いつだったか、Eテレでやっていた対談番組「SWITCH インタビュー」で、俳優・東出昌大と作家・朝井リョウが出ている回を偶然見た。
彼らがネットでのエゴリサーチ(自分の評価について調べること)を欠かさないというくだりがあったのだけれど、そのなかで、朝井さんの話していた事がとっても印象的だった。
ネガティブな声は目立ちやすい。ポジティブ意見をわざわざ表明する人は少ないから、実際にはポジティブ意見が大半でも、どうしてもネガティブが突出してしまう。そして、受け手はネガティブ意見ばかりなのか、という錯覚をしてしまう。
一言一句は全然合ってないかもだけど、たしか、そんな内容だった。
これ、同感するなぁ。
今年から息子の幼稚園のPTA役員を引き受けることになった。新役員の仲間で話し合って、これまでの旧態依然のやり方を少し見直し、できるだけ無駄を省き、全体の仕事量を減らす努力をしようということになった。
普段から、役員や一般のお母さんたちから、母親の幼稚園活動についての不満や愚痴を当たり前に聞いていたから。
すると、まあ、どこで話し合いの中身を聞いたのか、来るは来るは「変えられるわけない」「伝統は守らなくてはいけない」「先例がない」「経験者の意見を聞いて」というメールや電話の否定的な声が。
それも、多くが役員経験者から。えっ、あなた、「仕事多すぎ!」って文句言ってませんでしたっけ?って耳を疑った。
極めつけは「みんなそう言ってるよ」「ほとんどの人が同じ意見だから」の殺し文句。
みんな?ほとんどの人?
えっ、そうなの?
自分達の一人相撲だったのかな、とヘタレな私なんかは意気消沈してしまい、周囲のお母さんたちみんなが、自分達に敵意をもっているような錯覚に陥って結構悩んでしまった。
けれど、その後、めげない新役員の仲間たちがいろんな声を拾ってくれた。感触ではネガティブ意見が実は多くないことがわかった。大半が反対なんてことも根も葉もない話だった。
ネガティブ意見を持っていた人の回りにいるお母さんですら、
「えーっ、[みんな]でひとくくりされちゃってるの?揉めたくないし、あえて黙ってるけど、あなたたちを応援してるよ」
と声を掛けてくれた。
そっか、味方はいるんだ、とホッとした。でも、味方の声は小さいものなんだ、と改めて実感した。
そうしたゴタゴタが落ちついて見えてきたのが、たぶん、こういう場合、鮮明なネガティブ意見とポジティブ意見はそれぞれ少数意見でしかないってこと。でもネガティブ意見はネット同様、尾びれ背びれがついて炎上しやすい。だから、際立つ。
ほとんどの人は無関心層。いわゆるサイレンマジョリティってやつだ。
役員をする前の私もその一人だったから、サイレントマジョリティーの気持ちはわかる。
でもその無関心の人たちは、「まあ究極的にはどっちでもいいんだけど、できたら楽にしてよね」とは、薄く、でも確実に思っているのだ。私たちの考え方に影響を与えたのは、間違いなくこの空気だし。
でね、そのサイレントマジョリティの、声に出さないけれど、何となく思っている内容を丁寧にくみ取って、一つでも二つでもいいから実現させる作業が、実は私たちかやりたいことなんじゃないかなってことがわかった。(政治とか選挙みたいな話になってきたぞ)
さらに言えば、その意見を汲み取るっていうのも、つきつめれば、とりあえずはやりたいようにやるってことしかないのかな、と。私たちが、私たちの感覚で。もちろん突っ走りすぎず、効果測定もしつつ。
だって、私たちが役員の当たりクジを引いたっていうのは、それはクジの方が私たちを引き当てたってことでもあるのだよね。
一匹狼っぽくて、幼稚園にもしがらみが薄くて、ママ友付き合いも熱心じゃなくて、しかもがっつり仕事している人が多くて、全体的に大雑把でユルい性質。
そんなメンバーばかりが引き当てられたのって何らかの意味がある気がする。集合的無意識という観点でみたら、サイレントマジョリティの声が飽和して産み出された縁なのかな、とも思えるし。
もちろん、ネガティブ意見を訴える人たちの心情、自分たちが苦労して、我慢してやってきたことを簡単に変えるなんて言われたくない、という気持ちも無下にはできない。負の重い実感が伴っているだけに、サイレントマジョリティーを一気に飲み込む力があることも想像できる。
大切なのは、そこに理解を示しつつ、私たちは私たち、あなたたちはあなたたち、の境界線を上手に引くことなんだろうな。
そしてやっぱり鮮明なネガティブ意見に引きずられないことも、自分たちの感覚を信じるのも大事。
うーん、この一年、いろいろあると思うけれど、頑張ります。
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彼らがネットでのエゴリサーチ(自分の評価について調べること)を欠かさないというくだりがあったのだけれど、そのなかで、朝井さんの話していた事がとっても印象的だった。
ネガティブな声は目立ちやすい。ポジティブ意見をわざわざ表明する人は少ないから、実際にはポジティブ意見が大半でも、どうしてもネガティブが突出してしまう。そして、受け手はネガティブ意見ばかりなのか、という錯覚をしてしまう。
一言一句は全然合ってないかもだけど、たしか、そんな内容だった。
これ、同感するなぁ。
今年から息子の幼稚園のPTA役員を引き受けることになった。新役員の仲間で話し合って、これまでの旧態依然のやり方を少し見直し、できるだけ無駄を省き、全体の仕事量を減らす努力をしようということになった。
普段から、役員や一般のお母さんたちから、母親の幼稚園活動についての不満や愚痴を当たり前に聞いていたから。
すると、まあ、どこで話し合いの中身を聞いたのか、来るは来るは「変えられるわけない」「伝統は守らなくてはいけない」「先例がない」「経験者の意見を聞いて」というメールや電話の否定的な声が。
それも、多くが役員経験者から。えっ、あなた、「仕事多すぎ!」って文句言ってませんでしたっけ?って耳を疑った。
極めつけは「みんなそう言ってるよ」「ほとんどの人が同じ意見だから」の殺し文句。
みんな?ほとんどの人?
えっ、そうなの?
自分達の一人相撲だったのかな、とヘタレな私なんかは意気消沈してしまい、周囲のお母さんたちみんなが、自分達に敵意をもっているような錯覚に陥って結構悩んでしまった。
けれど、その後、めげない新役員の仲間たちがいろんな声を拾ってくれた。感触ではネガティブ意見が実は多くないことがわかった。大半が反対なんてことも根も葉もない話だった。
ネガティブ意見を持っていた人の回りにいるお母さんですら、
「えーっ、[みんな]でひとくくりされちゃってるの?揉めたくないし、あえて黙ってるけど、あなたたちを応援してるよ」
と声を掛けてくれた。
そっか、味方はいるんだ、とホッとした。でも、味方の声は小さいものなんだ、と改めて実感した。
そうしたゴタゴタが落ちついて見えてきたのが、たぶん、こういう場合、鮮明なネガティブ意見とポジティブ意見はそれぞれ少数意見でしかないってこと。でもネガティブ意見はネット同様、尾びれ背びれがついて炎上しやすい。だから、際立つ。
ほとんどの人は無関心層。いわゆるサイレンマジョリティってやつだ。
役員をする前の私もその一人だったから、サイレントマジョリティーの気持ちはわかる。
でもその無関心の人たちは、「まあ究極的にはどっちでもいいんだけど、できたら楽にしてよね」とは、薄く、でも確実に思っているのだ。私たちの考え方に影響を与えたのは、間違いなくこの空気だし。
でね、そのサイレントマジョリティの、声に出さないけれど、何となく思っている内容を丁寧にくみ取って、一つでも二つでもいいから実現させる作業が、実は私たちかやりたいことなんじゃないかなってことがわかった。(政治とか選挙みたいな話になってきたぞ)
さらに言えば、その意見を汲み取るっていうのも、つきつめれば、とりあえずはやりたいようにやるってことしかないのかな、と。私たちが、私たちの感覚で。もちろん突っ走りすぎず、効果測定もしつつ。
だって、私たちが役員の当たりクジを引いたっていうのは、それはクジの方が私たちを引き当てたってことでもあるのだよね。
一匹狼っぽくて、幼稚園にもしがらみが薄くて、ママ友付き合いも熱心じゃなくて、しかもがっつり仕事している人が多くて、全体的に大雑把でユルい性質。
そんなメンバーばかりが引き当てられたのって何らかの意味がある気がする。集合的無意識という観点でみたら、サイレントマジョリティの声が飽和して産み出された縁なのかな、とも思えるし。
もちろん、ネガティブ意見を訴える人たちの心情、自分たちが苦労して、我慢してやってきたことを簡単に変えるなんて言われたくない、という気持ちも無下にはできない。負の重い実感が伴っているだけに、サイレントマジョリティーを一気に飲み込む力があることも想像できる。
大切なのは、そこに理解を示しつつ、私たちは私たち、あなたたちはあなたたち、の境界線を上手に引くことなんだろうな。
そしてやっぱり鮮明なネガティブ意見に引きずられないことも、自分たちの感覚を信じるのも大事。
うーん、この一年、いろいろあると思うけれど、頑張ります。
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