粗末なことが発覚。まあ、町長にしてみれば泣きっ面に蜂というところでしょうか。

現在町では3月議会が開かれていて、来年度予算案が議題として上程されています。
この一年間、すったもんだした挙げ句、何とか帯を結んでつくった来年度予算案ですが、財政再建への根本的な解決方針を示さないまま、つじつま合わせで出してきたしろもの。議会では、議員のみなさんが、これまでとは打って変わった真剣な態度で審議にのぞみ、場合によっては修正案の提案も辞さないということのようです。
来週の月曜日、火曜日は一般質問、18日が最終日なので、果たしてどんな結果になるのでしょうか。

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いま手元には、総務省のサイトからダウンロードした「自治体戦略2040構想」という、構想研究会の報告書があります。
これから約20年後の2040年にかけて「我が国の内政上の危機」の時期になるとの認識のもとで、自治体行政はどうあるべきかを方向付けた文書です。
内容については今後触れていくこともあるかと思いますが、いやはや、そこに使われている用語がIT漬けになっていて意味不明。

たとえば、自治体行政がOSで、危機を乗り越える新しい施策はアプリケーションで、そのOSを書き換える必要があるのだとか。
自治体は今後破壊的技術(AI、ロボティクス、ブロックチェーンなど)を導入した「スマート自治体」へと転換し、圏域マネジメントを駆使し、経営資源節約による公共私のプラットフォーム・ビルダーへの転換によって地域住民の暮らしを維持するとともに、ワークライフバランスやワークライフミックスを実現するのだそうです。一体何のこっちゃ。

台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タン氏のメッセージがズバリ本質を突いている。さすがです。
「情報の透明性と共有、『人官民協働』をもとにしたガバナンスは政府が変革していくための”鍵”です。民主主義はそれそのものがテクノロジーの一種なのです」
平井に聞かせたいなあ。デンツーじゃ聞いても分かるわけ・・・ないか。

「まだ鳴る鐘を鳴らせ」

メッセージ最後の「Live Long and Prosper(長寿と繁栄を)」および中指と薬指の間を開けるしぐさは、知る人ぞ知る「スタートレック」のバルカン人の挨拶(スポック役の俳優レナード・ニモイ氏の考案とか)。オードリーさん、ちょっと古いけどなかなか愛嬌があります。


3月11日(木) よみがえる日々

2021-03-11 18:33:43 | 日記

記録を見ていると、10年前のあの頃は、私と仲間たちは前年に立ち上げた「バラ愛好会」の方針にそって、バラ園を開墾して、はじめてバラを植え始めた時期でした。開園のために区画整理、バラ苗の購入、植え付け・・・と忙しい毎日を過ごしていたのです。

さらに3月下旬から4月上旬にかけて友人夫婦と10日間ほどの沖縄旅行を計画して準備を進めていた時期でもありました。

その直後の大震災。
動かぬ行政に腹をたてて、自分たちで支援組織を立ち上げ、活動を開始してからというもの、目の回るような日々が続きました。
支援物資を集めて発送する作業を続けていた3月21日、自らも津波被害で家屋を流されながら避難所の高齢者を励まし続けているというニュースを知ったのでした。

沖縄から帰った4月初旬、次のようにブログで記録していました。

●● 現在のところ、物資を集めることは出来ても、それを常時受け入れ、梱包し発送の準備をするという地味で粘り強い、時間のかかる作業についてはわずかのスタッフで担われているのが実情です。
こうしたことを何ヶ月もやり続けるのは、信じがたいほどのエネルギーと情熱が求められる。直接現地で行うボランティアでも一過性のキャンペーンでもなく、遠くの地で粘り強く地を這うようにとりくむ支援行動を支えるものは一体何なのでしょうか。単に「想像力」とか「共感力」とか「ボランティア精神」とかというものだけの問題なのか。私自身、いまそれを問い続けています。●●

4月14日に女川の高野さんに電話がつながって短時間話が出来ましたが、私のことは「記憶に定かではない」とつれない返事。やむなく、当時の写真をホームページにアップし、記憶をよみがえらせることに成功し、5月7日まで、電話であれこれ連絡し合っていました。しかし、なかなか要領を得ない。しびれを切らしたのか、「こっちさ来ねか」という高野さん。

連休明けには、私が一人でまず女川を訪問し、支援のあり方を高野さんと打ち合わせをすることになります。
5月6日に明科を出て東塩釜まで列車で。一泊したホテルまで迎えに来てくれた高野さんに案内してもらって女川へ。そこで見た光景が昨日の写真です。
5月19日からいよいよ支援活動。たくさんの町民から届けられた支援物資を満載しての4トン、2トントラック2台と大型トレーラー(宿泊用)、乗用車で役場前を出発して女川へ。これ以上のことは、当時の私のブログを見ていただければいいかと思います。

今日、市民タイムス、大糸タイムスの記者から10年目にあたってのコメントを求められました。
何を思うかと聞かれても一言では答えられない。普段ほとんど頭にないことですからね。
それでも、こうして当時をふり返ってみると、次のふたつのことは書いておきたい。

ひとつは、生きたくて生きられなかった人々の声とはいったい何だったんだろうか、耳を澄ましつづけなければならないのではないかということ。それは、愛する人々への生きろという声かもしれない。あるいは、もっとやりたかったことへの無念の声かもしれない。自然を侮るなという警鐘かもしれない。あるいは・・・

ふたつは、池田町民ネットワークに集まった人々のように、志を束ねることができるなら、信じがたい行動が生まれるということ。一人の人間にしてみれば精一杯のことも、現地にいけば、本当に取るに足りない一瞬の行動であり、どれほどの力にもならないのが実態。しかし、全国からそれが集まれば、本当に巨大な力になり得る。集まった人々の心のなかには、人間の可能性への確信が確実に生まれ育ったと私には思えます。

朝から2度ほど高野さんと電話で話をしました。朝はちょうど女川原発に視察に出かけるところだと言っていました。10年の歳月を経て、「身体が言うことをきかなくなり横になっていることが多くなった」とちょっと弱音をはくので、「なんだい、わが家の飼い猫といっしょじゃないか」と私。
私より5歳ほど年上ですし、息子さんに議員活動を譲ってその補助をしているらしいので、何かと忙しいだろうし、今もあちこち駆け回って原発反対の運動を続けているので、身体も酷使しているのでしょう。何しろ東北では反原発の象徴的存在の有名人ですから、まだまだ頑張ってもらわないと。
「落ち着いたらゆっくりそちらに行くからね」と言ってくれました。その日を首を長くして待っています。


3月10日(水) 3.11を前に

2021-03-10 21:51:00 | 被災地支援

死者達の無念、まだ見つからない津波被害者、家族の悲しみ、生き残ったものの今なお身体や心に深い傷を負う人々の苦悩・・・
テレビやネットでの情報だけでは、それらはやはり外の世界のできごとです。胸詰まる思いで画面を見てはいても、それが実は明日の自分の姿なのではないかと予感していても、どこか他人事とみているもどかしさ。

10年前の記録を読みながら、10年前の自然災害と原発事故の恐ろしさを改めて思い返し、改めてこの身に刻んでおくことは、何回かの支援活動以外にはほとんど何もできなかった私にできるせめてもの10年目の3.11なのだと思い直してみるのです。

2011年、女川支援に出向いたきっかけをつくってくれた高野氏にメールを送りました。かなり前のアドレスだったので、果たして届くのかどうか。いまさらながら、あの年1年間の毎日がよみがえります。

何よりも、5月一人で高野さんを訪ねて女川に出かけたときに、破壊され尽くした女川の町を見たときの衝撃は忘れられません。
「頼りにしていた党支持者の人たちがみんな死んでしまった・・」、当時共産党町議だった高野さんを支えてくれていた多くの支持者が津波にさらわれてしまった悲しみと辛さが骨身にこたえるのだとポツリと語っていた声が今も聞こえてきます。

死者が語るのは、私のような犠牲者を2度と出さないように、準備しておけよということでしょう。いつ襲ってくるかわからない大地震。そのとき、内陸部でも「ものが揺れる」のではなく「ものが凶器となって飛んでくる」のです。人が飛ばされる。普段忘れている多くのことがあるはず。ほんのちょっとでも、そのことを思い返して準備しておきたい。

下は、5月に訪れたとき、大学の教育実践班の仲間を呼んでくれてTくんと再会できました。左端が高野さん、手前が奥さん。私も今より10歳若かったのです!馬力があった(ような)。


3月7日(日) 義母の命日

2021-03-07 17:32:30 | 沖縄

義母が亡くなってから早くももう一年になります。新型コロナの影響で、沖縄にいる兄弟だけでお参りをすることにしたそうで、結局妻も郷里には帰らずじまい。夕方二人でお参りをしただけになってしまい、さみしい一周忌になりました。

沖縄では、南部戦跡の爪痕が残る土地の土砂を辺野古基地の埋め立てに使わせない闘いが続いており、具志堅さんの6日にわたるハンガーストライキも大きな反響を残して終わったようです。

昨日は県庁までの座り込みテントを玉城デニー知事が訪れ、具志堅さんとも話を交わしたと北上田さんのブログにありました。県も中止の指示を出せないままですから、このままではまもなく土砂の運び出しが始まってしまう緊迫した状況になっている様子。
ただ、知事は、「今回の問題について、どういう方向性で結論を出すか、今、一生懸命、考えています」「これからも生きている人たちと、鬼籍に入られた人たちの思いがつながるような道を考えていきたいと思います」とその場で語ったといいますから、どんな「方向性」を出してくるのか。おそらく法的に訴えられても勝利するやり方を検討しているのではないのかと思われますが、そうこうしているうちに時間切れになってしまいます。
北上田さんは「自然公園法第33条2項にもとづく中止命令は受理から30日の間しか出せません。時間はないので、大至急毅然とした結論を示してください」と知事に訴えたと書いていました。

その後、小5の女の子が知事の前に出て「死んだ人たちの魂はまだ残っています。きちんとお祈りをしないといけないと思います。遺骨が入っている土を埋立に使うのは反対です」と訴えたことが紹介されていました。写真はいずれも北上田さんのブログから。

正午からのオール沖縄会議の集会には大勢の人が集まって、土砂採掘反対のたたかいをさらに盛り上げていこうと決意を固めあったとも。沖縄でどんなことが起こっているのが、人々はどのような思いで運動しているのか・・・。私もかなりの間現地を訪れていないので、鈍感になってしまっています。