どれをえらぶのも自由だが、それをどう取るのも自由。
同じものなのに、そのひとにはおそれの対象物であったり、
楽しくて仕方ないものであったり。
だが、その対象物にも、本質は存在する。
その対象物を正確に捉えたい、または、
あるがままに観ることができる存在もある。
それは、どういう存在かと言うと、
純粋に物事を捉える。
本質を客観的に捉える。
感情にまかせない。
という存在。
それが、その人自身であるかもしれないし、
その感覚を意志でもって
磨いた結果なのかもしれない。
もし、そう望むなら、
美しいものにふれることだ。
美しいものを観る。
絵画であったり、音楽を聞いたり、およそこの世界に存在する、
高尚と呼ばれている一群。
そして、自然にふれる。
この時期の次々と咲き誇る花々に、美を観、感じる。
意識して観る。
意識せずに観る。
そうやって、自分と言う存在を瞬間、瞬間、選び続けている
それが、人生と言うものなのだ。