天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10/21 愛の交差点

2018-10-22 11:15:51 | 信仰


さて、十字の信仰といえば、キリスト教のようですが、まったく関係ありません。

昔から、犯罪者をハリツケの刑にするために、日本にも西洋にも十字架はありました。
ただ、この忌まわしい十字架を、神と一体の尊い存在にまで高めたのは、キリスト教と聞いています。

御神尊様は、目には見ることはできないけれど、〈祈りと、道の教え〉とで見る気でみれば、天地の公道として、目の前《十字の信仰》が開けていると教えています。

神に向っての祈りは縦の道、人に祈るは横の道。
この縦と横の交わるところに、十字の信仰があり、その交差点に〈愛の生活〉があります。
これを立体的信仰といいます。
神の恵みをいただこうとするならば、天地の公道、《十字の信仰》を歩まねばなりません。
信仰が誤解されやすいのは、人を忘れて、神への一辺倒の祈りに偏してしまうからです。

善隣の道は、神を中心にしながら、人と人がお互いに理解といたわりをもって、寄り添うところにあります。

結論は、十字の信仰により、それぞれの家庭の愛の交差点が、癒される場所でありたいものです。

それこそ、神様のうてなにいだかれて、幸福健康のあらざるなし、です。
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10/19 幸福の土台

2018-10-22 10:53:19 | 運命と生活


不幸の原因は、すべて〈人との和を欠くところにある〉と説かれています。

そして、人は死ぬまでの時間、〈人の心と我が心を合わせる〉ことに努力すること、ともいわれています。

ところが、様々な事情に左右され、心が離れた生活をしょうとする人間が、あまりにも多い。
世の中の、表に現れる事件の真相は、全てそこにあります。

ほとんどの人が、道徳を振り回しています。
正義を振りかざしています。
怒りの言葉で、人を裁いていきます。

そんな皮相的なことではなく、生きとし生きるもの、すべてが、〈和合に生きる使命がある〉ます。
自己主張にこだわり、頑固を発揮しては駄目です。
心が切れて離れ、人との和合ができなくなって、〈不可解の憂き目に泣く〉のです。

和合こそ、幸福の土台です。
天地は、〈いかなることがあろうと、繋がることの大切を〉示しています。
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10/18 泥田に咲く蓮の花

2018-10-22 10:40:09 | 運命と心


信仰に生きている人でも、苦しみに出会うと、信仰が崩れやすい。
そして,苦しみから逃れようとします。

信仰の本来の意味は、苦難を解決する力です。
では信仰には、どのような意味があるのでしょうか?

(ひとつは)自らの苦しみから、人の苦家族の苦を理解し、人様に手助けできる人になれる。

(ふたつは)〈自分の我〉ゆえに、生活に迷い悩み、破滅の道から救われ、生き方そのものが改まります。

(みっつは)御神尊様の〈我に苦難を与えたまえ〉と、苦しみに向き合うことによって、如何なる事情も乗り越える、精神力の持ち主になり、家族を守ることができます。

いづれにしても、苦しみ、病んで、追い込まれている迷い心です。

このとき、我が身の足らざるを足してくれる、神からの啓示であると、積極的な意味を見いだすときです。
〈神は、泥田に咲く蓮の花のように〉その美しさに慈悲の手を伸べてくれるでしょう。
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