すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

欲求の扱い方。

2016-02-05 10:53:08 | My メソッド
前回、気分について書きましたが、補足です。

気分の中にある、欲求。

自分の欲求に気づきにくい人は、自分の欲求に気づいてシンプルに叶えていくという習慣がまずはとても大切です。

ただ、ある程度までいくと壁がやってきます。

食べたいまま食べて
見たいまま見て、
買いたいまま買って、
寝たいまま寝る。

やりすぎた時に、かえって気分が悪くなっている、体調が悪化しているという矛盾。アルコールなんかの嗜癖行為も、まさにこれが激しい形で現れたものです。

私の場合、胃が弱いせいもあって、「食べたい」に無意識に従っていると、後にひどい目にあいます。(昨日も、ラーメンに具を入れ過ぎて、全部食べて、丸一日苦しみました💦)。

ほかには、興味のあるニュース、たとえば川崎の中1殺害事件の裁判員裁判の詳細記事を気の向くまま見てたら、とてつもなく落ち込みました。

食べたい、見たい、を無意識に続けていたら、自分をかえって苛めてしまったのです。

仏教のお坊さんが禁欲的な事を説いたりするのは、まさに、こういうことが起きるからなんです。

人間は弱い面もある、という前提に立って、あまねく教えに汎用性を持たせるために、何事においても腹八分目的な事を説くわけです。

でも、自分の気分・感覚に敏感になっていくと、自分でその分岐点がわかるものなんです。

🔸🔸🔸

私のラーメンでいうと、明らかに自分の中で満腹サインが来てました。でも、それを軽くふり払ってしまいました。

「残すのもったいないしな」とか、「野菜だから大丈夫」とか、「まだ、もうちょっと食べれそう」とか、そんな気分や感覚以外の声(脳の暴走)に従ってしまったのですよ!

アルコールも、ネットサーフィンも、寝すぎもね、身体の小さな声、気分・感覚の声に丁寧に耳を傾ければ、「これ以上はなし!」になるはずなんですよね。

それは禁欲的になれとか、欲求を持ってはいけない、我満しろ、ということでは全然ないのです。

欲求を、正しく充しましょう、ということです。

今を感じる感覚がまだ掴めないうちは、これをやり続けたら、どんな気分になっているだろう、という未来予測の判断で物事を選択するのがコツです。

その判断にすら従えないときは、なんらかの代償行為、単なる依存行為ですから、すでに自分だけでは手に負えない状態かもしれませんね。

欲求は、自分の全部が調和のとれる形で充したときに、初めて「気持ちよさ」を与えてくれます。その加減を知っていくことが、自分を本当に大切にすることにつながるんですね。






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