目指すは兵庫県姫路市、西の比叡山と言われた、27番書写山、円教寺に参詣。
ここから、打ち始めました。
巡礼や、遍路さんがお寺に参詣することを、 打つと表現されていました。
木札を実際に打ち付けて、参拝の証にした時代もあったようです。
現在は、紙のお札を本堂に用意された箱に納めます。
ついに、円教寺から過酷な修行のはじまりです
野宿もいとわないその日の日程時間は、あるようでないのと同じでした。
二府、六県にまたがる 《民情踏査の行》の旅立ちでした。
29才の青年の目的は、お寺の参拝ではなく、 生活している人々との交流を通して、人間生活の研究にありました。
一軒、一軒の玄関に祈りをもって立ってみると、 外見は同じに見えるが、家のなかは、《貧の苦しみ、病に倒れ、あるいは人間関係の争い》そして、《憎み、とがめ、とらわれ》自ら《人生苦に身を投げ掛けて》生きんとする、愚かものの多いことか!
その実情をかいまみた御神尊様は、何と哀れなことよ!と人の世の哀れさに涙されました。
その時の、みうたです。
『今日は西、明日は東と旅まくら、世の哀れさに涙こぼるる』
ここから、打ち始めました。
巡礼や、遍路さんがお寺に参詣することを、 打つと表現されていました。
木札を実際に打ち付けて、参拝の証にした時代もあったようです。
現在は、紙のお札を本堂に用意された箱に納めます。
ついに、円教寺から過酷な修行のはじまりです
野宿もいとわないその日の日程時間は、あるようでないのと同じでした。
二府、六県にまたがる 《民情踏査の行》の旅立ちでした。
29才の青年の目的は、お寺の参拝ではなく、 生活している人々との交流を通して、人間生活の研究にありました。
一軒、一軒の玄関に祈りをもって立ってみると、 外見は同じに見えるが、家のなかは、《貧の苦しみ、病に倒れ、あるいは人間関係の争い》そして、《憎み、とがめ、とらわれ》自ら《人生苦に身を投げ掛けて》生きんとする、愚かものの多いことか!
その実情をかいまみた御神尊様は、何と哀れなことよ!と人の世の哀れさに涙されました。
その時の、みうたです。
『今日は西、明日は東と旅まくら、世の哀れさに涙こぼるる』