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《読書》吉川潮『芸能鑑定帖』牧野出版(その2)

2007-01-14 10:02:44 | 読書
(承前)
○落語界人事
 先日、桂三枝が上方落語協会会長に就任した。のことに関して、私はある情報を得ていた。それは、露乃五郎前会長が健康上の理由で勇退するにあたり、次期会長に笑福亭仁鶴を指名したというのだ。
 大阪では東京と違って、これまで会長を協会員の選挙で選んでいた。(中略)
 従って、五郎会長の後継者指名は、一部の協会員の間で反発があった。「やっぱ選挙で選ぶのがええんちゃうか」てなもんであろう。(中略)
 さて、上方落語協会だが、結局選挙で決めることになったようで、その結果三枝が選ばれた。仁鶴は立候補したのか、それとも他の対抗馬が出たのか、情報が入っていないのでわからないが、私は三枝が人望があって選ばれたとは思えない。
 これはあくまでも私の推測だが、三枝に投票した落語家たちは、もし三枝が選ばれたら、必ず上方落語界のために「いい仕事をする」と踏んだのではなかろうか。三枝のような売れっ子落語家は、会長という地位を与えられれば、業界のために仕事をするはず。たとえ三枝が嫌いでも、役に立ちそうだから選ぶ。これこそ関西人の合理主義では、と推測する。(「桂三枝が選ばれた理由」pp.82~84)

 これに対して、落語協会は三遊亭圓歌現会長が生きている間は努めるはずだ。亡くなった後の人事が問題で、副会長の鈴々舎馬風がすんなり昇格するのはありえない。同じ小さん門下の実力者、柳家小三治が黙っていないだろうし、筆頭理事の三遊亭金馬、橘家圓蔵らの思惑もあって予想が難しい。(中略)
●付記(中略)
 落語協会は私の予想に反して圓歌会長が退き、馬風副会長が会長に就任した。ネタだった『会長への道』がマジになってしまった。このニュースがマスコミで報道されなかったのは、協会の広報活動の稚拙さによるものだ。(「落語界の人事問題」pp.127~128)

 どの世界にも人事の裏というのはあるもんですね。

※拙ブログ「《person》鈴々舎馬風 」

○襲名
 近い将来、花緑は六代目小さんを襲名するはずだ。そのことを一番楽しみにしていたのは小さん自身であったろう。(中略)
●付記
 私は花緑が六代目を継ぐものだと思い込んでいたが、実子の三語桜が継ぐことになり、平成十八年の秋に襲名披露興業が行われる。
 三語桜という名跡が「留め名」と言われるほど大きな名跡なので、三語桜自身、父親が亡くなった後も小さんを継ぐ気はなかったのではないか。襲名する気になったのは、周囲が強く勧めたからに違いない。
 周囲とは小さんの門下の弟子たちで、彼らは花緑に継がせたくなくて三語桜を担いだと勘ぐれなくもない。というのも、花緑は談春、志らくなど立川流の落語家と親しい。また、商業演劇公演に出るなどそういったことが気に入らない連中が一門にいる。
 三語桜も芸術祭の演芸部門で大賞を獲ったことで自身が湧き、「俺が継いだっていいじゃないか」という気になったのだと思う。
 かくして六代目小さん襲名が決まった。あくまでもこれは私の推測であるが。(「小さん師匠の思い出」pp.63~64)

 私は故人(引用者註:古今亭志ん朝)と親しくお付き合いをしたことがない。自他共に認める「談志派」だから、志ん朝との個人的な付き合いを敬遠していたこともある。また、師匠のゴルフ仲間である桂小益が桂文楽を襲名する際、私が「あんな人に名人文楽の名跡を継いで欲しくない」と書いたのを師匠が読んで怒っていると聞き、ますます遠ざかるようになった。(「サザンと矢沢」p.149)

 私と小朝との付き合いは長くて深い。(中略)なのに、小朝が仕切る義弟の正蔵襲名をどうして否定的に見ているかというと、正蔵の実家、つまり海老名香葉子氏が家長の海老名家に、新興宗教団体に似た偽善性と欺瞞性を感じるからだ。(「こぶ平の正蔵襲名に物申す」p.199)

 襲名は難しいですね。
 先代がいくら名人だからといって、それに見合う人を待っていたらいつまでたってもその名跡が空白のままになってしまいます。名跡というのは山あり谷ありだから(名人もいればセコもいる)、少々セコでも襲名させて名跡を繋いでいくこということも必要なのではないかと思います。
 ただ、あまりにも血縁を重視するのはどうかと思います。歌舞伎じゃあるまいし。

○快楽亭ブラック
(不始末をしでかした快楽亭ブラックについて)このところとみに優しくなっている師匠は、三十年以上仕えた弟子に破門を宣告するのは忍びなかったのか、「顧問に任せる」と私に処分を預けた。
 師匠宅のマンションを出て、ブラック夫婦と近所の喫茶店に入り、私は言った。
「また競馬をやったら、俺から師匠に頼んで破門にしてもらうと言ったよない。お前をこのまま立川流に置いといんたんじゃ、金を貸している方々たちに対してしめしがつかない。出てってくれねえか」
 破門よりは脱会のほうが体裁がいい。一般の会社で言えば、懲戒免職のところを辞表を提出させ辞職扱いにしてやろうという温情処分だ。さすがにブラックも観念して、「わかりました」とうなだれた。こうしてブラックの立川流脱会が決まった。
(中略)
●付記
 名前を書くのも汚らわしいので「外人」と書く。かの外人は月刊誌に発表した手記の中で私への恨みごとを書いた。
 吉川顧問は『突飛な芸人伝』の中で月亭可朝の借金を好意的に捉えているのに、自分の借金を責めるのは、自分に三十万円貸しているからだと。また、家元は許すつもりで処分を任せたのに、顧問の一存の除名にしたというのである。
 馬鹿ぁ言っちゃいけない。(後略)(「快楽亭ブラックの不始末」pp.243~245)

 相当怒っているみたいですね。

※快楽亭ブラックの出直しブログ

 巻末に「人名さくいん」がついています。これは評価できることだと思いますが、残念ながら、「鈴々舎馬風」、「鈴々舎馬桜」が「さ行」にはいっていました。

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