Mooの雑記帳

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11月24日 フラシスコ教皇のメッセージ

2019-11-25 07:51:27 | 日記

今は亡き経済学者の宇沢弘文さんが、内橋克人さんとの対談「始まっている未来」(岩波書店、2009年)の中で、興味深い体験を語っていらっしゃいました。

宇沢さんは、自分の一生で最も感動したこととして、ローマ法王(現在は教皇の呼称で統一)ヨハネ・パウロⅡ世から回勅への協力依頼があり、そのテーマについて提言を行ったことや、その後バチカンで回勅作成のお手伝いをしたことをあげていました。

バチカンの動向についてはほとんど関心のなかった私には、「回勅」などという言葉自体も意識の外にあり、その意味を考え始めたのはつい最近のことでした。

昨日からのフランシスコ教皇来日に関して、この回勅ということばが新聞紙上でも見られますが、宇沢さんの解説によれば、「新しいこと」という意味のラテン語エンシクリカル(Encyclicae)の訳で、ローマ法王が在位中に必ず一つは出されるものだといいます。

「そのときどきの世界が直面する重要な問題について深く考察し、ローマ教会の正式なドキュメントとして全世界のビショップに配布されるもの」と述べられていました。同文通達ともいい、カトリックでは「革命」と訳されているとも。すごい文書なんですね。

1981年にレオⅢ世によって出された回勅は『レールム・ノヴァルム』といい、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」なる副題がついていたそうです。
20世紀に入って、世界人口の3/1が社会主義圏に入ったことをポーーランド生まれのヨハネ・パウロⅡ世が非常に憂慮し、1981年から100年を迎えるのを記念して「新しいレールム・ノヴァルム」をつくることとし、宇沢さんにその協力依頼の手紙を出したというのです。

宇沢さんはすぐに返事を書き、その回勅の主題として「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を提案、法王から大変喜ばれて「その後バチカンでしばらくお手伝いをすることになった」というのです。
当時は、社会主義と言えばスターリン独裁とその後のソ連を指していましたし、ポーランドもソ連の衛星国家でしたから、特別な意味を込めて新しい回勅を起草されたのでしょう。

宇沢さんは1981年に来日したヨハネ・パウロⅡ世が、小石川での野外ミサの中で「平和は人類にとっていちばん大切な共通の財産であり、日本の平和憲法は社会にとっての共通の財産である」と語りそれを守ることの意味を強調された、と感慨深く記していました。

     *   *  *

昨日、私は午前中は自主防災会の勉強会、その後はすぐに塩尻での仕事があり、夕方まで全くテレビなどに向き合う余裕がなく、疲れて帰ってパソコンの修復に向かっていましたから、フランシスコ教皇来日と広島・長崎訪問のニュースには触れずじまい。
今朝早くに新聞でニュースを知り、広島・長崎でのメッセージ全文を読みました。

久々に心洗われるような深い響きのある呼びかけに接したが気がしました。神への願い・誓いという部分を除けば、地上に生きるすべての人々への現代最高の倫理・道徳の有り様を示すとともに、単に祈るだけではなく希望への実行を迫る優れて実践的なメッセージです。
それが最も明瞭に現れているのは広島での訴えにある「記憶し、共に歩み、守ること。この3つは倫理的命令です」という一文でしょう。「命令」という極めて強い表現をとっていることに教皇の激しい決意を見ることができます。

「紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながらどうして平和を提案できるか」という真っ当なものいいが、今日ではかえって鮮烈に響きます。深窓にたたずんでただ祈るのではなく「共通の未来のために責任をもって闘う」ことを呼びかけるその厳しくも開かれた姿勢が、人々に深い感銘を与えるのでしょう。

そしてまた、教皇の行動とメッセージは、倫理的にも最低・最悪水準にあるアベ政権を直撃していますから、彼はさぞ苦々しく聞いていることでしょう。
アベ首相と余りに対照的なフランシスコ教皇。アベの立ち位置を照らし出して余りあります。

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