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すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

脱力系の「有名」指導者。

2014-12-18 08:10:49 | 育児・母稼業
脱力系指導者の続編です。

宮本哲也さんって、ご存知ですか?

宮本算数教室という小学生を対象にした塾を主宰している方で、いわゆる超名門校に多数の塾生を送りこんでいるカリスマ塾講師です。

でも、その塾、受験に特化した、いわゆるバリバリ進学塾という感じではなさそう。

入塾希望者は引きも切らず殺到するそうなんですが、入塾テストはなく、抽選だか早いもの順だかで入塾が決まるらしいです。どんな子もこの先生にかかったらグングン伸びていく証ですね。

フジテレビで以前「全力教室」という番組があって、それに出演されてるのを見て知りました。今では自分の番組を持つほどの、あの林修先生みたいな派手なパフォーマンスはないけれど、宮本先生のその哲学に惚れました。

脱力ってお顔ではないけれど(失礼(^_^;)、この方もまさに脱力系指導者です。

宮本先生の秘策は、ずばり「教えない」。これまた逆説ですねー。いや、この逆説は、「子どもは本能で学習したい、成長したい生き物」という絶対的信頼を礎にしたもの。

たとえば受験にまだ遠い三、四年生は、ただひたすらこんなパズルを解いてるだけなんですって。

『賢くなるパズル・たし算初級』

(↑わが家も購入しましたが、さすがに4歳には少々早いかも?!)

子どもの本能を信じて、ただ教壇に立っている、教えない指導者。その人を前に、子どもたちはフロー状態に置かれ、ひたすら考え、何度も失敗し、最後には自分なりのやり方で答えに到達するそうです。


読売新聞のこの記事を読んでみてください。

「やりたいことはとことんやる。やりたくないことは一切やらない」


そういう状態に持っていくことが、子どもの学習で1番大事な事!と豪語する宮本先生。

あれれ、このフレーズって、どっかで聞いたような。

そうですね。あの方とかあの方とかがおっしゃってることと同じです。

親の立場からすると、

「イヤイヤ、苦手教科もやらなきゃダメでしょ」とか、「そんなことしたら受験で不利でしょ」

とかなるわけですが、でも宮本先生はそう断言して、さらに結果も出しちゃってますからね。

信じるしかないです、もう。


「全力教室」で印象的だったのは、こんな話。

初対面で丁寧すぎる挨拶をする子に違和感を覚えるという先生。「よくできたお子さんですね」と言われたい親に仕込まれた不自然さを感じるのだとか。小さな子は、初めて会う大人に親しみを感じられないのが当たり前です。

とまあ、なんと本質を見ていることか。

「挨拶が上手にできる子」って、子どもが大人に評価される一般的なモノサシですよね。で、このモノサシを共有する親が子どもに挨拶を仕込む。でも、このモノサシの反対側を見ている大人もいるわけです。こういう大人もちゃんといるって事、子どもには救いでしょうね。

私も幼稚園のバスの先生に朝お会いする時など、結構必死に「おはようございますは?」なんて息子に言ってた時期がありますが、宮本先生のエピソードを聞いてこれもやめました。

あえて言うなら、私自身が挨拶するだけです。そしたら、いつしか息子も自分からやるように。もちろんやらない時もありますけどね。

「親は余計なことするな」
「親は子どもの邪魔をしない」

宮本先生の哲学は、こうも言ってます。

なんか、親の立場というより、私自身の後学のために塾に潜入して授業を観察したい。そんな心境にさせられる、宮本先生です。


脱力系の指導者。

2014-12-16 12:16:01 | 育児・母稼業
4歳の息子は、今年の春からスイミングに通っています。かれこれ8か月たったところ。

どちらかというと全般的に運動は苦手で、スイミングもまあ、めきめき上達するような感じではありません。

ひたすら、のらりくらりですが、ただ、なぜか進級テストは今のところ一回も落ちないで来ています。

プールが嫌いでないこと(まあ、好き)、テストの時にプレッシャーをほぼ感じないことが、たぶんマイペースに上達している理由かな、って思っています。

そんな息子、今月からビードバンでけのびをするクラスに進級したのですが、なんだかここに来てやたらヤル気になっているんです。

「早くスイミングに行きたいよ~」と毎日のように言うので、理由を聞くと、購入したばかりのゴーグルを使ってみたら水に顔をつけるのがすごく楽になったから、なんだとか。

まあ、これは彼が説明できる理由なんですが、私はもう一つ別の理由があると踏んでるんです。

今のクラスのHコーチ。この人の存在が大きい。これまで指導してもらったコーチすべてを息子は「好き」と言いますが、Hコーチに代わったとたん、息子の話にこのコーチの登場する回数が非常に増えました。顔の特徴や、どんな風に声をかけてもらっているのか、Hコーチの話になるとやたら口が軽くなる。

ガラス越しの保護者席で見ていると、そのコーチの良さがすぐにわかります。

「ちょっと、このコーチ教え方上手くない?」と、私の後ろに座っていたパパ&ママが驚きの声を上げるんですが、本当にその通り。コーチが子供の耳元に何かを囁くと、どの子もどの子もやるたびに上達する様がはっきりとわかるのです。

教え方が上手いというのももちろんなのでしょうが、このコーチの良さはまさに「リラックス」「脱力」しているところ。見るところ、心に一本筋が通っていて、あとはなんでもこじゃれ、のゆるい感じ。30歳前後とおぼしき男性ですが、お顔もまさに心が安定している人特有の印象です。

褒めすぎないし、しつこく注意もしない。自然な笑顔で、短く大切なことを子供に一声かけるだけ。出来た時には軽くハイタッチ。出来なくても過剰なホローはしない。結果をさほど重視せず、子供に余分な期待をかけない感じがうかがえます。

なんといっても、プールサイドの子供たちがリラックスしているのがわかります。笑顔が多い。そして「失敗したらどうしよう」とか「コーチの期待に応えなくちゃ」という力みがない。だから、コーチのアドバイスが素直に耳に入って、なんとなくできてしまう。そんな感じです。

これに気付いたのは、私自身がリラックスしているから。熱血タイプのコーチにあたると、保護者席の私の両手にも力が入る。「失敗しないように」「コーチの期待に添うように」と、親の私までもがきっと力んでしまうんです(親バカ?バカ親?)。人の空気に影響を受けやすい私。そんな自分を察知すると、意図的に席を外したりしましたけどね。

少し前に、心屋さんのブログでこんな記事↓が紹介されていたのを思い出しました。
はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く


指導者のリラックスも脱力も、子供への信頼からしか生まれない。そんな、信頼なんて大げさなものでもないか。どっちでもいいんだよ、どうせ君たちは伸びたい、成長したい生き物だろっ、知ってるよーって感じかな。

子供たちがその力が発揮できるのは、誰かの重すぎる期待を感じることなく、失敗してもいい環境に置かれたときなんですよね。やっぱり。

期待って、本当に難しい。昔は「少しくらいはあってもいい」とも思ったけれど、最近は思います。「ないならないだけいい」と。


ちなみに、息子が次のクラスに進級したら違うコーチになってしまうので、しばらくは曜日変えてでもこのコーチのおっかけをしようと思っています。(これも親バカ?バカ親?)


photo by pakutaso.com



「嫌い」「嫌われる」からの卒業。

2014-12-11 11:17:02 | 育児・母稼業
今日は、この記事の続きみたいな感じで書いてみます。

最近、息子は「今日は幼稚園行きたくないんだよ」とか、「体操の時間が嫌いだよ」なんて言います。嫌だな、ということをあんまり口にしない飄々としたタイプだと思っていましたが、そうでもなかったみたい。

その代わりに、「○○君と○○君と○○ちゃん、家に呼びたいんだけどな」とか、「ゴーグル使ったら目が痛くなくなったから(プールのおけいこのある)早く土曜日になりたいよ」とも。いや、こういうプラスの事は以前も言っていたのですが、私自身が上手に拾えなかったのかもしれない。

先日は、「この前ね、○○君と○○君と○○君(息子とは合わないタイプかな?!)に、プラレールで『あっち行け!』って仲間外れにされたんだよー」とポツリ。

「そっか、で、どうしたの?なんか言い返してやった?」というと、「うん。『いいもんね!しーらない』ってね。ボク、強いんだよ」と息子。

「仲間外れにされたら悲しいと思うけど、○○(息子)には好きな子もいるし、○○のことを好きな子もいるんだから、そんな友だちと遊べばいいんじゃないかな。もちろん、一人で遊ぶのも楽しいよね」というと、「お母さんも、○○君とか○○ちゃんのママとか好きだもんね」と息子。

「うん、お母さんも好きな友だちとお話するのが好きなんだ」というと、もうすでに「この話終わった」と言わんばかりに、おもちゃで遊び始めた息子。「おいっ!」って感じですが、きっと彼の中でも「仲間外れ」が終ったんですね。


以前の私なら、「仲間外れ」というワードにこだわった。悲しくて、息子がかわいそうで、でも仲間外れくらいでクレームなんて言えやしないし、仲間外れにした集団と息子が仲良くなれるようにした方がいいのかな、と悶々悶々もんもんもんもん、だったんです。

そして、どれもやりたくなくて落ち込む。この落ち込んだ母、4歳の息子から「お母さん大丈夫だから。心配しないでよ」と泣いて言われたこともありました。

あ、息子は、言えなかったんだろうな。マイナスな事を言うと、私を悲しませるんじゃないかって、4歳なりに小さな心にインプットしたんだろうな、と今になってわかります。そして、「仲間外れ」はお母さんが悲しむほど惨めなことなんだ、というのも同じくインプットされたのかもしれないですね。

でも、私が自分自身に「嫌い」も「嫌われる」も「ママ集団とつるまない」も「一人の時間を大切にする」もきちんと認めたら、息子の「嫌い」も「嫌われる」も「仲間外れ」も「集団での一人遊び」も「ふうん、いいんじゃない。そういうのもあるんじゃない」と素直に認めることができてしまったんです。

息子の中にも、そういう気持ちが起きたってことですよね。


仲間外れにしたというお友だちの一人○○君を少し前に見かけました。以前は「強い子なのかな」とか、「息子の事どうして嫌いなのかな」とか、そんな目で見ていました。私が優しく声をかけることで息子にも優しくしてくれないかな、という媚びの気持ちもあったり。

でも、自分のこだわりが消えて、私があえて声をかける必要もないし、息子を彼に売り込む必要もないと思うと、そこにいるのは、ただの少しやんちゃな男の子です。息子とは、遊びの波長が合わないお友達でしかありません。

なんだろうな。

頭でわかっても、まだしっかりと腑に落ちてはなかったんでしょうね。でも、うん、ここにきて「嫌い」も「嫌われる」も、私の中である程度決着が付いたような気がします。

こーの支配からの卒業 🎶

かな。

(あっ、尾崎聞こっ)


photo by pakutaso.com












「嫌われる」理由。

2014-12-04 19:10:34 | 育児・母稼業
心屋さんの「嫌われてもいい」についての記事を書き、多くの皆さんにも読んでいただきました。

この「嫌われる」ということに、改めてある気づきを得る出来事がありました。

先日、息子の幼稚園の行事で園まで出かけたところ、ある女の子のママに声をかけられました。仮にAちゃんとします。

年少の時も同じクラスだったAちゃんですが、真面目で頑張り屋さんタイプの彼女とおちゃらけ担当の息子との接点は普段ほとんどありません。

「この前ね、年中にもなったんだし、Aに『好きな男の子いないの?』って聞いたのよ。そしたらね、少し黙ってたんだけど、恥ずかしそうに『○○くん(うちの息子)。だって優しいもん』なんて話してたよ」

「えーーーっ、それホント?むしろ、Aちゃんには嫌われてるんじゃないかって思ってたのよ」

「それはないよ。ツンデレなだけだよ」

私としては、まさに「それ、ないわ!」の境地です。

その理由は、父親参観の時に夫が撮影した映像にさかのぼります。円座になってリズムに合わせてお遊戯や歌をお父さんに披露する場面。Aちゃんと息子は隣同士。目立ちたがり屋の息子は前に出たいばっかりに、隣のAちゃんの邪魔をする格好に。

「もう、やだ」「あっち行ってよ」「ぶつからないでよ」

と、Aちゃんは険しい表情。

うん、そうだよね。ごめんね。邪魔だよね。母の心境はまさにこれてす。

で、

「あ、Aちゃんは息子のこと嫌いだろうな。イヤなことするから嫌いに違いないよな」

と一つの固定観念ができあがります。

その後も、息子とAちゃんについて別の女の子Bちゃんから情報が。

「わたし。Aちゃんと仲良しなんだ。でも、Aちゃんが○○君(息子)に『あそぼ』って言うの聞いたことない。仲良くないんだよね」

うん、そうなの、息子ね、Aちゃんに嫌われているからね。

そこでまた、息子は「嫌われている」という観念が強化されます。

でも、肝心要のAちゃんの本当の気持ちがどうかは、知らない。知らないのに、私は彼女の気持ちを勝手に想像していたのです。


でも、Aちゃんの心の中は真逆でした。息子の事を「好き」と感じてくれていたという事実です。

Aちゃんは、私に大切な事を教えてくれました。


○○すると嫌われる。
○○だから嫌われる。
○○しないと嫌われる。


この法則を使って私も息子を叱ることがありますが、これ本当に本当なのか?ということです。そう思っているのは私の思い込みなんじゃないのか?ということです。

これまでずっと、多かれ少なかれ、自分自身にそんな観念を注いできた気がします。


自分の意見を言うと嫌われる。
迷惑かけたら嫌われる。
人に合わせないと嫌われる。


その同じ見方を息子に植えつけてきたということです。そのほとんどが、息子の魅力を消火するおまじないになっていたかもしれないということです。

で、ね。

子供の方が、もっとおおらかに人を見ているという事実がありました。嫌な思いをさせられたり、喧嘩をしても、別にそれが嫌いな理由に必ずしもならないということ。

さらに言えば、のびのびと自分を出している人を「好き」と感じられる心を子供は持っているということ。時々嫌いになっても、時々見せてくれる「優しさ」をきちんと受けとってくれてるということ。大人みたいに簡単にレッテルを貼ったりしないということ。

これは、私にとって、まさに奇跡のような着想でした。


この事実を逆手にとって言えるのは、

メールの返信が早い(自分も急かされる)から嫌われることもある。
自分の意見をひっこめて(信頼できないという理由で)嫌われることもある。
人を褒めてばかりで(わざとらしい人という理由で)嫌われることもある。

って事ですよ。

嫌われないようにしたことが、もしかして、嫌われたり、軽く見られたり、どうでもいい人にされる理由になる可能性だってあるということです。少なくとも、その行為は、相手の中に、本物の「好き」を芽生えさせることはない気がします。

もう、それがわかったら、なんだかバカバカしくて。

嫌われないためにしたことが、いかに無駄なあがきだったかということです。このままで、あるがままで良かったんじゃんということです。

こうなると、もう、本当に「嫌われてもいい」になるんです。どうしたって嫌われる理由がわからないなら、そりゃ、もう、嫌う人には嫌っていただきましょう、の境地です。


(多分、続きます)

photo by pakutaso.com

やりたくないことをやらないために。2

2014-11-15 13:33:45 | 育児・母稼業
前回の記事。

幼稚園の執行役員の選挙の日を迎えた。

開始から、30分もたたないうちに、選挙終了。

異例の早さと言われ、役を免れたお母さんたちから歓喜と驚きの声がわきあがる。その高揚感の証として、彼女たちはまるでとんでもない奇跡が起きたといわんばかりに、あるいは革命を起こした英雄たちを褒めたたえるみたいに、会場の壁の方に向かって大きな拍手を浴びせた。

その先にいるのが、新役員達4名。

AさんとMさんと私。年少の時に同じクラスで仲の良かった私たち。
そして、会長Nさんは2歳児クラスの時のお友達。

そう、あの、みんなが鼻つまみする執行役員に、私を含め4人が立候補した。


photo by pakutaso.com



さてどうなるか、という心境だった朝早くに、LINEの電話が鳴った。Aさんから。来たか、やっぱりなあと思った。私、この人からの電話を待っていたような気がする。

「Mちゃんとバスの見送りの時に話したんだけど、彼女執行役員やってもいいって言ってる。くじとかゴチャゴチャするのいやだからって。私もそれならって。ねえ、あやせ(私)ちゃんもやらない?どうせやるなら気心の知れたメンバーでやらない?」

Aさんと私は同世代。好き嫌いがはっきりしていて、嘘のない彼女に私は信頼を置いていた。でも、彼女は上の子の小学校の役員もやっているので、Mさんと話すまで立候補には積極的ではなかった。会長職も無理という。

Mさんは30代の男の子ママ。柔らかい雰囲気の人で、誰とでも垣根なく話せる人懐こい人。今回のきっかけを作ったのは彼女だから、「芯が強い」「信念の人」というイメージが彼女に加わった。

私は、もう、即答である。
「うん、わかった。やろうか」
すでに、自分自身、意外でもなんでもなくなっていた。

選挙の少し前に集まって、3人で簡単な意思確認。やる気はあるけど、みんな「会長だけはできない」という点で揺るがなかった。私も、さすがに会長まで引き受ける勇気はなかった。でも、くじで決まる会長というのでは、モチベーションが上がらない。うん、困った。

そこを、2歳児クラスの時に同じだった色白美人でまさしく聡明な学級委員タイプのNさんが通りかかった。すかさず、姉御肌のAさんが声をかける。

「ねえ、役員一緒にやらない?」

「えっ、ああ、うん、いいけど。やるならやってもいいよ」

彼女もほぼ即答である。Aさんは畳掛けるように言う。

「ねえ、会長やって。お願い。私たち全力で支えるから」

「えっー、それは無理無理。いやー、それは」

というNさんだが、なんだか押せば引きうけてくれそうな予感。私も、一緒になって「やって~」と頼み込む。

しばらくもがいていた彼女、意を決したように、ある時現職の会長が待機していた隣の部屋を訪ねる。

「どんな仕事か聞いてくる。それで、やるかどうか決める」。

なかなか戻らない。10分、それとももっとだったかも。

ヤキモキしていた私たちの元に、やや紅潮した顔で戻ってきたNさんは告げた。












「やるっ!」







「お~」


拍手で迎えながら、胸が熱くなった。
その勢いのまま、私たちは会長以外の役割を適当に決めて、セットで立候補したのである。Aさんがあたりをつけて声をかけたメンバーがすごい確率で「OK」の即答したところを見ると、他にも立候補する人がゴロゴロいるのではとも思った。ところが、「立候補する人いますか?」の声に反応したのは、この4人だけ。

4人が手を挙げると、「えーっ!」とい
う悲鳴に似た声が一斉に沸き起こった。その声に、一番驚いたのが4人だった。

会長職を引き受けたNさんがポツリと言った。

「はじめて正夢を見た」

朝方まで眠れず、見た夢が何と、会長になる夢だったのだとか。無意識の世界で起きたことに素直に従った彼女は、まさしく勇気のある人である。私たちに背中を押され、自ら清水の舞台から飛び降りた人。


後日確認したところ、メンバーすべての考え方はほぼ一致していた。

「仕事を楽しもう」「ゆるもう」「ママたちの義務と負担を減らそう」「おかしいと思うものは変えていこう」「空気を読んで行動するのはやめよう」「自分たちが納得する仕事をしよう」

そして、

「私たちがこの幼稚園を心から好きになりたい。誇りに思いたい。そのためにできることを考えよう」。


選挙の次の日からしばらくは、「泣きそうだった」「鳥肌が立った」「このメンバーなら執行役員をやってもいいと思ったくらい」「頼もしい」「すごい、信じられない」「なんか、変えてくれそう」というメッセージをいろんなママたちから受け取った。


幼稚園の役員でこんなドラマを生むってすごくないですか?


幼稚園をよくしようとか、皆がやりたくない仕事を引き受けたとか、大変なことに自ら足を踏み込んだとか、そんなものでもないのだ。

私たちは、ただ自分たちの心の中の「やるかー」の声に素直に従っただけ。やりたくなかったことを、やりたいことに変えただけなんだ。もちろん、それぞれがありったけの勇気を出したのはウソじゃない。

私たちは私たちのために、私たちが納得した仕事をしよう。それが、他の人から見たら「失敗」かもしれないし、「ひどい執行役員」になってしまうのかもしれないけれど、それでもいい。

でもね、きっと、私たちが心から楽しむことをめいっぱいやれたらね、その先にはさ、幼稚園のママたちや子どもたちにとってもイイこと、私たち役員としての本当の「成功」が待っている気がするな。それを素直に信じられるれるのも、実は私にとって奇跡だったりする。


今は、まるで青春ドラマの登場人物になりきっている私たちです。

あー、楽しい!


(この後、すごい爆弾事件が降ってきた。)

またいつか書きます。

















やりたくないことをやらないために。1

2014-11-12 16:54:03 | 育児・母稼業
夏の初め頃からかな。

ある一つのコトが心に引っかっていてそれをどうにかできないものかと、引き寄せ関連のブログを覗いたり、「ツキの正体」という伝説の雀士の本を読んだりした。

どこまでマジメにかはわからないけれど、目に見えない力で、それをどうにかする術をさぐっていた。

だって、それはジャンケンとかくじとかで決まるものだから。運とかツキとかがすべて。実力とか努力とかでなんとかなるシロモノではないものだから。


そのコトとは、幼稚園の役員選挙。


クラス役員ではなく、執行部の役員で、学校でいったらいわゆる生徒会みたいなもの。



たかが幼稚園の役員。

私も最初はそう思っていた。何なら引き受けますよと。

だって姉やすでに小中の子どもがいる友人から聞いた幼稚園の役員は、負担も少なく、楽しそう。ママ同士や幼稚園の先生たちと仲良くなれるチャンスだよ、とも言われた。

でも、古い伝統を守っている息子の幼稚園はどうやら様子が違った。執行役員は義務と強制と犠牲に縁取られた世界というのがママ達の語り草。

執行役員になると、園側やOBの空気を読み、母たちからの不満を受け流し、フルタイムの仕事並みに忙しく、でも誰からも有り難がられるわけでもなく、粛々と目の前にあるものをこなしていくことを求められる。

それも、ホントか盛り過ぎなのかはわからないけれど、とにかく執行役員の大変さを物語る悲惨なエピソードは、枚挙にいとまがないことだけは事実だ。

そんなわけで、良くない噂がさらに良くない噂を呼び誰もがまるで伝染病を怖れるように、執行役員だけにはなりたくないと忌み嫌う。

普通の幼稚園だったら仕事をしているママに代わって「私がやりますよ」と進んで役員を引き受ける人も少なくないという。

もちろん、息子の幼稚園のママたちも基本「私がやりますよ」精神は強いと思う。

でも、そうした人たちをしても、「この園の役員だけは申し訳ないけれど気安く引き受けられない」ということになる。

だから、立候補する人もめったにいない。基本的には、じゃんけんとくじで決まる。「黒い服だと当たりくじを引きやすい」といったジンクスまでもが語り継がれている。くじを引いて毎年泣き崩れる人がいるというのも事実らしい。

執行役員の対象者には、子どもが年中の秋になると「役員選挙のお知らせ」なるものが届く。通称、赤紙。

そこには、執行役員の選挙の日にちや段どりなどが、細かく細かく書いてある。「絶対に逃げられませんよ」の気迫十分なお知らせである。もう、これを手にしただけで、テンションガタ落ち。

ちなみにこの赤紙が届くのは、クラス役員を経験していない人で園児の下に子どものいない人40名くらい。

この対象になりたくなくて、母たちは年少児から必死にクラス役員になろうとする。クラス役員も、おそらくその辺の幼稚園とは比にならないくらいに忙しいと思うのだが、「執行役員だけには絶対になりたくない」という執念がそうさせる。


何を隠そう。私は、今年、その恐怖の執行役員の候補者だったのだ。クラス役員に立候補するという逃げ技は使わなかったけれど、でも仕事もあるし執行役員だけはやりたくない、と思ってきた。


この執行役員をやりたくなくて、空くじを引く方法、じゃんけんに勝つ方法を編み出すために、子供だましみたいなツキとか引き寄せとかに興味を持ったというわけ。

自分でも笑っちゃうけど、でも結構本気だったのだ。



ところが、いろんな本の影響もあったのだろう、最初の思惑とはよそに、私の意識はどんどん違う方向に向かう。じゃんけんもくじもどうでもよくなっていた。


「執行役員は絶対にやりたくない」という気持ちが、知らない間にゆるくなっているのに気づいてしまった。


「ぜったいやりたくない。誰かやってくれないかな」




「くじ引いたらやるしかないか」



「仲のいい人とだったらやってもいいか」



「やるなら、いい仲間とやることになる気がする」


にまで変化していく。


ついでに、私の中に萌してきた、


「やりたくないことはやらない」



という生き方への羨望と実践。


やりたくなかった執行役員をくじて引いたら、やりたくないことをやることになる。それは、やっぱりイヤだ。


さあ、どうする。


役員選挙の前日にも、さすがに立候補には気持ちが向かなかった。ただ、モヤモヤした気持ちか静まり、なんだかワクワクするような、不思議な予感か私の中にあった。


(つづく)



ママ集団との付き合い方。

2014-10-18 11:01:39 | 育児・母稼業


幼稚園が休みになったので、息子と雑林のある公園へ行きました。

遠足で仲良しの女の子友達が緑色のドングリを拾ったのが羨ましかった息子。自分が拾ったのは茶色ばかりで悔しそうでした。

リベンジで出かけた公園で、ブランコをしてる時に見つけたのが、写真手前の小さなドングリ。

息子の嬉しそうな顔ったら、ありませんでした。

ただ、拾った時は、キレイな緑色でしたが、段々茶色になってしまいました(^_^;)


私たちは、園が休みの時はこうして2人だけで行動することが多いです。友達と約束するのが面倒なのと、団体で行動すると、楽しさがある一方自由さが減るから、ドッと疲れるんです。

一緒に行動することを何となく求められる静かな強制も苦手。自分だけならまだいいのですが、子連れ同士というシチュエーションは、より面倒を感じがちです。

リーダー的なママから、「一緒に遊びましょう」的なメールが来ても、誘いに乗らないこともしばしば。年少の時は断ることの方が多かったかも。

「あんまり、集まりに来ないよね。子ども同士が仲良くなるのは、母親同士が仲良くなるのが一番なんだけどね」

と、アドバイスを頂戴することもありました。そんなこと言われると、「やっぱりそうした方がいいのかなー」と、揺れてしまうのが私の弱いところです。

だから、最初は子どもが乗り気じゃなくても行きましたが、でもそういう時の疲れ方は尋常じゃない。息子も、さほど楽しめない、という悪循環。

不思議とそういうママたちの子どもたちは、綺麗に固まって遊びます。タイプは違いそうだけど何故かいつも一緒。そして、息子が「あそぼ」と言うと、かなり高い確率で「ダメー」とか言われます。

そして、久しぶりにまたお誘いをいただきました。

私はあんまり乗り気でないし、息子も即「いかなーい」の回答。緑色のドングリを拾いに行く約束をしていたので、やんわりお断りしました。

ここで、私が二人の選択を気持ちよく認めれば、なんてことはないんですが、

「あんまり、集まりに来ないよね。子ども同士が仲良くなるのは、母親同士が仲良くなるのが一番なんだけどね」

なんて言葉が再び頭をリフレインしてしまうので、やっかい。相手が悪気もなく言った言葉にひっかかるのは、付き合いがあんまりよくなくて、出無精の自分をどこかで責めているのかもしれません。息子をそれに付き合わせてしまっている罪悪感もあったりして。

だから、こんな時は2人の時間も心底楽しめなくなります。もったいない話ですよね。母の心のうちなんておかまいなく、目の前の息子は私と2人きりでも大はしゃぎですから。

集団遊びは否定するわけではありません。私自身が、友だち数人に声を掛けて公園で遊ぶ時もあります。ただ、その場合、同じタイプのママを選びます。だから、来る時間も帰る時間も、かなりユルい集まりになります。

子ども同士も一緒に遊んだり、親子で遊んだり、いつの間にか全然知らない集団と交わっていたり。でも、別に誰も気にしない。もちろん、次の約束もしません。

私は、集団とはこんな付き合い方が性にあっています。


他人の価値観を無理に取り入れようとせず、ただ、自分にとってストレスフリーな状況を罪悪感なく、選択していく。「これでいいや」と心から言えるのが一番ですね。

ただ、第一子の子育てという弱点もあって、子どもが絡むことだと、自分を脇に置いて、ついつい、子どもにとって、母として、なにが正しいのかを考えてしまいます。

好き嫌いで選ぶことへの躊躇が、強くなるんです。


あー、でも書いてて思いました。

子どもが絡んでも結局は、一緒でいいんですね。余分なエネルギーを消費する人付き合いに、価値を置く必要もないのかもしれません。

私も息子も楽しめないお付き合いが、息子にとっていいものであるはずがない。

他の人には価値のあるものでも、私には価値はない。

それを、誰かに承認してもらう必要もない。

ぜんぶ、私が私に認めれば済むことなんですね。








プチマイノリティーを生きる。

2014-09-22 21:28:29 | 育児・母稼業
文学界からは錚々たる顔触れ
谷川俊太郎、村上春樹、村上龍

世界的音楽家といえば
坂本龍一

演劇会&ドラマ界のヒットメーカー
三谷幸喜

水泳界のホープ
萩野公介

若手役者の中で一際存在感を放つ
綾野剛


なんのリストかわかります?共通点は?

その道で、なんらかの賞をもらった人?

いや、もちろんもらっているんだとは思いますが。






正解は、こちら。
↓↓↓
一人っ子


わかった人はすごい、
っていうか、私と同類。

間違いなく、私と同じ、一人っ子男子のママですよね。

ですよねー*\(^o^)/*

名だたる人たちが、どうして一人っ子かを知ってるかといえば、著名人が一人っ子だと知るやいなや、自然に強烈に私の頭にインプットされてきたからです。

一人っ子は成功する!
一人っ子は素晴らしー!

とまでは言わないまでも、
こんなに素晴らしい人たちもそうなんだから、
一人っ子もいいんじゃない、
一人っ子も悪くない、
くらいには、思いたかったのかな。


子どもを生む前は、一人っ子への眼差しに、ほとんど偏見なんてありませんでした。

友だちにも一人っ子は多いし、その中にいわゆる一人っ子っぽさなんて感じたこともない。とにかく子どもの数なんて気にしたことがなかった。

そんなことを気にする世界があるなんて想像もできなかった。

でも、新米母たちの世界は違いました。

一人っ子はかわいそう。

そんな意識を、同調圧力を、あちらこちらから感じました。

「兄弟は?」「二人目は?」

の質問を交わす時のきまずさ。

兄弟ネタで盛り上がるママ集団での居心地の悪さ。

一人っ子は、一人っ子ママは、プチマイノリティなんだな、と特に子どもが集団生活に入ると思い知らされます。

本心は「子どもは一人」で決まっていたのに、他者の意識を取り入れすぎて、

「息子に兄弟を作ってあげないとかわいそう?」

「二人目を考えないのは、親の身勝手?」

「一人っ子は、ダメな子?」


とまで考えて、苦しくなったり。

いつしか、一人っ子コンプレックスの穴にはまりこんでいました。

実際には、面と向かって一人っ子批判を聞いたこともないし、一人っ子だからという理由で息子が責められた経験もないんですけどね。

むしろ、一人っ子のママから「一人っ子だから…」というフレーズ、その後に必ずマイナスが続くフレーズを飽きるほど聞いて、悲しくなったかな。私と似たような気持ちを味わったゆえの、一種の防衛機制なのでしょう。批判される前に自分で批判しとくみたいな。

かつての職場で尊敬する精神科のDr.は「偏見が強いのはむしろ当事者や家族」と言い放ちましたが、まさに同じ構図かもしれません。

煮詰まり気味だった頃に、助けになったのは、和田秀樹氏のこの本です。↓

『ひとりっ子の育て方』


一人っ子のメリットを、かなり偏って書いてあります。複数のお子さんを持つお母さんが読んだら憤慨モノかも。ただ、この偏りのおかげで、かなり救われました。

それから、だんだんと真ん中にもどってきました、私。

息子の方は、どうかというと…

ある日、家の修理に来ていたおじさんに、話しているのを聞きました。

「おじさん!ぼくね、兄弟いないんだよー」


いいでしょー、と続きそうなその響きは、なんだか自慢げというか、少なくとも彼にとっては、兄弟がいないということがマイナスでもなんでもないんだ、というのを感じとりました。

友だちも恋しがる一方で、一人でじっくり遊ぶことも好きな彼は、すでに一人っ子の素質を十分満たしているのかもしれません。

一人っ子は、別に良くも悪くもない。
まあ、子どもの数なんて、一人でも、二人でも、どっちでもいいのでは。
自分がいいのが、一番いいのでは。

今は、そんな心境になりつつあります。











「花鳥風月」のある生き方。

2014-09-21 16:19:14 | 育児・母稼業
息子とお出かけすると、目的地までの時間は、読めません。

鳩がいると近寄って、時に追いかけては逃げられます(-。-;

花があると、撮りたがり。

こんなん見つけた、と電車の中で自慢大会。

夜、窓越しに満月を見つけると、まるで世紀の大発見をしたみたいに「来て来て!」と言って私の手を引っ張ります。

石ころとか葉っぱとかお月様とか、そこに魅了されるというのが、もう私にはよくわからない世界です。

私の頭の中には、息子のこと、夫のこと、幼稚園のこと、仕事のことなんかが絶えず占領しがちで、心はそれをひたすら受け止めている。

目の前のことなんて、正直どうでもいい、なんて感じの時が少なくありません。

息子は、私に怒られても、幼稚園で友だちと喧嘩しても、つまりどんなにイヤなことがあっても、目の前に自分を魅了する現象に遭遇すると、意識がまっすぐそちらに向かう。

切り替えの天才。
そして、今を生きる天才。

子どもは、小さければ小さいほどこの才能をもっています。

日々その様を目の当たりにすると、この才能の邪魔をしたくないなあ、この才能をできるだけ消さないで大人になってもらいたいなあとつくづく思います。


養老孟司さんは、『バカの壁』の中などでも、よく言います。

人間には、花鳥風月が大切なんだと。

いじめられて自殺した子どもの遺族の手記を読んで、そこにはまるで花鳥風月が出てこない。
雨が降っていたとか、季節とかの描写がなくて、誰に何を言われたか、そんな、ひたすら人間関係で起きたことの描写しかない。
人間関係の世界が全てになったら、それがうまいかなくなった時に、追い詰められて当然かもしれない。逃げ場がないのだから。

確か、そんな内容でした。養老氏は、虫捕りがお好きなので、そちらの世界に触れることで人としての調和をとっておられます。

子どもの頃に持っていた才能を、そのまま失わなかった方なんですね。

私は、心のことに興味が向かいすぎる傾向があります。

自分の文章を自分で読んでも、あまりに人間のことばかり、心のことばかりすぎて息が詰まることも(^^;;

花鳥風月、余白、あそび、が決定的に欠けているのを自覚します。

だから、大人になっても花鳥風月を大切にできる人にとても憧れます。

散歩中に見かけた風景や情景
旬の野菜や果物
自分で育てる植物や花
じっくりと時間をかけて淹れるコーヒーの味

たとえば、そんなささいな自然を五感で味わい愛でるだけでも、違うのかもしれません。日々の生活にも、心にもホワイトスペースは生まれるのかもしれない。

ごくごく身近に、息子という師匠がいるのですから、私もおそらくはかつてもっていた、花鳥風月に馴染んだ感覚を呼び戻したい、そんな風に思うのです。






できて、できない、そしてまたできる。

2014-09-19 08:53:03 | 育児・母稼業
朝、窓を開けたままでいると、手と足の先っぽがかじかんできます。

ついこの間まで、汗ばんだ身体を生温かい風が覆っていたのに。

蝉の声も、聞かなくなりました。


↑息子が夏にハマった絵の具遊びの紙も、秋風にさらされてカラカラに乾いてます。


そんな息子君、昨日、延長保育の帰りに再び鉄棒に近寄ります。前回りの復習かな。

ひょいとジャンプしますが、
あれ、できない。

いや、今のは逆まぐれ。
さあ、次こそは。

あれ、まただめ。

その後は、何度やってもだめで、

なんで?なんで?
できたのに、
できない、できない!


と泣きじゃくります。

あまりに不機嫌になって、私に八つ当たりするので、私の機嫌も悪くなります。

それくらいで、怒んないでよ。
焦ってもだめ。
できない日もあって、またできる日もあってを繰り返して、最後にできる日ばかりになるんだよ!


投げ捨てるように言いますが、全く聞いてません。悔しい感情に占領されてます。

家に帰ってきたら、すぐに息子の機嫌は直りました。


今朝、自分にも同じことが起こります。あるプロジェクトが思うように進まない。それに苛立つ自分を発見します。

うまく行ってる!ってなった時もあったのに、それから全然進んでない。

悔しい、悔しい、なんで、なんで。
結局うまくいかないじゃん!


半ば意識的に、夫に八つ当たりしてみたり。こんな時、夫は私より人間ができてるので、反撃しません。穏やかにほおっておいてくれます。

そうです。息子と一緒です。引きずるのが長い分、私の方がタチが悪いかも。

息子の悔しい気持ち、八つ当たりしたい気持ち、やっと共感できました。

本当に、私って未熟だー(-。-;

息子に投げ捨てた言葉を、今度は自分のために拾おう。

焦ってもだめ。できない日もあって、またできる日もあってを繰り返して、最後にできる日ばかりになるんだよ!