師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

宇宙の完璧さ

2010年10月19日 | 天意の実践

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まだ、まだ、九州では、日中は25℃を越える。

そのせいなのか、後光が見られた。

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ほぼ、360度染まっていた空。

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師匠へ降ってきたメッセージは、

宇宙の完璧な流れにまかせよ

この数カ月、体感していることと、本質では変わらないが、

別な表現として、伝えられた。

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あなたが世界を変える

2010年10月17日 | 天意の実践

先月、ご紹介で来られた方へ、お話しをさせていただいた。

ご依頼の方は友人で、あまり、このようなことはされない方なので、

ご紹介者も、相談内容はご存じない。ただ、悩まれているようなので、

「話すと、なんだかこころが落ち着く。そんな方なのよ。」

と、だけ、当方のことを話されたそうだ。

ネット環境もお持ちでないとかなので、まずは、ご相談というご依頼

をいただいた。

お話しをして行く中で、ご紹介された方から、神札のことや、御和幣

のことは聞かれていたので、

ぜひ、これらを作ってほしいとのことだった。

もともとは、家相を気にされて、お聞きしたいから、はじまったご相談

だったので、

家相鑑定。

ご家族の霊視。

そして、現在、治療中のご家族ための神札の降神。

ご本人のお守りの作成をさせていただいた。

後日、大変喜んでいたと、ご紹介者の方も嬉しそうに、

お知らせいただいた。

このご紹介者の方と、先日、話す機会を得た時に、

このご友人の近況をお知らせくださった。

ご家族が、和らいで、すごされているとのことだった。

そして、なにより、このお友達の嫁ぎ先のご両親もとても、気にかけて

おられることが、お友達にも伝わったそうで、安心したのだろう

とのことだった。

このように、自分はひとりだと、肯定して、助けを求めた。その結果、

周囲から、助けの手がさしのべられたのだ。

そうすることで、自分の世界が変わった。

そんなことが、誰にでも、おこるのだ。

求めてこそ起こる。それは誰の身近でもある。

それこそが、しあわせというものなのかもしれない。

そして、今まで、ご縁をいただいた方みなさんも、

実は、この方を助けている。

ご縁をいただき、一緒に話し、聞き、智慧をいただき、

その智慧をお渡ししている。

誰かがいたから、この智慧をいただけた。

そして、次の誰かのために役立てられる。

この智慧を得られるつながりに、みなさんも参加しているのだ。

だから、このようなご縁は本当に、ありがたい。

ありがたいと、いつも実感している。

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偉大なるもの

2010年10月15日 | 天意の実践

ノーベル賞受賞者が発表され、今年は2名の日本人がその

功績を認められ、栄誉に輝いた。

お二方のすばらしさもさることながら、お二方が学ばれた

師のなんと、すばらしいことか。

以前、

偉大な師とは、偉大な師を育てることである。

と、伝えられた。

まさにそうだ。

偉大な師とは、偉大な弟子を育てるものではない。

後に続く、偉大なものたちを育てるのだ。

偉大な神は、偉大な神を育てる。

自分をことさらに偉大だとひけらかす必要はないが、

偉大な道を歩めば、おのずとその道は偉大な道となるように

自らが偉大な神であれば、自らの内に宿る偉大な存在は、

偉大な神であることに目覚めるのだ。

その目覚め、歩むお手伝いとなれば、幸いである。

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体感に神を観る

2010年10月11日 | 天意の実践

おかげさまで、ご依頼をいただいていた案件のやまを越えて、

一段落。

やっと、一息ついている。

この間、お礼にと、お菓子をお届けいただいたり、

感想をいただいていたメールにも、もちろん、目を通している。

立て込んでいて、お返事を差し上げるタイミングを逃して

しまった方には、本当に申しわけなく思っている。

この場を借りて、

ありがとうございました。

いただいたお菓子は、お供えをさせていただきました。

みなさんが、笑顔で過ごされていることを聞き、

みなさんの周囲も笑顔で満たされていると感じ入る。

やみにあっても、光を見いだせる。

そこに、神の存在を観る体感を得る。

これは、ごく普通の意識では、気がつかない。

自分を内観して得られたり、苦労していて、つかめる。

それも、自らが求めてこそ。

求めてこそ、いただける。感じられる。

神からの恩寵なのだ。

もちろん、望んで、望まないことを願う人はいない。

けれども、自分というものが整わないうちは、おこってしまう。

そのことに気がつき、ありがたいことと、思いを変える。

そうして、神を感じる。

いつでも、それは、当たり前に存在するのだが、

その当たり前の感覚。体感は、自らを研ぎ澄ませた

からこそだ。

今在ることのありがたさを感じられることこそ、

神からの恩寵を受け取った結果なのだ。

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おそれを手放す おそれがなくなる

2010年10月09日 | 天意の実践

元気な人でも、ささいなことで、病むことがあるのに、

気病みのひとにとったら、なんと、世間で巻かれている情報は

気がさらに枯れるように流れていることか。

おおよそ、ひとは悪いことを好む傾向にある、と情報を流す

側は思っているようだが、果たしてそうだろうか。

できるなら、希望が、明るい方向があると思える世界が

実現できたら、と思う。

自分の周囲に少しでも、笑っているひとが多い方がいいと

思うのだ。

笑っているひとが多ければ、多いほど、その”場”は高いエネルギー

に満たされる。

不安へ、暗くなる方へ、訓練されることなく、

豊かであたたかい光でそれらを照らそう。

自分が灯すことで、自分の周囲を照らせる。

おそれというやみ(闇・病み)には、光で満たそう。

自分へ近づくことなき思考へは、神のみにまかせ

自分を楽しんでいよう。

それだけで、周囲は明るく満たされる。

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