Mooの雑記帳

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7月16日(火) 日本における「極左」思想 (その1)

2024-07-16 17:49:08 | 日記

日本において、国会周辺で若い世代を含めた大規模な抗議行動が起こった最後は2015年の安保法制法案に反対する運動でした。その際には、学生たちの行動は学生自治会としての集団的な活動ではなく、SEALDsに代表される有志の団体の自発的な抗議行動でした。現在では、学生自治会なるものが存在するのかどうか、存在してもどんな活動をしているのかさえ、全くわからない状態ですが、たとえば今年の5月4日東京新聞の記事に示されるように、東北大学でも意識的な学生の地道な取り組みは受け継がれていたことがわかります。

しかし、2015年当時、わずかな人数だが、極左過激集団「中核派」が機動隊ばかりではなくシールズと衝突していた。テレビ東京がその実態を追跡していたが、が、相変わらずメディアが若者の心情に迫るとして、その実態らしきものを追跡はしているのだが、果たして彼らの本質を理解しているのでしょうか。

私が町の財政状況を調べ始め、松本でもある方が中心になって白書づくりを行っていることをたまたま新聞で知り、その中心人物のTさんの知遇を得ました。そのTさんは、東大出身であり、奇しくも1960年安保闘争時に国会突入時に機動隊と衝突して死亡した樺美智子さんと文学部で同期であり、彼女との出会いと共闘、論争、別れを経験、それを自伝的小説「薔薇雨1960年6月」に写し取って発表されていたのでした。

その本をTさんから頂いて数年前に読んだあと、最近また思うところがあり取り出して読み返していたのです(何年か前にこのブログで、この本について書いています)。Tさんは文学部の出身だけに、臨場感あふれる筆致(当時の学生の生硬さと論理の飛躍など)は、当時の若い世代の感覚を写し取ってみずみずしく、小説の構成、語彙、表現も豊かで、感動的です。

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安保闘争をへた1960年代初頭から半ばにかけて、日本の大学の学生運動は、四分五裂となった自治会の立て直し=民主的学生運動の再構築=を巡って再び活気をおびていました。

私が大学の門をくぐったのは1964年。60年からわずか2,3年で東北の各大学では自治会を基礎単位とする組織が形成されており、方針の決定や実践に至るまで徹底した民主主義的手法が確立していたのです。ただ、このころ東京や他の大都市では、安保闘争時からの各セクトの勢力が残っていたために、極めて難しい課題に直面していました。

「薔薇雨」は、1950年代後半から60年までの安保闘争が舞台になっており、安保闘争後の大学の状況を知るためにも貴重な記録ともなっているのです。

1960年に向けての数年は、学生の中では安保闘争の位置づけをめぐって様々な議論がありましたが、単に学生運動の方向をめぐって論争があっただけではありませんでした。闘争を牽引していた活動家はほとんど日本共産党の支部(当時は「細胞」と呼んだ)に属しており(この本の主人公も「彼女」(樺美智子さん)も同様)、日本共産党第7回大会で発表された党章草案(綱領草案)が組織内で大きな問題になっていた事情がありました。東大細胞では、ソ連でのスターリン批判やハンガリー動乱などの影響もあり、民主主義革命から社会主義革命へという共産党大会の草案への異論が噴出していたのです。

結果的に、このときに共産党を割って新たな分派組織を立ち上げたのが共産主義者同盟(ブンド)であり、その後、安保闘争での国会突入など極左的な戦術をとり、破壊の末の挫折へと進んでいくことになります。

ただ、安保闘争では国民的レベルでは彼らの本質は十分には理解されず、血気盛んな若者の過激な行動程度にしか見られなかったこともあり、2,3年後にはさまざまな潮流に分裂・抗争を続けながらもトロツキズムを基調とした「反帝・反スタ」に彩られた極左過激主義を競うようになっていきます。

その背景には、アジア・太平洋戦争での敗戦からそれほど経っていないにもかかわらず、日本がアメリカの手先として戦争準備に前のめりになっているという危機感、国際的には米ソを中心とする核実験の拡大、ソ連のスターリン批判などが青年層に大きな影響を与えていたと思われます。

同時に大学に進学できるのは若者のうちでも一握りであり、とくに国立大学、有名私立大学進学者は、ある意味「エリート」だったわけであり、とりわけ東大では、我々が活路を切り開くという思い入れが強かったのだろうと思われます。

「薔薇雨」では、当時の東大細胞の中で、どんな議論が行われたのかがつぶさに再現されています。現在の学生であれば、おそらくこんな議論などは考えようもなく、頭から拒否されてしまうに違いありません。しかし、当時は=私が入学した1960年半ばから70年までの間ですら、東大で行われていた議論や行動について、当時の議論が、彼らの思考回路を含めて大変よく分かるのです。

そしてまた、私もまたTさんと同じく、セツルメントと志を同じくする教育実践サークルに加入し、同じように学生運動にかかわってきた経験を持つからであり、実践を通して理論化し、それをさらに次の実践に生かして確かめるというセツルメント活動の描写にすごく近親間を持つことができました。

ところで、「過激派」と一言で言うが、その政治思想や行動パターンを歴史的に追跡し、分析したものはそれほど多くはありません。ジャーナリストでも評論家などのなかでも、心情的な共感を持つ人々も少なくないために、その本質にはなかなか迫ることができていないのが実情です。

「薔薇雨」は大学の現場から、その実態の一面を赤裸々に描き出してはいるが、60年代以降の「全共闘」運動にまでは言及しておらず、従って、何ゆえに少ないとはいえいまだにこうした「思想」に若者がひきつけられるのか、また、逆にひきつけられないのかを明らかにしているわけではありません。

これからも、違った形で極端な思考に傾斜していく若者が生まれる可能性があるわけですから、当時の経験を歴史的・思想史的にも追跡しておくことは、現在の若い世代の思考との差異、共通点を考える上でも極めて今日的な意義を持っていると私は思うのです。(つづく)

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