おかげさまで、ご依頼をいただいていた案件のやまを越えて、
一段落。
やっと、一息ついている。
この間、お礼にと、お菓子をお届けいただいたり、
感想をいただいていたメールにも、もちろん、目を通している。
立て込んでいて、お返事を差し上げるタイミングを逃して
しまった方には、本当に申しわけなく思っている。
この場を借りて、
ありがとうございました。
いただいたお菓子は、お供えをさせていただきました。
みなさんが、笑顔で過ごされていることを聞き、
みなさんの周囲も笑顔で満たされていると感じ入る。
やみにあっても、光を見いだせる。
そこに、神の存在を観る体感を得る。
これは、ごく普通の意識では、気がつかない。
自分を内観して得られたり、苦労していて、つかめる。
それも、自らが求めてこそ。
求めてこそ、いただける。感じられる。
神からの恩寵なのだ。
もちろん、望んで、望まないことを願う人はいない。
けれども、自分というものが整わないうちは、おこってしまう。
そのことに気がつき、ありがたいことと、思いを変える。
そうして、神を感じる。
いつでも、それは、当たり前に存在するのだが、
その当たり前の感覚。体感は、自らを研ぎ澄ませた
からこそだ。
今在ることのありがたさを感じられることこそ、
神からの恩寵を受け取った結果なのだ。
いま、実感しています。
「新月に願い事をすると叶う」って聞いて、少々塞ぎがちだった私は、お願い事を書いて読み上げてみました。
でも・・・願い事を叶えて頂くには、それ相当の覚悟が必要だ!と思い、自分の取り組み方も一緒に書いて宣言しました。
実は、こっちの方が印象強く、日々のしごとの合間にも、心で唱えています。
「今、目の前の事に全力で取り組みます」
新月のお導きなのかは正直解りませんが、お願いは叶えて頂いてます。
だからこそ、私自身も宣言の実行に懸命です。これこそが、『求めてこそいただける』ってことなんでしょうか?
ブログを拝見して、妙に腑に落ちた感覚になりました。ありがとうございました。
はい。求めるからこそ、あたらえれます。
先日も、お話しをさせていただいたのですが、
自分の望むことを書くと、自分の望みとは
なにかがわかってくることを、お伝えさせていただきました。
叶えたいことの根底には、今在る自分。
自分の在り方へとつながっていきます。
そうして、こころを整え、ご祈願の神事を執り行っています。
Ciaoさんへも、体感が届けられたようで、
よかったですねえ。
日々の発見もまた、神さまからの恩寵です。