師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

禊ぎ 贖罪

2010年10月28日 | 天意の実践

『相棒シーズン9』の第2回のタイトルに『贖罪』と言うことばがー。

この2週間ほど、師匠と話していたのが

『禊ぎと贖罪』

だったので、ドラマの感想を交えつつまた、話してみた。

過去がつながりつつも、今という連続の中の断片だけを感じて、

日々を実際は過ごしているのだが、

時に、自分が起こした行動が今もフラッシュバックして、

後悔に襲われるひとがいる。

済んでしまったことをもう一度あの時点に戻れるはずもないのに、

自己をさいなむ。

それでは、今の中に生きていない。

かつての中に、間違いを犯してしまった自分の後悔にのみでしか

生きられない自分を選択していることになる。

また、その時にちゃんと向き合い、自分に赦しをあたえなければ、

時々、何かの拍子に吹き出しては、自分のこころをささくれさせ、

その逆剥けた傷にまた、おなじような痛みをもたらすことになる。

どんな自分でも、自分であることに変わりはない。

その自分を赦し、赦しをあたえるのも、他者ではなく、自分自身だ。

相手が赦してくれたらーなどと、他者に求めても答は見つからない。

自分を赦す行為が禊ぎなのだ。

禊ぎー自分の内に向けて、すべてを削ぎ落すのだ。

禊ぎが耳ー削ぎからきているという説がある。

耳の気枯れを落とす。聞くことで、ことばによって、気ー枯れを

起こしている。だから、削ぎ落し、空に入る。

空であれば、あるほど、新たに生まれた気を受け入れることが

できるのだ。

贖罪とは、罪を贖う。

罪に対して、何かの行為により、それの対価となる行為をすることー

とあった。

これは、外へ向かう行為だ。

どちらの行為も、自分自身が認め、受け入れてこそのもの。

なによりは、自分を大事に思い、赦すこと。

決して、他者が決めることでもないし、

他者が許したら終われるものでもない。

自分の世界は自分が決める。

その強い自分の世界への力強い一歩となることだろう。

 

 

臣がお送りしました。

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