海浜の岩をじっと眺めていると
地球の表層の内側で起きている
ズレや 割れや 押しつぶしの現象を
むき出しにして見せつけられているように
思うときがあります
文にしんにょうは、這の異体字です。
這は「出むかえてあいさつをする」意味を持ち、「這える」と書いて「むかえる」という読み方もあるようです。
「這」は、草書体が似ていることから「遮」や「適」と間違えられ、その混用が定着し、「これ」「この」と読まれることもあるそうです。
「這う」を「はう」と読み、その意味で使うのは日本語だけのようで、「はう」という使い方だけが「国字」とされています。
特定の仕事をするときだけ日本人と呼ばれるような、這さんも妙な気分でしょう。
ところで、文を言に入れ替えて異体字にしたのは、言文一致の洒落なのでしょうか。
止にしんにょうで、徒に似ていて違う「うつる」の異体字になります。
音は「シ」で、「ト」ではありません。
「シ」はずれて動いていく、「ト」は一歩一歩あるいていくので、意味も違います。
止まるという字を、ずれ動く意味に変えてしまうのも、しんにょうのはたらきかと見つめていると、これも何ということはなく、「シ」の「止」以外の部分を分解再組立すると、しんにょうの元の字「チャク」になるのでした。
「シボクのシン」という言葉があります。
政治に携わる者が民に向かって嘘をつかないことを明らかにするという意味のようですが、世の中にはそれとは反対に、自分の仕事は嘘をつくものであることを堂々と明らかにする政治屋さんが目立ちます。
そんなものだとわかったような悟り顔への応答は、拍手よりもシカトのほうがよさそうな気もしています。
不にしんにょうは、還の異体字です。
不と、ぐるっと回ってかえる還がどう結びつくのか、意味を考えていたのでは、まったく不可解、想像のめぐらせようがありません。
こういうときは、元の字をぼやっと眺めていると、なんだそうだったのかと気付きます。
還から四角の部分を取り去ってしまえば、残った部品で出来上がるのでした。
中としんにょうで「とても」という字になります。
非常に、甚だとはまた違った意味を持つこの字は、外国語漢字にはなく、「国字」とされています。
「とてもじゃないが」と聞いて、わざわざ意味を考えるのは、日本語をまだよく知らない人たちでしょう。
屯としんにょうで、腰を据えて動かないという意味のチュンという字になります。
やや軽そうな音の感じです。
屯は、しんにょうと組み合わさるとトンとは読まなくなるようです。
屯だけならば、重さのトンにあてられるように、重い感じがしますが、しんにょうで浮いた形になると、コロに乗せて簡単に動かせそうです。
腰の重いのには「いっちょ、しんにょうかましたれ」こんな言葉があったかどうか。
牙としんにょうで「むかえる」という字になります。
迎とほぼ同じ意味ですが、漢音は「ガ」で、迎える態度が牙をむいたような、相手が来る意思よりも、こちらから「さあこい」という気持ちが強い文字のようにも感じます。
外国から訪れてくる人も、迎え方が「ゲイ」なのか「ガ」なのか、「ガ」を見せない「ゲイ」なのか、「ゲイ」を装った「ガ」なのか、むずかしいところと思っていることでしょう。