天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

8/14 祖霊孝養

2018-08-18 09:24:42 | 生命力


昨日は、祖霊孝養祭でした。教主様をはじめ教師によって、厳かに先祖供養がおこなわれました。
私は、帰省中の2組の家族と参拝しました。
永劫檀には、4名の親と、5名の先祖が納められています。
昨日書いたように、〈苦悩のなかに亡くなった心の歴史を思っては、手を合わせました〉

それは、懐かしいとか偲ぶだけでなく、運命製造の本源、《喜怒哀楽》に行き着き、《いつも、何か事情があり、怒りから、哀しみ》の中に、《えがお》を忘れた、それぞれの顔を、思い出すのです。

しかし養父母は、御神尊様にご縁をいただき、えがお❗️回復。《喜楽》喜びや、楽しむ、ことを知り、旅立つことができたのが何よりでした。

聖主様は、《供養とは、思い出を語り、明るい家づくりを誓う》ことといわれました。

先祖は事情に苦しんだのではなく、運命不可解に泣いた人生だったのです。
今朝のみ教えは、遺伝子、変換スイッチを手にしたもおなじ、
《私が変われば、先祖が救われる》
素晴らしい‼️お盆になるではありませんか。

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8/13 因にむかって逆行せよ

2018-08-17 11:54:10 | 運命の原理


このみ教えでも、運命?《原因と結果の関係》から、生まれてくることをいわれてます。

つまり、《因果の理法に従って、生まれてきます》
物事は、原因があるから、結果があるわけです。
だから、このようにもいわれます。《因にむかって逆行せよ》
そこには宿命的見方ではなく、私自身の、朝から夜までの人間関係で、喜んだり哀しんだりの感情の使い方を原因としています。

もう事は終わっているのに、感情的には終らず 時を重ねて深みにはまります。
その感情が目を曇らせて、次の見方をうみ、懊悩の世界に入るのです。
深い悩みに、10年20年は、ざらにあります。
行き着く先は、病気に加え、家族関係がうまくいかないケースになる事も多々ありました。

私たちは、ホッとけば引っかかりやすい特性を持っています。
だから、祈って奉仕で《変わる力》をつけましょう。

今日も、祈ってます。
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8/12 運命と宿命

2018-08-17 11:50:29 | 運命


あるものとは運命ではなく、宿命のことです。
初めからきまっていることです。

運命は、自分の心ぐせ、生活ぐせ。
ひと言でいえば、自分の性分で、日々作り出していることになります

宿命は、受け入れる以外に道はありません。

しかし、私の努力しだいで開かれる運命には、果敢に挑戦しましょう。

錆は、鉄から、生まれて、鉄を腐らす
〈不運は〉私から生まれて、私の人生の不幸となるのです。

《変われ、変われ、変わらざれば救われず》だから、進路変更しましょう。

お盆を迎えますが、私の心は、〈お父さん、お母さん、苦しい人生でしたね。〉〈私は、お陰で神薬、善隣の道をいただきました。〉さらに、努力を重ねます。と、誓う日でもあります。

合掌
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8/11 境界線と限界点

2018-08-17 11:35:12 | 運命と生活


私たちの心は、どんな具合に使おうと、ある種の自由があるように思って、自在にはたらかせますね。

しかも、外側から見れば、何を考えているのやら分かりにくいものです。

なのに、何処かで誰かが観ているのです。

気持ちの良い時、気持ちの悪い時があります。

その天地の摂理、和合の姿、新陳代謝の運行を解明されたのが、御神尊様です。

心のはたらきは、明暗により苦楽を実感するように、天地と繋がっています。

今に、まさにこの瞬間です。

今に生きることこそ善。
過ぎた過去や、きもしない、未来を思い煩うことは悪。

私たちは、平気で過去や未来に踏み込んで《境界線》を越え、
《限界点》に踏み込んで、足元の地雷にきづかないのです。

今に最高の価値を見いだし、明るく仲良くに、心を砕いてください。

合掌
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8/10 命の運び方

2018-08-10 11:17:30 | 運命


昨日のみ教えは、今朝の根本のみ教えにつながります。
運命はいのちの運び方です。
幸福、健康と不幸、病気になる運び方があります。

毎日朝起きると心を使い、精神を使い、
生活では、全身を使って何とか今日もよい一日をと、願いながら、命を運ぶ私たちです。

日常の現象は、目から入り耳からはいる。
そして心に宿るのですが、
良いものばかりではありません。善悪とりまぜてやってきます。

どうしても、囚われてはいけないと思いながら、腹のひとつも立ちます。
サラッと捨てられもせず、グズッとして、時間が経っていきます。
そこに悩みの芽吹き、懊悩の深い井戸が口を開けて待ってます。

いやですね。やめたいですね。

《天地に善悪の基準があるから、どうしても、いのちの運び方を変えざるをえないのです。》

明日に続きます。
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8/9 自己発見に時間をかける

2018-08-10 10:17:42 | 運命


そもそも運命を開いていくとは、
〈不運の流れ。幸運の流れ、めぐり〉どうすれば流れをかえることができるのか?

御神尊様は、あらゆる機会をとらえて、様々な方向から説き続けてこられました。

そのひとつに、今日のみ教えがあります。

(心癖、生活の身体癖、人格の人柄癖)のままに、運命はキッチリと現れてくるのです。

『何で?こんな目にあうの?』とは、よく使われるフレーズです。

自己発見に要する時間は短くて、他人の欠点はじっくり時間をかけては悩みますね。

私も年令に恩を着せるわけにもいかないので、
毎日が自己発見です。

そして、自分を責めたり、誉めたりして、さらに上を目指していきましょう。
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8/8 沿革2ー7日続き

2018-08-10 10:11:21 | 沿革
野に寝たり~11月の樹海に踏み迷った。

御神尊様は、大木の根方を寝床にしました。
やがてまどろみのなかで、山すそとおぼしきあたりがボーッと白くなり、それは近づいてくるではありませんか?
目を凝らして見ると、二人のお遍路でした。
しかも、ふたりは手招きをするのです。
よくよく見ると、なんと亡きご両親ではありませんか。
そしておふたりは、背中を見せて木立の中に消えていきました。
驚いた御神尊様は、夜明けの気配のなかそそくさと身を整え、おふたりの後をたどっていきました。
すると不思議なことに、迷いに迷った樹海から麓にでたのです。

出会った農家のかたが、「遍路さんこんなに早く、どちらからきましたか?」と声をかけられました。
昨日からのいきさつを語れば、「あなたは運の好い人ですね。毎年何人かの遍路さんが、樹海で亡くなっています。」と言われたのです。

その時、20才から行を誓願して、《9年間、自力でここまできた。》
は、《亡き父母の陰からのみまもりによる、他力のご慈悲》
と受け止められたのです。『親不孝の別れ』にもかかわらず、みまもり続けておられたのでした。

《お父さん、お母さん、ありがとう》はるか西空に向かい、9年の見守りに感謝の祈りをささげるとともに、《運命の実態、解明》に不退転の決意を誓いました。
沿革ー2、おわります。
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8/7 西国33箇所続く

2018-08-10 08:25:59 | 沿革


野に寝たり、山に寝る夜~

ある時、亀岡から京都へむかう樹海のなかに迷いこみ、野宿になりました。

ちょっとここで、気になることを一部記しておきたいのです。

遍路さんのなかには、生活苦のあまり強盗に早変りするのがいて、遍路さんに宿を提供する家が少なくなり、橋の下、墓場、神社の床下が宿となるわけです。
御神尊様は、伊吹山の山中で遍路の強盗に遭い、またお布施のおかげで、今夜は布団の上で と宿屋に行くと、あんたは、あっち。」と木賃宿をゆびさされ、《わたしも、ついに、乞食にみられるようになったか》と、人間生活の研究を続けられました。

ついでに、《乞食、こじき、は門に立って、物をもらって生活する人》
だから、「ありがとう。とお礼をいいます。」
《乞食、こつじきと読む》は、修行者のこと。

門でお経を唱えられた家は、喜捨(きしゃ)を差し上げ、徳を積まれます。
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8/6 続き

2018-08-10 08:19:34 | 沿革
今日は西、明日は東と~

遍路の旅によって、幸福不幸の生まれ處は、《心と生活の、心身相関にあるのでは?》と仮説を立てられていた御神尊様の思いは、確信にかわっていかれました。

ところで、遍路で困ることは今夜の宿でした。
御神尊様は、泊まるところ、とまらせてくれるところ。があるだろうか?
毎朝は、その心配から始まるのです。

昭和の始め、政情騒然、(せいじょう、そうぜん)経済も格差が大きく、貧しく仕事のない人が多いうえに、医療も行き届かなく。

貧しさ病になく人々は、四国の方の信仰心を頼りに、渡ってきました。

一説に、四国は死国といわれたものです。
難病に苦しむ人は、遍路で人生の終わりを迎えました。とくに悲惨な病はハンセン病。

ハンセン病のはほとんどが、家族で遍路をしますが、山中深くハンセン病の遍路道がありました。

村人の暖かい心で食事にありつき、あるいは石を投げられて、親子ともども死に行く姿がありました。

御神尊様は、そこに人生苦悩のどん底を見たのです。

そしていつの間にか御神尊様は、現在でいえば、ホームレスのような姿におちぶれていきました。

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8/5 西国33箇所

2018-08-10 08:13:55 | 沿革


1934年(昭和9年11月)
旅は奥丹後、山城の国、亀岡、そして、京都に向かっておりました。

この間、枚挙にいとまのないほど多くの人々の家庭を覗き、人生苦に泣く実態と、救いの臨床を重ねてきました。

11月は、秋から冬。「秋の日は、つるべ落とし」
井戸は汲み上げるとき、竹のさおの反動でくみあげていました。
そのスピードと同じような早さで、陽が沈むということです。

御神尊様は、亀岡から京都をめざしていました。
陽も高いので、一気に山越えで、京都にいこうとしましたが、まさに、秋の日はつるべ落とし。

山は高くはないのに、このあたりは樹海の続く道、しかも森が陽をさえぎり、ますます暗く道もみえなくなりました。
はたと困った御神尊様は、仕方なく大木の根方に野宿を決めました。
落ち葉をかき集め、大木を背に、笠で顔をおおい寝もうとされますが、寒さで目覚めることもしばしばでした。

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