すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

そっけない人。

2015-02-10 14:14:24 | My メソッド
そっけない人が苦手です。苦手以上の恐怖に近い感情です。

ママ友、仕事関係の上司や同僚、ご近所さん、かかっている病院のドクターや看護師さん。そっけない人と接触する機会があると、なんとなく憂鬱になって、一刻も早く離れたくなります。

例えば、病院を選ぶ基準はどちらかというと先生の腕よりも、先生の印象で決めることが多いです。

ちなみに私は、多分そっけなくない人です。愛想のいい方の部類の人間だと思います。そう断言するのは、夫が決して誉め言葉ではなく、そう指摘するからというのと、もう一つは、私という人間が、

そっけない → ❌
愛想がいい → ⭕️

という価値観で生きているということを、私自身が自覚しているからです。

だから、自分が「愛想がいい」を意識的、あるいは無意識的に実践して、それをひっくり返す人にはアレルギーを覚えるということだと思うのです。

でも、

そっけない、は必ずしも❌でない。
そっけない人は、必ずしも悪い人ではない。

というのは当たり前で、それが経験としてようやく実感するようになりました。そっけない人を、そっけないという理由で避けたり、反応したりしない人も大勢いるからです。

彼ら、彼女たちは、愛想がいいには⭕️をつけていても、そっけないに❌もつけていない人たちだったりするのです。だから、そっけない人が苦手でもなければ、怖くもない、そっけなくされても傷つかないのです。

自分に対してそっけない人と親しくなる必要はないのですが、せめて怖いという感情は緩めたい。そんな私が、このところ実践しているのは、

そっけない人には、自分もそっけなく。

振り返れば、私はそっけない人にも、そっけなくしない人間でした。そっけない人にも、愛想よく接して、同じようにしてもらえないことに勝手に傷ついていた節があるのです。

では、自分もそっけなくしてみると、どうなるか。

相手はほとんど変わりません。変わるのは私です。「そっけなくされたのに、愛想よくする自分」が消えた分だけ、私は傷つかなくなるし、相手の言っていることを恐怖心や嫌悪感というフィルターを通さないで落ち着いて聞くことができます。

持病の悪化で大きな病院にかかっていて、ちょうどそんな体験をしたところです。担当になったドクターがまさにこのそっけないタイプで、最初は診察室に入るが苦痛で仕方なかったのですが、私もそっけなく対応してみると、怖さがすーっと抜けました。不思議なことに、普段より説明の時間を余分にとってくれるようにもなりました。

そっけない、がデフォルトの人にとっては、愛想がいい、が⭕️ではないので、そこを評価しませんし、無駄に愛想がいい人には強い違和感を感じて、もっとそっけなくしたくなるものなのかな、とも思ったりします。

ちなみに、私、夫に対しては真逆で、ひたすらそっけなく、愛想がないです。外面がいい、日本人&A型人間の典型みたいなものですね。だから、外で愛想のいい私に対する夫の目は限りなく冷たいんです。

私の愛想の良さは私の本質ではなく、ただのペルソナってことなんですね。
photo by pakutaso.com


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