天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10/30 夫婦とは

2018-11-06 18:01:30 | 家庭生活


人生の出会いは親子から、そして夫婦となります。
恋愛もあれば、見合いもあり、様々でしょう。
厄介なのは、そのまま、(二世を誓いし仲)
で終わらないこともありますね。

縁には、玉のこしはありません。
努力以外に良縁に育つ道は無いようです。
御神尊様は、「相手の生い立ちを理解せよ」とおしえられていました。。

求めごころは誰でもあります。
与えて支え合う心は、道で学び縁を活かすことになります。

良いところは親からの物、悪いところは自分の物。
そのように、祈りと奉仕で整えてみましょう。
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10/29 錆び落としの行

2018-11-06 17:53:16 | 運命と生活


不幸は、心と生活から生まれた自然現象。
ならば、心と生活の建て直しこそ、幸せへの道。

義父は、肺結核で入退院を繰り返しているときにご縁をいただき、「御神尊様と、善隣の道のおかげ」と、光がさしこんだのです。

不幸せにどっぷり、ひたりながらも、「苦しさのなかに、喜びを見いだすことができる」から不思議です。

義母は、早朝から弁当を作り、入院中の叔父に食事を運びました。
私は、従弟妹たちに朝食を用意、学校に送り出し、仕事の毎日でした。

でも、〈御神尊様にみまもられている〉義母も私も、そんななかにあって、幸せいっぱい、元気にあふれ、「留守をよろしくね」「はーい、まかせといて、」言葉がとびかいました。
道にご縁がある前の、あの無口と、笑いのない生活どこに消えたのでしょうか?

〈心が変われば生活が変わる、生活が変われば運命も変わる〉

不幸せは、錆のようなものです。
〈合掌とやります〉で、錆びおとしの行です。

それは、〈苦しきなかに、喜びを見いだす〉
行でもあります。

いかなる苦境も、笑顔でのりきれるのです。
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10/28 神の目

2018-11-06 17:39:04 | 神と人


人間関係の特徴のひとつに、感情の対立があります。
「私が間違っていた。」ときずいても、なかなか謝罪できないものです。
なぜなら、長年かけて築いたプライドが邪魔するからです。
そしてそれが、〈死んでも許さない〉となります。
これが、運命を狂わす事情に育つのです。

そもそも神の目とは、どこにある?

御神尊様は、20年苦行のなかから得た結論は、

「神さんはおらんとばい。人の心の中におらすとばい」と、
長崎県平戸の50日苦行の中から、お悟りになられたものです。
これは、完全に従来の神観を否定したもので、革新的なさとりでした。

そして、「神明の舎」まで、断言されました。
隣にいる人こそ、神の目を持ち、あなたの行為、行動、言動を、みまもり、「変化を求め、」「変える力」で、「かわる力」をひきだそうとする、神明の舎です。

死んでも許さない方は、あくまでも、言いつのり、一歩も引かず、不幸のドロ沼におちて、不運をなげくのです。

言波は千里をはしる。
あなたの人柄は、隠せません。
喧嘩対立は両成敗。勝者はいません。
あるのは、神の目。
口角泡を飛ばす関係に心配をされています。

神の目のくもりは、感情で塞がれます。
みがき治したいものです。
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10/27 自我からの進化

2018-11-06 17:28:55 | 信仰


人間は、だれも自分の可能性や幸せへの願いをもっています。

願いを叶える道は、〈利己的なこころをすて〉目的にむかって努力することです。

しかしことは簡単ではありません。
人の為と思ってしたことも、手ひどいしっぺ返しで傷つき、なかなか人の為になることが、難しいですね。

そこで、大きな力、神や、尊威者(そんいしゃ)〉が必要になります。
つまり、尊敬できる方、
それは、神であり、神のごとき方、わたしの場合は、御神尊様です。

人生の始まりは、自我から、そして苦悩をかさねるのは、夫、妻、子供、親、人様のために生きる道を教えています。

この世は、人の為変わらなければ生きられなくなります。
過去の生き方から、進化しなければならないように、天地の法則は作られています。

そして、〈自分のための、エネルギーは生まれず〉、〈人様のためは、奇跡的エネルギーが生まれる〉ことになります。

御神尊様は、「私のように、山にこもるひつようはない、」ただ、日常生活、立ち振るまいに、優しさを発揮できることが、あなたの修行。といわれました。

〈人様への奉仕こそ、我が身にかえる、幸せの道〉
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10/26 神様と約束

2018-11-06 13:56:14 | 信仰



〈このみちは、死に方修行〉
〈神様と私〉の約束事
信条、誓願のようにして、
毎日を「朝は希望でおき、昼は努力ではたらき、夜は感謝で寝すむ」
つまり、「死に方修行」とは、「生き方修行のこと」でした。

義母は嫁にきて、4才の私を育て、20才でわが子にし、病人ふたりの面倒を見て、幽界に旅立ちました。
原田行場に20日間通い、遺言歌(ゆいごんか)をのこしていきました。
この義母ありて私があり、御神尊様のみあとをたどるすがたに、私も続いています。

教師の私には、「肩の荷を、重しとおもえば尚おもし、御神尊(かみ)にゆだねの悟り持て子よ」と、
終生わすれられない、励ましの言葉をのこし、あっさり旅立ちました。

いまもその日の別れを胸に、修行の日々を重ね 、死に方修行邁進中!
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