Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月15日(火) ようやくお米を届けました

2020-12-15 12:38:17 | 日記

昨日からの寒波で、池田町はわずかに積雪。北アルプスは現在山の上半分が厚い雲に覆われ、山裾まで真っ白になっています。さらに寒さが厳しくなるようで、このあとどんな冬になるのか。

雪が降る前にと思い、これまで池田町の農家(および関係者)の方々私のもとに寄せられた大量のお米を、日曜日にようやく「こどもじゅく」マネージャの自宅(松本市)まで軽トラで運びました。約250キロ。軽トラのタイヤ空気圧を最大にしてもずしりと重い。

大体我が家に持ってきてくれるのはモミまたは玄米なので、暇を見ては妻と精米にでかけ、その上で5キロ、3キロの袋に小分け。それをまたコンテナに4~5個ずつ入れて運ぶのです。一つのコンテナは約20キロですから、なかなかの重量があり、それに加えて30キロの米袋も2袋軽トラに乗せたので、何度も運んでいるうちに腰が痛くなってしまった。3日たってまだ後遺症が残っています。

松本在住のマネージャは、このあと「こどもじゅく」参加者の家庭を中心に自家用車で回って配達するのだと言っていました。これまた大変な仕事で、近くなら応援できるのですが、現在のところ私ができるのはここまで。一人一人にすれば、ほんとうに僅かなお米しか提供できないのが苦しいところ。しかし、一方ではこのような取り組みも現在の貧困問題の解決にはほとんど焼け石に水ですから、もっと制度に目をむけた政治的な取り組みが必要なのです。

大内裕和さんの「ブラック化する教育2014-2018」のなかで宇都宮健児さんとの対談を読んでいると、今日の貧困問題の実相が歴史的に浮かび上がってきます。中間層が解体し、それが学生の家庭と生活を直撃、社会に出ても、正規社員として就職できるのは半数にも満たない。非正規、臨時社員として浮遊することになる若年労働者層。貧困が再生産され、連鎖の中でいっそう負のスパイラルに落ち込んでいく人々の群れ。

メディアに現れる家庭や職場は、作られた映像の中で見事に加工され粉飾されていますから、たとえ苦しい状況にあっても意識だけはそれに染め上げられ、社会変革ではなく、自己責任と現状維持の中でますます泳がされていく。

「こどもじゅく」で子どもたちに接していても、私などは家庭のことや心のうちはわからない。今のところマネージャが日常的にそうした家庭と結びついて実情を把握してくれているので、かろうじて私たちにその一端が伝わってくるという程度です。

日夜そうした活動に携わっている人たちには頭が下がりますが、いかんせん、そこまでの力量も時間もないので、せめて野菜をつくり米を集めて、必要に応じて届けることができるだけ。幸い、最近は野菜の提供が相当に増えてきているので、野菜応援プロジェクトは来年は中止することにしました。野菜をつくっていれば、今年の学生支援のように必要な人も出てくるでしょうから、できるだけ作付けしておこうとは思っていますけれど。といっても、体力がだんだん落ちてきているので、いつまでできるのか・・・。


12月10日(木) タイヤパンク&アホロートル

2020-12-10 22:29:02 | 日記

午後、訪れてくれた友人を見送りに玄関にでて、ふと見ると車がおかしい。後輪の片側が土にめり込んでいるではありませんか。
というのは目の錯覚で、完全にパンク。一昨日、空気圧を3.0にして500キロほどの堆肥を運んだのでそのせいか?
ともかく道具を取り出して、タイヤ交換する羽目に。・・・と、よく考えると、もう冬タイヤの時期です。
面倒なので、パンクしたタイヤのみ冬タイヤをつけて、いつものガソリンスタンドに行きました。

見事釘がささっていて、しばらくバンク狀態で走ったためにタイヤはグジャグジャ。他のタイヤもかなり古くなっていたために、思い切って全輪新品と交換してしまいました。2万円ほどが飛んでいってしまった。
入金があったかと思うと、すぐに出て行くのはお金の宿命。贅沢しているわけでもなく、ささやかに暮らしているのにどうしてこんなに出て行くのでしょうか。

ガソリンスタンドで何もすることがなくあたりを見回していたら、水槽になんだかへんな魚が泳いでいる。ん?手足がある。胸びれ(エラ?)が赤く小さい珊瑚のようにひらひらして・・・。名前だけは聞いたこととのあるウーパールーパー(正式名アホロートル)でした。正面からの顔がなんともいえない。魚ではなくてサンショウウオの仲間のようですね。

その昔テレビで紹介されてブームになったこともあったらしいけれど、私は全く見たことがなかったので、いまさらながらその可愛いらしさに見とれておりました。こんなに可愛いのにアホはないだろうと・・・。アホロートルって私のようなロートルのことではないのか。
ガラス越しに指を近づけてみたら、意外や意外、バクッと噛みつくそぶり。かわいい顔をしてかなり獰猛なのかしらとびっくりでした。

次の写真上はGSで飼われていたもの。下は神畑養魚のホームページより拝借。


12月9日(水) チョロギ収穫終了

2020-12-09 22:05:59 | 日記

朝9時半から畑で来年のための耕耘作業。昨日は肥料と籾殻をを入れたので、あとは耕運機で耕すだけなのですが、土が硬くてなかなかはかどらない。汗をかきながらメンバー2人(耕運機2台)で2度起こししました。これで今年度の作業はすべて終了です。

チョロギの収量は、予想を遙かに下回って、300キロにも及びませんでした。昨年はハウス一棟で300キロ。今年はその倍の面積の畑でも300キロに届かなかったので、ちょっと残念でした。ただ、個人の作付けが今年は多く、ある意味で個人収入はそれだけ増えるということで、まずますのところでした。

明日入金があるというので、一人あたりどれだけになるのか楽しみです。
女性メンバーの中にはさっそく美味しいものを食べに行く計画をしている人もいるようで、小遣い稼ぎにはなかなかの仕事ですね。

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さて、今日は息子の誕生日。東京に単身赴任しており、テレワークと時々の出勤とでコロナ対策はしっかりしているようでしたが、それなりに忙しくストレスもたまるとメールしてくれました。盆も正月も、この分では帰省できず、さみしい正月になりそうです。

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今朝ローカル紙の市民タイムス(池田から松本・塩尻あたりまでのエリアで発行)をみると誌面の第一面に自分の顔が出ているのでびっくり。「財政白書2020 別冊」を発行し、半月ほど前に記者会見をしたときの記事が今日出たのです。ちょっと間が開きましたが、議会開会中でタイミングも悪くなく、忘れずに記事にしてくれた記者のYさんには感謝です。

問い合わせ先として私の電話番号も載っているので、さっそく池田町の方が一人と池田町図書館から電話があり、お渡ししました。もう少し反応があっても良さそうですが、問題は財政ですから一般にはちょっと敷居が高いかも。
これは「別冊」で本体の方が今日で在庫がなくなり、やむなく30冊増刷しました(現在印刷中です)。
関心のある人は、是非とも手に取って読んでみてくださいね。


2020年12月8日(火) 今日は何の日?

2020-12-08 22:55:46 | 日記

この日がどんな日であるのか、おそらくほとんどの人はもはや思い出しもしないのでしょう。

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大本滎陸海軍部発表(昭和16年12月8日午前6時)
帝國陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘狀態に入れり

この日の朝、午前4時、内閣情報局から「いまから気象管制にはいる」という指示が報道機関に出された。
「何かあるな」という報道陣の予感を裏書きするように5時過ぎ、陸軍省記者クラブに「関係者集合」の指示が。
午前6時ちょうど。緊迫した空気が流れる。
「発表を行います」
太平秀雄報道部長(大佐)が静かにいったあと、手にした原稿を大声で読み上げた。
発表はわずか3分で終わった。
ほんの瞬間、記者たちは静まりかえったが、たちまち歓声があがった。
当時の新聞は、この時の情景を次のように報じている。
「ああこの一瞬、戦わんかな時至る。永久に忘れえぬこの名句、その長さは僅か三十字の短文であるが、正に敵性国家群の心臓部にドカンと叩きつけた切札である。砕けるばかりに握った記者たちの鉛筆の走る音、カメラ陣のフラッシュの斉射、この間僅に三分間、かくて開戦を告げる世紀の大発表第一声は終わった」(富永謙吾「大本営発表の真実」より)

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現在このような文章に接したとしても、何の感慨も何の印象もないだろうし、時代錯誤の自己陶酔に笑い出すのが関の山でしょう。しかし、このシーンのあったのがわずかに80年前、人間一生を遡った年にあったまさしく現実の出来事なのです。そして、その結末は、いまに続く恐るべき加害と被害の出発点でもあったのです。もちろん、その前には中国大陸で日本軍の蛮行は続いていたし、その延長線上にこの日があったことも忘れてはなりません。

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話はまるで変わりますが、資本論の勉強について。
今年の3月はじめから月2回の予定で「資本論」の勉強会をはじめたことは前にも書きました。それから約10ヶ月、まだ続いているんですよ、たいしたものです。
まだ続いているといっても、12巻あるうちのまだ1冊も終わらない。何しろ遅々として進まないにもかかわらず、みんなやめようとはしない。

5人のシロウトが集まって、「分からん、分からん、なんでマルクスはこんな難しいいいかたをするんじゃ」といいながらも「わからんところはわからんままでいいんじゃない?そのうち分かるときもあるかも」という調子で、のんびりとほとんど読み合わせの勉強会を続けているのです。

いつまで続けるかについては「誰かが死ぬまで」という決まりになっており、死んだら棺桶に続きの資本論を入れる決まりにもなっています。年寄りが集まって勉強会をすれば、だいたいそんなもんですかね。あの世も資本主義なのかどうか、だれか教えてください。

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MNEMOさんが久しぶりに更新したブログをみて、励ましの言葉を書いてくださいました。ありがとうございます。
今朝も、ある人がわざわざ電話してくれて、別件で話に行ったら町の財政の話に発展し、町長のやり方、議会のあり方に大変不満をもっていて、しっかりやってほしいと言われたと伝えてくれました。
別の方も、財政再建の会の出しているチラシがわかりやすく、この町がどうなっているのか初めて知ったという人がいたと教えてくれました。
ただ、実際には、まだまだ多くの住民は事実を知らされていないし、何が問題なのかもわからないまま。目、耳に蓋をされたままです。

昨日から町議会が始まりましたが、チラシや議員との懇談や財政白書などで実態を知らせてきたのに、議会一般質問で財政危機を取り上げる議員が11名中わずかに3人。これでは行政担当者になめられても仕方がない。
どんなに勇ましく拳をあげても、見当違いの方向にソロソロと下ろさなければならなくなる。

このあとは、私にできる最終版に入りつつあります。今週末にはちょっと気合いを入れて「財政再建の会」の拡大会議を行って、今後の対応を協議しますから、どんなフィニッシュを迎えることになるのか。
町は、町民説明会で出た意見についての見解を議会に出しましたが、見るべきものは何もなし。町民への情報公開の意思も、町民からの意見を吸い上げる意思も全く乏しい見解。

2021年度は何とかなったとしても、このまま推移すれば、その後はもっとひどい状態になって、七転八倒しようが解決の方向を定めることができない事態に陥ることは必定。さて、それでいいのかどうか、本当に真剣に考えてみなければ。今なら間に合います。


12月5日(土) 悩み多い年末年始?

2020-12-05 21:53:30 | 日記

現在の池田町の人口は9700人。お隣の松川村と横一線に並んでいます。
財政状況は、まるで異なって、財政逼迫の度合いを強める池田町に対して、基金残高も桁違いに多く健全財政を続ける松川村という際だった対比を見せています。
池田町は過去には養蚕で大きな繁栄を築いた時期があり、その当時の「栄華」はいまでも語り草になっているほど。しかし、国道、鉄道、バイパスのある松川村に対して、池田町は県道が一つ。ある意味では大変田舎の町で、進取の精神の乏しさは長い歴史のなせるワザなのかもしれません。その町民は、町のリーダーとして、結局のところ有能な対立候補ではなく、飲酒運転でつかまって辞めた前町長と財政に関しては全く無能な現在の町長という二人を選んだのですから、ある意味ではこの町の深いところに巣くっている事なかれ主義と新しいことを拒む精神構造が、現在の財政危機をもたらした要因といえるのではないのかと私は思っているのです。
一人一人は決して悪気があるわけでも、全く町政に無関心というわけでもない。誠に善良で、やさしい人々なのです。しかし、いったん選挙ともなれば、地縁、血縁などが幅をきかせ、民主主義とはほど遠い風が吹いてしまう。これも、確たる信念があってそうしているわけではないのです。だからそこ、かえって始末が悪い。
おそらく、自分たちが選んだ町長がここまで財政に関して無能であるとは、今も考えたくないことでしょう。私たちの批判に正面切って対応することはまず無理ですから、結局は「そんなにいじめなくてもいいでないかい」という程度の反応にしかならない。

私の見立てでは、放置すれば、あと1年後には収拾のつかないほどの危険な財政状況になる。そうしたときに、この町の人たちは一体どう対応するのでしょう。すでにいろいろな局面でその兆候は濃厚に現れているにもかかわらず、町長はどう対応したらいいのか、全く方針を示すことができない。

さて、果たして自立的に立て直しの道に進めるのか。本当に危うい状況に立ち至っているのです。
私自身は、10年ほど前から池田町の財政を調べ、3度の「財政白書」を発行して、現状はどうなっているのか、どこをどう変えればいいのかを提案してきましたが、いかんせん、注目度は極めて低いままでいた。

しかし、ここにきてようやく少しは変化の兆しが見えているのが救いと言えば救い。何より、財政のプロが支援してくれて、白書は大変充実したものになってきていること。それもあって、議会の議員や町の職員も購入して利用し始めてくれていること。

とはいえ、こうした調査活動を地味に続けていくのは大変なことで、この3号を最後に手を引こうと思っていたのです。その矢先の財政危機の勃発。いやはや、忙しさに拍車がかかって、とんでもない毎日になってしまいました。
今月の中旬までは議会があるために、活動は小休止状態ですが、議会が終わればまた対応に追われる可能性がある。
幸い、この町では依然としてコロナの患者は出ていないので、それなりに動き回れるけれど、これから果たしてどうなるのか。悩み多い年末年始になりそうです。