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すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

前周りできた。

2014-09-17 08:56:33 | 育児・母稼業
4歳の息子。

どちらかというと、運動は苦手な方かな、と思っていました。

外遊びは大好きでブランコなんかは早くマスターした方ですが、鉄棒、かけっこはからきしダメ。

年少の運動会のかけっこで、スタートの笛に反応できずビリ。

その様子を見た私が「あらー」と息子に運動音痴の烙印を押してしまったくらいなので、本人にもそんな自己イメージが出来上がってしまったのかもしれません。

息子は、スポーツ教室にも通ってますが、鉄棒も縄跳びは効果は出ず。周りの友達が少しずつマスターするので、私にも少し焦りが出てきました。

それならと、夫婦で週末ごとに公園に連れ出して鉄棒の前周りの特訓をしますが

「できない、できない」


息子は、やってもできない経験を積み重ねて不機嫌になるばかり。

ばあばに、

「ボクね、何にもできないだよ。かけっこも鉄棒も縄跳びも。へへへ」


と、なんとも爽やかにボヤいていたんだとか。

こりゃ、マズイ。
私が一生懸命になるほど、息子は自信をなくしていくのがわかりました。まあ、当然かもしれません。

「キミはできないんだから、頑張って練習しなくちゃいけないんだ。そう、キミはできないんだから」


私の一生懸命さは、そんなメッセージを彼に植え付けていたのですから。

鉄棒も縄跳びもできなくていいや。
少なくとも、息子本人がなんとかしようと思うまでは、別にできなくてもいいよね。

そんな風に夫婦で腹を決めて、公園での特訓はやめました。

で、先日幼稚園の園庭で女の子の友達と鉄棒で遊ぶ息子を見かけました。友達は、運動神経万能で、逆上がりもできる子。鉄棒するその子の隣で、息子はひょいと体をジャンプさせ、そのまま体をクルンと回します。

「◯◯くん、すごいね。前周りできるんだ」


どこからかかけよってきたママ友に、

「う、うん。そうみたいだね」


とびっくりしながら答える私。

あら~、前周りできた。
練習してないのに、なんかできちゃってるよ~!!

息子も、自分の身に何が起きたのかがわかると得意満面の笑みです。

そのあとは、周辺にいた友達のママたちを捕まえては、「見て見て」のお披露目会です。付き合ってくれたママ達に感謝ですσ(^_^;)

私は、やっぱり何にもしないほうがいいんだ。

確信に変わる出来事がまたひとつ増えました。








息子を問題児にするスキーマ。

2014-08-30 17:18:00 | 育児・母稼業
私は、息子についてある信念を持っています。

実際は、息子には関係なくて、私が勝手に持っている信念。持っていても役に立たないから捨てたい信念。

息子は、私が見ていると、友だちとトラブルになったり、仲良く遊べないことが多い、という信念。

で、実際に、そう。

私の目を通すと、息子は問題児になります。本当は、時々そうなる程度だけれど、私の実感は、「いつも」に偏りがちです。

でも、私の目がないと彼は問題児ではなくなるのです。

幼稚園でも、一時保育でも、お稽古の場でも、彼に関するトラブルも苦情もまず聞きません。

むしろ、「小さいお友達に本当に優しくしてくれます」「おっとりしてていつもニコニコしてるから、みんなから『かわいい!』って思われてますよ」と褒められる機会の方がはるかに多い。

「○○君大好き」「○○君は、『あそぼ』って言わなくても、遊んでくれるんだよ。ダメって言わないの」なんて言ってくれる友だちもいます。

心配になって、先生たちにあれこれ自分の目が捉える彼の姿を話すと、

「そうですかぁ?まあ、そういう面があったとしでも、4歳ならみんなそうですから」
「自分の子は、どうしても悪いところにばかり目が行きますよね」

と一笑に付されます。

私がいると息子に甘えが出るから、私の前だからわざと悪ぶる、ということもできるけれど、そういう面も含めて、私の目が問題を作っているんだ、私の目が息子を問題児にしてるんだ、とすでに悟りつつあります。

私の目は、息子を大らかに見守る目ではなくて、心配の目、何かやらかすんじゃないかの目になっているのだと思います。

私の目を生み出す私の信念は、簡単には変わらないだろうから、開き直って、息子が友だちと遊ぶ場面を見る機会を意識的に減らすことにしてみました。でも、もちろんゼロにはならない。

で、先日お友達の家にお呼ばれして、まさに、その信念通りのことが繰り広げられます。

息子は、友だちの家にある珍しいおもちゃに夢中になります。

そのうち、普段は仲良しの女の子が息子の頭にクッションをぶつけます。息子が反応しないと他の二人の男の子と一緒に、再びクッションを今度は一斉にぶつけました。

だんだんと、不機嫌になる息子。
なかなかやめない女の子の顔を手で遠ざけつつ、つねろうとしました。もう一人の男の子には、持っていたトミカで頭をコツンと。そしてその子が泣きわめく。息子の顔が引きつります。

お母さんたちは、
「◯◯君が嫌がることするからだよ」
「もう、クッションやめなさい」
と助け舟。

そして、私は息子を叱ります。かなり大きな声で。

お母さんたちの手前もあるし、お友達は遊びでちょっかい出してるだけだよ、それくらいのことでやり返さなくてもいいでしょ、何よりやり返すのに手を出すのは良くないよね、という気持ちから。

厳密に言うと、母親はそう思うべきだよね、っていう信念から。

一応、「クッションがイヤだったんだね」とは言ってはみるものの、息子には届きません。普段はすぐに機嫌が直るのに、この時は珍しく引きずりました。表情が固い。後から友だちと絡んで遊ぶときにも、ややぎこちない。ノリが悪い。

私も、気分が悪くなりました。この時は、息子の気持ちには向かわず、「ああ、まただ」というゲンナリ感と2人のママたちから息子を乱暴だと思われたらやだな、怖いなとまで感じました。

家に帰って冷静になってやっと、息子の気持ちと偏りのない現象が見えてきます。

息子は、そもそもイヤな事をされたんだから、イヤだと言ってもいいし、しつこくされたら、怒ってもいいんだ。

やり返し方がやりすぎな印象ではあるけれど、本当は言葉でまず言えたらいいんだけど、息子にはもしかしたら手が出てしまうくらい不快だったのかもしれない。

普段は、言葉でイヤを伝えてる事の方が多い息子。手もめったに出ません。やり返した手段の方に私が最初に焦点を当てたために、息子のイヤという気持ちは否定されてしまいました。

逆の立場だったら、私はやはり息子を責めたと思います。

たぶん、その場合は、友だちにしつこくした息子の行為がまず良くないと素直に考えられたから、それほど私の気分は悪くならなかったはず。コツンとされた程度では、仕返しに手を出した友だちを責める気持ちにもとてもならなかったでしょう。

私が、2人のお母さんに対して抱く感情は、過剰で的外れですらあります。多分。

つまり、私の目に何らかのフィルターがかかっているからこうなるのです。このフィルターは、私のもともとの性格と、ある出来事によるものだということを、実はわかってもいます。

これが、多分、私の目が息子を問題児にしてしまうからくりです。

それと、「やられてもやり返さない」とまでは思ってないけれど、「やり返す時は、手を出してはいけない」とは思っている節があります。これだって、真実ではない、と頭ではわかっています。

「手を出してはいけない」に焦点が当たると、それを現認したときに、息子の気持ちに寄り添うことができなくなります。「絶対に」が加わると、叱る以外の対処はほぼ無理。

「手は出さない方がいいけどね」
「本当に腹が立つ場合は、手がでることもあるんだね」

くらいにゆるめられたら、私の信念も徐々に崩れていくんだろうな。私も、もっと気楽に息子を見ていられるんだろうな。そんな風に、思います。




息子、初めてのお別れ。

2014-08-23 18:47:53 | 育児・母稼業
「きみはいい子」の小説を読んで思い出した、息子と、友だちのこと。

初めて自分で仲良くなった友だちとお別れしたこと。

私は、当時あまりに悲しくて日記に残しました。



H君は、息子が幼稚園の年少組になって初めてできたお友だちだ。

入園当初、戸惑いからか落ち着きなく離席することの多かった息子。
入園式から泣いてばかりで、これからやっていけるんだろうかとお母さんを心配させたH君。

母親同士が仲良しのわけでもなく、席が近いわけでもないのに、なぜが気の合った二人。先生も、不思議がるほど。

入園当初は、ちょっぴり劣等生だった二人が、お互いを通して、幼稚園に居場所をみつけ、二人打ち解けるほどに、園の生活にも馴染んでいったんだろう。

私が迎えに行くと、H君の上履きをはいた息子が出てくることがあった。

担任のベテラン先生いわく、
「どうしてだか、この二人、いつも一緒にいます。」
担任の若い先生いわく、
「お互い好きすぎて、靴まで交換しちゃいました」。

Hくんは、色が白くて、お兄ちゃんがいて、見た目はそんなにやんちゃっぽくなく、繊細そうな感じ。

でも、息子曰く
「H君がね、『○○くん、行こ行こ』って言ってくれたの」
と、誘ってくれたのは、もっぱらHくんの方だったよう。

バザーの時、ぐずりだした息子を家に帰したあと、H君が、私の目の前に現れた。
「○○君は?」
帰っちゃったよ、というと残念そう。
そして、それから何度となく私のもとに来ては、
「○○君来てたの?」「○○君は?」と尋ねてきた。

その様がかわいらくして、息子を気にかけてもらえることが、ありがたくてうれしかった。

その日を境に、幼稚園で顔を合わせると、私にも手を振ってくれるようになった。

私もH君が大好きになった。

息子の口からも、H君の名前が消えることはなかった。

そのHくんが、夏休みに、四国に引越してしまった。

お父さんの転勤が急に決まったらしく、みんなに顔を合わすことなく、さよならになってしまった。

息子もちゃんと、さようなら、ができたらよかったのになあ。

意味がわからなくても、ぎこちなくても、初めてできた、大切で大好きで、いつもいっしょにいてくれた友だちに、
きちんとした「別れ」ができたらよかったのになあ。

終園式のとき、ちゃんと遊べたのかな。

先生から、Hくんのお母さんに、
「○○君ととても仲良しだったのに、残念ですね」
との言葉があったとか。

H君のお母さんにメールで挨拶すると教えてくれた。お母さんも、
「○○君のおかげでHは幼稚園に楽しくいけるようになりました。感謝しています」
と書いてくれた。

たった三カ月のお付き合いだったけど、
H君のおかげで息子は、ちゃんとした幼稚園生になれた。自分を必要としてくれる友だちを持つことができた。

すぐに忘れちゃうんだろうけど、きっと悲しくなるくらいお互いすぐに別の友だちができちゃうんだろうけど、でも、いいよね。

何かは刻まれたはずだから。

このつかのまの時間の中で小さな体が真っ白な心が獲得したことは、二人にとって、大事なものになるはずだもんね。

H君、ありがとう。○○と仲良くしてくれて。

新しい土地で、たくさん友達作って、幼稚園生活を楽しんでね。

○○も、二学期から頑張るね。新しい友だちができるように、頑張るからね。





友だちが去ってから、私が気がかりだったのは、息子にH君みたいな仲良しの友だちが再びできるんだろうか、ということです。

実際、できなかった。今も、まだH君を超える友だちはいません。

幼稚園は好きだし、いろいろな友だちと遊ぶのは好き。一時保育でも、すぐになじむ。ただ、H君はあらわれません。

私が、気負って場を提供したり、私の友人の子供と交流させても、やっぱり同じ。

いつも息子が家に帰ると名前がひっきりなしにでてきたH君は、H君みたいな友だちはあらわれません。


この小説
を読んでふっと思いました。
母親の私をこれほど感傷的にさせた、息子と友だちの出会いが、そんなに簡単に、どこにでも転がっているはずがない。

「子どもだから」と軽く考えて、高を括っていたのかもしれません。

子どもでも、たぐいまれな出会いはあるし、簡単に代用のきかない関係があるんだってことを。





親。

2013-10-24 16:27:52 | 育児・母稼業
息子に、こんな風になってほしい。

あんな風にはなってほしくない。

人の親になるということは、自分以外の人間に、自分を押し付けることなのだ。
期待、なんて、もたないほうがいい。親という、圧倒的立場をもっている人間は、特に。

忘れちゃいけない。

息子は、息子が、なるようになっていくだけ。彼の意思の有無にかかわらず。彼は彼の生命の法則に従っていきていくだけだ。

おもらし

2013-09-15 19:04:26 | 育児・母稼業

息子のおもらしが、またひどくなった。毎日のように、着替えのパンツで降園してくる。下洗いしてくれる先生に、申し訳ない、というか、うんざりされてやしないか、と滅入る。

「三歳にもなって、お漏らしなんて恥ずかしいよ」

私の口調は荒くなり、息子は、次はしない、と言って、またやらかす。私の説教口調は、怒号にかわる。

ふと、気づく。
私のこの言い草は、息子に偏見を植え付けている。息子が、私の言葉の通りに育てば、息子は、三歳でお漏らしをする子は、恥ずかしい子なんだ、と信じるようになる。その偏見は、自分自身だけでなく、間違いなく、他人にも向けられる。

男の子が○○したら、恥ずかしいよ。
○○したら、お友達に嫌われるよ。

本当に、そうなんだろうか。私は、その言葉をきちんと吟味して息子に届けているのだろうか。

こんな言葉を、ともだちにしたり顔で言う子どもに、息子をさせたくない。そう感じるなら、その言葉は正しくないんだ。

男の子でも三歳でも○○する時はあるし、そうした条件を外しても○○してしまう子はいる。
息子が、そんな友達に出会っても、簡単に排除しない心性をもってもらいたい。

それと、もうひとつ。

友達を叩いた時。
集団行動で逸脱行為をしたとき。
私は、はげしく息子をしかる、というより、なじる。しつこいほどに。

見かけ上は、悪いことをした息子のその行為を叱っている。悪を追及するために、駆逐するために、叱る。でも、本当は違う。自分でも気づいてる。私は、他者(それはママ友であったり、幼稚園の先生であったり)から向けられているような気がする悪意を一身に受け止めなければならないことに極度に反応し、息子に八つ当たりをしているようなものなのだ。

その悪意は、私が勝手に想像するもの。実際にそんな悪意があるのかどうかもわからない。

こういうのは、よくない。やめなければ。でないと、私は自分の都合で怒鳴り散らす鬼母でしかなくなってしまう。
息子が、本当に悪いことをして叱るとき、彼にひびくだろうか。いや、それ以前に、私は彼の悪と対面したときに、なじるのではなく、真剣に叱るということができるだろうか。その気迫に、不純物がないと息子が感じてくれるだろうか。

私自身がまず、自分を、自分の感覚を、使っている言葉を見つめてみること。ひとたび、本当に大切なことをつかんだのなら、自分の感覚を、他者や常識よりもまず、その自分を何よりももっと頼りにしてもいいんだよな、と思う。


産んで初めてわかること。

2013-02-02 22:22:19 | 育児・母稼業

息子を出産するまえ、親からも、姉からも、その他いろんな人から言われた。
本にも書いてあったっけ。

「子どもを産んではじめて、親の大変さや苦労がわかる。感謝の気持ちも、親になってみてはじめて出てくる。」

そういうものなのかな、と思って、で、実際、親になってみてどうなのか。

残念ながら、よくわからなかった。

親という立場を担う人間の大変さと苦労が、どんなものかはわかったけれど、それが、自分の親への感謝につながるか、と言われれば、そこは全然別問題、というのが実感だ。

親の大変さ、苦労は、私が与えたものなのだろうか。

私が、親に大変な思いをさせて、苦労させたのだから、私は、親に感謝すべき、といわれると、やっぱりふに落ちない。

私は、自分の意思で親のもとに生まれてきたのではない。どういうわけだかわからないけれど、この世界に生まれてきた。子どもを望んで産んだ親のもとに、たまたま生まれた。

つまり、意図があったのは親の方だ。

親は、親になりたかったのだから、親として、経験してしかるべき大変さ、苦労は、親のものであって、たまたま生まれた私に関与するものでもない。

今、自分も親になったのだから、親と言う立場の人間として「共感」はできる。

でも、それは、子育て中の友人や、見ず知らずの親に向けるものと、違う種類のものとは思えない。

感謝の質も、親になる前のものと、親になってからと違うかと言えば違わない。
年齢的に、親への感情が変わってきたのは認めるし、自分を産み育ててくれた人への特別な思いという点で、大きな感謝の念はあるけれど、それは、以前から変わらずあったもの。

出産を経験したから、子育てを経験したから、その視点がドラスティックに変わったというのは、ない。

むしろ、私は、この人たちを幸せにしたんだろうな、と思うようになった。傲慢に聞こえるだろうけど、親にしてあげて、親の人生に大きな意味を与えたこと、これも、もちろん私の意図ではないけれども、でも、そのことこそ誇りに思うようになった。

これは、自分が親になって初めて立ちあらわれた視点だ。


息子に対しても、感謝しろ、なんてととても言えやしない。

私がそうであったように、彼もまた、ただ生まれてきただけだ。何らかの不思議な縁で、私にところに来てくれただけだ。

子どもを求めたのは、親になるのを欲したのは、こちらの方なのだから、大きくなっていく彼に、産んであげたことの、育ててあげたことの感謝を求めるのは、
なにか、ものすごくいやらしい感じを覚える。

感謝するか、しないかは、彼の問題。私は、彼によって、人間としての一つの幸せをもらったことを、本当にありがたいと思う。

幸せは、もちろん、悲哀も含めてね。
ただ、それだけなんだ。




歯磨きのこと。

2011-04-16 22:27:52 | 育児・母稼業

息子も1歳3カ月。

そろそろ歯のケアが必要になるので、
先日、近所の歯医者さんに歯科デビューを果たした。

私が息子を抱っこする形でリクライニングの患者用の椅子に座り、歯科衛生士さんと歯科医師の丁寧かつ優しい診察を受ける。

そこで、先生から息子の仕上げ磨きのアドバイスを受ける。

「強くしちゃだめなんです。強くやるとブラシの先が広がってしまうから。落ち葉の掃除を思い描いてください。軽く箒で掃くでしょ。あの感覚です。強くやるとかえって汚れは取れない。歯もおんなじです。軽く磨いて汚れをとるんです」

ほぉおお。知らなかった。
強い力でしないと、汚れって落ちないんじゃないんだ。

普段の息子の仕上げ磨きはもちろん、自分の歯磨きについても思いをはせた。

ちなみに、私の歯は健康で、ここ10数年、いや20年は歯科にお世話になっていない。

産後も歯のトラブルは皆無。歯医者に行ったことがないものだから、磨き方のノウハウもない。

ひたすら強く磨いて、歯ブラシがすぐにだめになって、ダメになると、歯のざらざらが残って不快な感じ。

で、すぐに歯ブラシを新調。というのを繰り返してきた。

家に帰って、息子の仕上げ磨きはもちろん、さっそく自分の歯磨きにも試してみた。

落ち葉を掃除する感じ。あくまで優しく、軽く。

あら不思議。
へたり気味の歯ブラシで、少しざらざら感が気になっていたのに、アドバイスされたように磨いてみたら、ざらざら感が全くない。舌で歯の間をなぞってみても、なんだかすっきりしている。

すごい。
やっぱり、餅は餅屋だ。

息子のおかげで、図らずも歯磨きのコツをご教授いただけた。これなら、歯ブラシは長持ちするだろうし、歯ぐきの痛みや負担もないし、一石二鳥だわ。

そんなわけで、歯磨きの時間が楽しくなった今日この頃である。




育児という、新しい世界へ

2010-03-21 00:00:00 | 育児・母稼業
1年半ぶりに、このブログに日記を投稿している。

いろいろ忙しくしていて、ブログどころではなくなって、だったら、閉鎖してもいいのに、また戻ってきてしまった。

とほほ、である。
書きたいことが、出来てしまったからだろう。

この冬に息子が生まれた。
結婚して2年目に授かった子だ。

いわゆる、育児日記が書きたいわけではない。息子について書きたいというより、息子によって変化していく自分を残していきたい。

それにしても、育児とは、こういうものだったのだと実感する日々。これほどまでに、自分が主体となって、あくせくしたのはいつ以来だろう。いや、かつてないかもしれない。

死に物狂いで働いた時代はあったけれど、私がいなくても物事が進むことを後から思い知らされた。

でも、育児は違ったりする。
私がいないと、物事は進まない。

この両手の力を緩めれば彼は死ぬことだってあるし、おっぱいを与えなければ、彼は簡単に飢えたりもする。

息子の存在は、少なくとも乳児期の今は、私で成り立っている。そんな怖い世界が、育児。

息子の誕生によって、私の世界観は変えられてしまうだろうと覚悟していたけれど、その通りだった。

でも、育児バンザイ、親バカバンザイなのである。