天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

8/4 民情踏査、孤独の行

2018-08-04 11:34:36 | 沿革
目指すは兵庫県姫路市、西の比叡山と言われた、27番書写山、円教寺に参詣。
ここから、打ち始めました。

巡礼や、遍路さんがお寺に参詣することを、 打つと表現されていました。
木札を実際に打ち付けて、参拝の証にした時代もあったようです。
現在は、紙のお札を本堂に用意された箱に納めます。
ついに、円教寺から過酷な修行のはじまりです

野宿もいとわないその日の日程時間は、あるようでないのと同じでした。
二府、六県にまたがる 《民情踏査の行》の旅立ちでした。
29才の青年の目的は、お寺の参拝ではなく、 生活している人々との交流を通して、人間生活の研究にありました。
一軒、一軒の玄関に祈りをもって立ってみると、 外見は同じに見えるが、家のなかは、《貧の苦しみ、病に倒れ、あるいは人間関係の争い》そして、《憎み、とがめ、とらわれ》自ら《人生苦に身を投げ掛けて》生きんとする、愚かものの多いことか!
その実情をかいまみた御神尊様は、何と哀れなことよ!と人の世の哀れさに涙されました。

その時の、みうたです。

『今日は西、明日は東と旅まくら、世の哀れさに涙こぼるる』
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8/3 真理探求 行神の波動体得の旅

2018-08-04 11:29:26 | 沿革


東京から、神戸へ、はやる気持ちを押さえながら、神戸の御姉様のところにおよりになりました。
そして、初めから決めていたように、身の回り品を整え、参拝帳を準備していると、
御姉様が、〈なにをしているの〉と聞かれ、《これがやがて、世の中を救うことになるよ》と答えられました。

様々な用意はとんでもない、決意のあらわれでした。

西国33箇所巡礼。淡路33箇所。四国88箇所、遍路のたび、終わりに九州神社仏閣巡拝の旅のはじまりでした。

行程は決めても、どれぐらいの日程になるのかは、皆目見当のつかない計画でした。
名付けて《民情踏査、孤独の行》の始まりでした。

《1934年昭和9年10月21日*神戸を出発》
亡き、父、道祖様の命日の翌朝はやく、御姉様の家族に見送りをうけながら、はるかに佐賀の地に向かい、合掌礼拝、
《お父さん、お母さん、どうぞ、御守りください》と祈り。
いよいよ、〈生きた人間生活に触れ、貧病争に苦しむ人々に、運命苦から救いあげる道の探求がはじまりました。〉



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8/2 全国宗教会議2

2018-08-02 09:47:12 | 沿革


国策の押し付けと宗教家の主張は、相変わらず旧態依然でした。
人間の運命は、先祖からの障り、タタリであるとか、名前に起因しているとか、
そのようにいわれていました。

御神尊様は、やり場のない思いを、夜の宿舎で若手の宗教家と議論を重ねました。

すると、その場の雰囲気は、御神尊様の思いを支持する方向にまとまり、
《明日は、先生が動議を提案してください。支持しますから、》と一決。
3日目、ついに緊急動議をしました。
しかし、体制われに利あらず、

《世の宗教者よ。‼️科学にめざめよ。科学と手をにぎり、宗教は科学的でなくてはならない》

この叫びは、会場の騒然とした声と、怒声にかきけされていきました。

「この若造が、何を言うか‼️宗教の世界にはいったばかりの、青二才が‼️」

御神尊様は、決然として、会場をあとにしました。
《急がなくてはならん。世の中の不幸や病に泣く人のためにも、運命不可解の謎を解き明かさなくてはならん。》
御神尊様は、宗教家の大きな壁にぶちあたり、信念はさらに燃え盛っていきました。

時に、29才のみぎり。

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8/1 沿革、2回目

2018-08-01 19:37:37 | 沿革


運命とは、いかなるものか?
暗中模索の御神尊様は、朝鮮で行をされていました。
行衣のまま帰国した御神尊様に、招聘状が待っていました。
それは、文部省主催の、全国宗教会議の開催と参加のお招きでした。

御神尊様は、驚きとともに、大きな期待をよせました。

1つ、全国レベルの宗教家が集まるなら、運命の問題を教えてくれる、師となる方がいるはず。

2つ、迷信打破の新しい救いの法があるはず。

2点を目的に、勇んで上京されました。
会場は、東京日比谷市政会館、1934 年《昭和9年9月3日から3日間》54名の参加のもとに開かれました。

しかし会議の運びは、大陸進出による戦争体制に宗教を巻き込み、国策遂行の為の内容で、
各宗教界の代表者は、国策に沿った発言に終始し、戦争遂行の片棒を担ぐ発言ばかりでした。

御神尊様は、失望と落胆にみまわれました。

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