すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

「お母さんは幸せ」と言える人生を。

2015-02-08 16:20:37 | 心理メソッド・生き方


冬になると、こんなリンゴが箱入りで2回ほど届く。今年の1回目は年末だった。ふじ、王林、紅玉など、目にも楽しい色とりどりのブランドリンゴの詰め合わせだった。

そして、2回目は先週。シンプルな信州リンゴ。3人家族の我が家には少々多いけれど、ゆっくり時間をかけて消費するつもり。

この送り主は、この人。夫の母、私の義母だ。

妊娠中に義母がリンゴを送り届けてくれて、苦しんでいたつわり期間だったから、その瑞々しい味わいに救われた。と、そんなことをいつだったか義母に話したら、それから毎年リンゴが送られてくるようになった。

この義母という人は、はたから見て、不幸が似合わない人だなと思う。この先の人生も、悪いことが起きるようにはとても思えない何かを、この義母は持っている。初めて会った日に抱いたその直感は、今も変わらない。


先週参加した、心屋仁之助さんの講演会で、「僕の話を聞きにきてくれる人に、今からする質問をすると9割の人が手を上げる」という話があったのだけど、実際に心屋さんが質問すると、まるで魔法にかかったみたいに9割の人の手がワーっと上がった。私もその一人だった。

小さい時に、お母さんが幸せそうには見えなかった人。

質問の設定があまりに心屋流だわと苦笑しつつ、圧倒的な結果にグウの音も出なかった。心屋さんのところに集まる人の共通点は、優しい人、そして何らかの生きずらさを抱える人、というのは想像に難くない。

でも、その大元が「お母さんが幸せに見えない」にあったりするなんてね。

幼少期に1番身近にいた人が、「幸せに見えなかった」というのは、確かに、その人生に物悲しさを伴う決定的な何かを与えるのかもしれない。

それが、「お母さんは、私が絶対に幸せにしなくては。自分の人生を脇に置いてでも」だったり、「この世界は私を幸せにするものではないんだ。だってお母さんが、そうだったから」だったり、「私は、一番身近で大好きなお母さんを幸せにできなかったんだ」だったり。生きずらさを生む、いじらしいスキーマだ。

昨日、「子どもの時、お母さんって、幸せそうに見えなかったことあった?」って夫に聞いたら、「ん?全然」と即答で返ってきた。「おやじとの結婚も含め、あの人は恵まれた人生だよ」。想定内すぎる回答。

質問の意図もわからないほどに、うちの夫は、生きずらさには無縁な人だ。繊細な部分もある優しい人ではあるけれど、気持ちの浮き沈みが穏やかで、「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。自分の母親に対する感情にも、余計な感傷がほとんどにじまないのだ。

あの母だから、この息子。うーん、納得。

義母ほどの幸せオーラをまとうのは難しいとは思うけれど、息子にも、どうか、「お母さんは幸せ」って思わせてあげたい。そこを基準にして生きていってほしい。

となると、私、責任重大だ。



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