Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月25日(金) 町長に財政要望書を提出

2020-12-25 06:45:39 | 日記

今朝は妙な夢を見て、5時ごろ目が覚めてしまった。外は雨。6時ごろから雪交じりになってきました。

***

さて、昨日は午後から役場を訪れて、「池田町の財政再建に関する要望書」を町長に提出しました。

町側からは町長、副町長、企画政策課長が出席、「池田町の財政再建を考える会」からは高山代表世話人を含め4人の世話人が出席、短時間でしたが、町民側の要望を伝え来月中の回答を求めたのです。

要望書の内容(pdf)

下は取材に訪れたローカル3紙の記事です。こうしてみると、記者の視点もいろいろですね。面白い。

この要望書の提出の趣旨は明快。現在まで全く不十分な対策しか取りえない町に対して、町民の側から筋道を通し抜本的な改革を求める要求を示す必要がどうしてもあったのです。
議会も議会としてまとまって要望を出しており、表現はともかくその趣旨はほとんど同じです。しかし、議会としては表現にも配慮し柔らかくなってしまいますから、その真意をくみ取りつつ、先の説明会などで出された厳しい意見を最大限集約して町長に実現を迫る必要がありました。

一見すると、私たちの主張は相当に厳しく思えるところがあります。たとえば、町長歳費の減額の割合も、自ら説明していた10%から30%とし、町の公的施設である美術館やガラス温室の閉鎖、町長が目玉にしてきた移住定住補助金の減額、庁内の機構改革や定数削減、さらには新年度は暫定予算としてスタートすることなども提言しているのですから、ある意味で大きな外科手術を求めているようなものです。

席上で、本当はいくつか質問するハズだったのですが、代表から細部は説明してくれと振られて発言せざるを得なくなり、タイミングを失してしまいました。そのため、時間がなくなりどうしても聞いておきたい質問を1つだけ町長にしました。それは、現在町が陥っている財政困難の深刻度についてです。
聞いたのは「現在町の財政が直面している状態は、困難の度合いが比較的軽度で割と短時間で解決出来るものなのか、それとも相当に重度なものと考えているのか」ということでした。
町長は「相当長期にわたって長引く問題で、近いうちに施設やインフラの老朽化に対応せざるを得なくなる」と、この問題が長期にわたる大きな問題であるとの認識を示しました。そこで「財政危機、つまり危機的状況だと思うのか」と聞くと「その通りだ」と答えました。
私としては町長の口から「財政危機」という認識を聞くのは初めてで、この認識は極めて重要です。

その後の記者会見で、ある記者から「町長の責任とは何を指すのか」と聞かれ、私は次のように答えました。
第1は、財政危機を招いたという町長の認識に示されるように、町民生活にかかわる重大な財政上の問題を引き起こしたという行政トップの責任。第2は、この事態をどう解決するのか方針を立てて、しっかりと町民に説明する責任。

厳しい批判は行いますが、批判だけしていれば事態が好転するわけではありません。大事なことは、何のために行財政改革に取り組むのかということでしょう。自治体行政のイロハも踏み外したような現在の町政は、それ自身として根本から正さなければなりませんが、何処へ向かって正していくのかということです。
確かに直面する問題は大きいし傷は深いのですが、今なら対処の仕方はあるはずです。財政が破綻したわけではないのです。ある部分を我慢し放漫な財政支出を抑えていけば、それほど町民生活に打撃をあたえることなく、財政再建は可能だし、その先のビジョンを描くことはそれほど困難なことではない。
10年から20年先の見通しを持って、町民が穏やかに安心して過ごせる町をつくることは実際に可能だと思います。近い将来に、この町に住む人々が誇りに思え、豊かな人間関係をつくり、産業も地域で循環し持続可能な町へと変身させる展望はあるのです。ただし、5、6年は我慢の年になりますが・・・。

たまたま財政のことを調べていた関係から、この問題に関わるようになってしまいましたが、もっともっと多くの住民が関心を寄せ、少しでも行財政に目を向けてくれるようになることを期待しましょう。

 


12月22日(火) 相変わらずの自慢話

2020-12-22 14:23:46 | 日記

天気の日、早朝の北アルプスは日替わりで様々な姿を見せてくれます。
冬は日が低いので山肌に落ちる陰影が長く濃く、ひとつの嶺に至るまでにどんな山々が控えているのかを露わにします。そこに霧がかかったりすればなおさらのこと、夏ならのっぺりとそそり立つように見える壁も、実は奥行きが深いのだと教えてくれるのです。

2軒おいてその北隣に新しく愛知県から移住する人が一軒家を新築中。その家も北アルプスを向いて大きな窓がつくられていますから、きっとこうした景色を毎日のように眺められるのでしょう。わが家にはベランダはあっても、そこは作物の置き場のようになっていて、せっかくの場所が生きていません。西向きは確かに山はきれいに見えるけれど、夏の西日は半端なく暑いし、電柱越しに山を眺めるくらいなら、家からより外に出ていい空気をすうのが一番と言い訳をしてみる。ま、たまには、ベランダで夕日を眺めながら妻とワインでも(ワインは妻だけ)飲むかな。

       *   *   *

財政問題ではちょっと小康状態が続いているので、比較的時間があります。
これまで懸案だったパソコンの修復をあれこれやってようやく昨日終わりました。
まず、壊れたメインマシン。どうやらロジックボードがダメになったようで、持っていたものの中から生きている同規格のボードを探して(ひとつだけ見つかった)取り替え、OSを入れ替えてサブマシンをつくることに成功。しばらくは無事動いてくれるでしょう。
これは、いずれ記憶媒体を取り替えて、普段はLINUXマシンとして使うつもり。

次に、これまでサブマシンとして使っていたものは、Windows10はそのまま残し、普段はWindows7で使うことにしました。フォトショップやイラストレータのバージョンが今後の10のアップデータに対応出来るかどうか不安があったこと、割と拡張性の高いロジックボードなので、過去のハード(ONKYOのサウンドボードやテレビ受信など)が結構使えることがその理由。

SSDを取り替えれば、10のサブマシンとしても使えるので、これまた当分は問題がないはずです。
せっかくの新しいメインマシンは性能はいいのですが、通常のATXボードではないため拡張性に乏しく、何もしないでそのまま使うということになりそうです。その方が故障も少ないだろうし。

数学のプリントを作成するためのPowerMacG3-MT(20年以上前のマシン)はまだ健在で、プリンタをだましだまし使っている状態。これの補修用のボードをアメリカのVintage Compに見つけてくれと頼んでいるのですが、1年以上も音沙汰なし。初期型のボードは入手したものの、現在はコレクションのひとつにしかならない。

電気スタンド型iMacはインテリアとして・・・と相変わらず、パソコンに囲まれて生活しています。何をするってわけでもないんですけどね。古いものでもちゃんと動いてくれないと心配で夜も眠れないのです。
といっても、まあすべてマニアの自慢話にしかならないですね。

遠くから財政白書が欲しいと連絡してくれたある人が、いろいろ話をしたいのでZoomはどうですかと聞いてきた。「電話ならいいですけど、顔をさらしたくないのでいやです」と返事しました。写真写りのいい人がうらやましいです。


12月19日(土) 行政に民間企業の経営管理手法は必要か

2020-12-19 22:06:21 | 日記

私の属する「池田町の未来を考える会」が、町に対して9月14日に提出した質問に、町は昨日18日になってようやく回答してきました。3ヶ月も何をしていたのでしょうか。
9月中旬は3億円削減プロジェクトによる各課からの削減内容が分かり始めた時期で、質問内容もその時期に合わせたものだったのですが、返ってきた回答を見れば、すべて町民説明会後に「説明」しはじめた弁明ばかりでした。内容はここで紹介するほどのものではなく、下の実物をご覧頂くのが一番わかりやすい。

9月14日付けの質問に対する町の回答

この回答でも言及していますが、現在町は、削減を考えているうちで比較的町民生活に影響があると思われる事業の一覧を示して、パブリックコメントを求めています。そのための資料も添付はされているものの、町民説明会で配布したのと同じ大変複雑でわかりにくいもので、一体誰がこれを見てパブリックコメントを出すというのでしょうか。
しかも、町民説明会で出された根本的な問題についての疑問や意見は素通りし、細々した削減がいいか悪いかというだけのもの。

パブリックコメントを求める町のホームページ

ここまで来ると、もはや行政は町民に何も説明する意志も能力も持ち合わせていないということなのでしょう。職員も、なんでこんなことをやらなければならないのかと、ほとんど投げやりの状態に見えます。文面からはそうした雰囲気が漏れ伝わってくるのが私にはわかる。町民を舐めきっているのか、それともこの程度で精一杯であとは思考停止に陥っているのか、両方なのか、池田町という泥船はもう沈没寸前です。

     *    *    *

南隣の安曇野市がかなり前から「行政改革委員会」を設けてその答申を受けて、「改革改革大綱」を定めさらに各年度の検証を行っているので、大変参考になるということをある人から聞いて、昨日から資料をダウンロードしてファイリング。その中の委員会答申をまず読んでみました。

確かに継続的に行政改革の方針を定めて市がその方針を受けて「大綱」をつくり実施していく流れは参考にはなります。しかし・・・?どうしても気になってしかたのないことが一つ。極めて重要で、自治体運営の基本に関わる疑問がありました。「自治体運営に民間の企業の運営を取り入れることは果たして妥当なのか」「自治体を企業の経営感覚で運営することは正しいことなのか」ということです。

安曇野市の改革委員会の答申をみると、「行政運営」ではなくすべて「行政経営」となっています。経営の手法であるさまざまな管理手法がこれでもかと並べられているのです。もともと企業における品質管理の手法であるPDCAサイクルという手法も、各課の事業推進のために何の疑問もなく取り入れられ、さらにはBPR,PPPなどという聞き慣れない用語もあちこちにちりばめられています。
「自助・共助を基本とした上で、質の高い行政サービスを提供」とか「受益と負担の適正化を図り」とかという文句も平気で使われている。これでは、公的施設では、利用者と非利用者に差が生まれるから、使用料を取るのは当たり前だという考えに何の疑問も抱かなくなっても不思議はありません。

民間企業にとって、利益(利潤)を上げることが至上命題ですから、品質管理にしても業務管理にしても、それなりのやり方があることは当然でしょう。もちろん労働者としての権利や福利を守った上でのことですが。しかし、自治体は全く違います。公的な施設を運営する場合に、無駄を省き効率的に運営することは当然ではあれ、いかに住民に使い勝手がよく快適に利用されるか、そこでどのような成果を得て地域に還元していけるのかが優先事項であって、利益をあげることではありません。
最近行政が好んで使う「費用対効果」というのも、もとを正せば民間の考えです。

自治体が「自治」という用語でくくられるのは、まさしく住民自治に基本をおくからであって、住民への奉仕に基本使命があります。それを財源が乏しいから民間活力を導入してとか、民間委託万能とかという方向に流れていくのは、自治の否定につながる大変危険なことだと私は思うのです。

現在の池田町をよくするには、民間企業の手法を取り入れて職員をギリギリと管理することでも、数値目標で縛り上げてそれが達成されたかどうかだけを基準にすることでもありません。安易に民間企業の手法を取り入れることは行政のあり方をゆがめ、本来の姿を根底から損ねる大きな危険を内包します。

ICTは大いに取り入れればよろしい、効率的で風通しのよい運営を心がけることは当然必要、行政には行政のやり方があるはずであり、民間の手法を取り入れなければ改善されないというのは、一種の行政の怠慢でしかありません。各年度の事業の総括をしっかり行って次年度への過大と方針を各課でも全庁でも持ち、縦割りの弊害を除きながらそれぞれの職員の持ち味を生かした行政運営をすればいいのです。
お互いに自由に意見がいえる雰囲気があり、一人一人の役割が明確になっており、トップのリーダーシップがきちんと発揮されていれば、役場はひとりでに動いていくでしょう。

池田町の難点は、外が見えないこと。近隣市町村でさえ見えていない。国内の先進事例に学ぶなどということはまずあり得ない。世界に目を向けるなどということは考えてみることもできない。それでは、町役場は全く閉じた殺伐とした空間にしかならない。新しい職員も、持っていた感性がすり切れて、惰性で仕事をするようになってしまってはかわいそうです。素晴らしい感覚や知恵、大きなエネルギーを内包しているのですから。

現在の危機を良い方向への契機にできるのかどうか。この数ヶ月の動きに池田町の帰趨がかかっている。


12月18日(金) まっとうな声が通る世の中であってほしい

2020-12-18 22:02:54 | 日記

MNEMOさんには、またまた過分の評価をいただき、ただただ恐縮。前から言っているように、さんざん自分勝手なことをしてきたことへのお詫びのしるし。罪滅ぼし、恩返し。それとともに、まっとうな声が通る社会であってほしいという願いだけなんです。

若い頃、ひたすら社会のためにとほとんどすべての時間を社会貢献に費やしていました。ところがふと、自分自身の幸せはどうなるのか、自分を無視して他人の幸せなどあるのだろうか、という考えが支配し始めたのです。それまでの一種の反動ですね。しかし、所詮自分の幸せと他人の幸せを対立的にとらえてみたところで、どちらも本当の幸せを掴むことはできません。

現在の自分自身を考えると、社会や地域の問題も個を離れては存在せず、結構いろんなことを楽しみながらやっているのです。一番長いのは畑で汗を流している時間。最近は何をするのかをかなり絞っているので、結構自分のゆったりした時間もとれます。もちろん超忙しい瞬間はあっても、そんなに長続きしませんから、ひま~~と感じるときも多いのです。松本に通っていても、子ども達に接するのは実に新鮮で楽しいのです。おいしいものを一緒に味わったり困ったときはお互い様というのはごく自然な人間の本性ですものね。

このブログでは、四六時中多忙を極めているように見えますが、こちらに来ていただければどんな生活をしているかわかります。早くコロナ禍が収束して、行き来できるようになればいいのですが。ですから、MNEMOさん、自分自身の楽しみ、自分自身の高みへの挑戦、それは私自身の現在でもあるのです。

        *    *    *

さて、話は一転します。

昨日今日の新聞によれば、生坂村(東隣りの村)では、55歳以下の村議に月額30万円の報酬を支払う条例改正が行われたとのこと。筑北村でも、議会での意見書を受けて村長が議員報酬について審議会に諮問したというニュースも。ここでは、現行の16万4千円を18万円に引き上げる意見賞が提出されたといいます。西隣の松川村も同様に検討に入ったのだとか。議員のなり手不足を報酬で改善しようという方向は、本来の地方自治のあり方からいえば邪道で、なり手がいるかいないかに関わらず、どれだけの報酬が妥当なのかを議論しなければならないはず。

今日の信濃毎日新聞には、生坂村の歳費引き上げが特集されて、ある農業従事者の男性の「村政に関心はなく、村議がどんな仕事をしているのかがよくわからない。引き上がった報酬はむしろ重荷」とか、村議にと打診されたことのある女性の「村政で何が課題かわからないのに立候補していいのだろうか」という後ろ向きの意見がクローズアップされていました。確かに、そのような「関心のなさ」が広がっていることは事実だし、議会が行政のうしろに隠れて従属化していく自治の形骸化も深刻です。

池田町の状況を見ていると、た全国的な議員のなり手不足=議会の位置の低下と存在意義の希薄化=がどんな結末をもたらすかを端的に示しているような気がします。国家レベルでの利権とは異なり、汚職とか腐敗とかという問題はないものの、行財政のあり方がどんなにゆがんでも議会にチェック機能がほとんどなくそのまま見過ごされてしまう。とんでもない状態になってはじめて慌てるが、どうしたらいいのか方向が見えない。しかも、池田町は議会としてのチェック機能を十分に果たして来なかった責任をとって歳費引き下げの議論が行われているのですから、これは情けない話です。

ここからどんな風潮が生まれるか。議会不要論、定数削減と議員報酬の引き下げ、いっそうの無関心の連鎖です。地方議員は非常勤特別職公務員ですから、給料といわず報酬と普通読んでいるのですが、「議員活動が見えない」「何をしているのかわからない」というのが多くの住民の率直な感想でしょう。子育てに忙しいお母さん、働きづめの勤労世帯にとっては議会など遠い話であり、まして財政など難しくて話題にもならない。
関心がないわけではないけれど、とても気にかけている余裕はないという人も多分多いはずです。
となれば、議員に立候補するのは、退職して多少余裕のある人か、自営業でそれなりに時間を作り出せる人か、子育てから解放されて時間的余裕のある主婦か・・・それでも、議員となれば新聞記事にあったように「自分には議員なんて無理だ」ということになる。

だが、自分たちの町を自分たちでよくしたいと考える人々が少数ではあっても必ず存在します。
それは、たとえばお祭りが好きで地域でよく集まって飲み会をやったり、スポーツ同好会のメンバーであったり、子育てのグループであったり。
たとえば、私たちが実践してきた「バラの会」には会員が30人ほどいて、常時作業するのは10人前後ですが、それでもいろんな形でバラ園を維持管理するために協力し合うことができてきたのです。「入会金を払って草むしりをする」という笑い話があるほどに、自分たちが作り上げたバラ園をよりよいものにする心意気は、すじ道さえちゃんとつくり、意味を共有すれば、形になるのです。可能性は、どの住民の中にも眠っている。
それをどう引き出し、形に結びつけるか・・これこそ自覚できた人たちの最大の課題なのだと思うのです。

それを持続的にエネルギーに転換するのは、住みよいいい町であってほしい、心配なく過ごせる町であってほしい、心置きなく子どもたちを育てられる町であってほしい・・そんな願い、いわば生活の原点ともいうべき期待でしょう。
町政の改革、議会の改革などという大げさないいまわしでなくても、知恵の寄せ集めがそれを可能にするだと思います。 


12月17日(木) 新しいデスクトップ機到着

2020-12-17 15:04:35 | 日記

昨日夜まで雪が舞い寒さも厳しかったので、今日午前のバラの会はお休みとして昨日のうちに会員に連絡。今度会うのは来年2月末か3月となります。
今朝はまだ曇っていたものの、午前10時頃からすっかり晴れ上がり、青空が広がって新雪がまぶしい。

晴れていたら畑で大根やニンジンを土に埋める作業をすることにしていたので、11時頃から妻とでかけました。
土を掘ってみると、空気が乾燥しているためかそんなには湿っていない。しかし、毎日零下の寒さが続いているので、土の上に出ている大根はかなり凍みて透明になりつつありました。危機一髪という感じ。
大丈夫そうなのを選んで、ニンジンとともに穴に入れて藁をかけ土を乗せて冬支度。ときどき掘り出して食用にしようというわけです。

今日は白菜もすべて収穫して、新聞紙を巻いて保存。外に置けばカチンカチンになってしまいますので、室内で保存しておきます。比較的長持ちはするのでこれは貴重な食材。あとはネギを掘り出して保存しておかないといけません。それが終われば、あとは来年2月末頃まで畑仕事はお休みです。よって、体重が増える時期。

            *   *   *

パソコンのサブマシンもときどき不穏な動きをするので、とうとうデスクトップ機を買ってしまいました。私のいろいろな活動にとっては、デスクトップマシンはどうしても必需品なので奮発。日本のメーカーのパソコンはどうしても余計なソフトがあれこれついてくるので、シンプルなDELLのハイスペックマシンを選択。昨日半日かかって環境を整え、データも移し替えて普通に作業ができるようになりました。昔からみるとずいぶん軽くて小型になっています。重いハードディスクはもう使わないですからね。箱の中も極めてすっきりしています。コンピューターの進化は本当にめまぐるしい。

これまでのメインマシンの故障はハードなのかソフトなのか突き止めて、今度はLinuxマシンに変えようと思っています。これはお正月の宿題。古いパソコンがどんどんたまっていくので、どう処理するのかもあわせて、じっくり考えることにします。