天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10/13 自然の意義

2018-10-13 12:26:11 | 運命と心


何かに心がとらわれたら、全く違うことをしてみることです。

〈自然に解決する〉というのは、何かおかしい気がします。

私たち夫婦は、長年のあいだに、「ありがとう」「おはよう」「おやすみ」などの、言葉が、自然に使えるようになりました。

これが〈自然の意義〉 だから解決するのです。
外で鍛え、家にもちかえれば、ますます清清しいのです。

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10/12 人生の羅針盤

2018-10-13 12:12:44 | 運命と心


御神尊様は、《人生は苦悩なり》と御聖経に記されておられます。
人の一生は、常に悩ましく、定まるところがありません。
人の心が定まりなく、変わりやすいという、自然作用とまでいわれています。

しかしそれが、そのまま、人の運命を左右するばかりか、人の人格までも、影響を与えるものであるという、大きな真理について、無関心無知なのが、実に悲しいことです。

天地は、風雨にさらされながら、一時として時間的にとどまらず、切れず、離れず、
夜の闇は、昼の光をうみ、昼は夜の暗さに吸収されます。
それっきり、切れて離れることはありません。

天地に真似して、生きよ‼️

信仰とは、合掌とは、
自己の気ままと、ワガママに訣別して、
単純に、明快に《きらいなもの、嫌いな人を好きになること》これに、尽きます。

《為になり、自分の幅を拡げる》とは
〈苦悩を超え、喜びの人生〉を示しています。

気にいらないことが、人生の羅針盤となります。

問題が、目的と方向をとらえてくれています。

さあ、船首をたてなおしましょう。

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10/11 絡んだ糸は、

2018-10-13 12:06:11 | 運命と心



私たちは、苦しいことにいきあたると、すぐに心配する動物です。

苦しみは、なかなか、喜んで迎えられるものではありません。

それは、我が身がかわいいからです。

そこから抜け出して、自分の姿を静かに眺めることができれば、乗り越えることができるでしょう。

ただし、御神尊様のこのお言葉の奥には《神を信じることにおいて、私とあなた方とは、天地の違いがある》と、述べられています。
苦しみに遭遇したときに、重いレンガを背う行のような心持ちは、日頃の合掌の積み重ねによるもの。

だから、後神尊様の、どんなに悪しざまにいわれ、そしられても、笑って受ける美しさは、格別です。

喜んで、難問の糸をほぐす。
もつれた糸は、ハサミで裁つ。
朗らかに処理する。

そんなあなたであれば、
すでに、幸せになっているはずです。
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10/10 心の掃除

2018-10-13 12:00:12 | 運命と心


家のなかの、掃除や片付けは、きちんとする方がいます。
時に、磨く人もいます。

独身時代、よそ様の家を訪問したとき、玄関から居間まで、ピッかぴかに磨かれていたのに、驚いたことがありました。

そして外からかえってきた、お子さんは玄関で着ているものを脱がせて、お風呂場いき、キレイに洗って居間にはいります。

そのお子さんはからだが弱く、食中毒にたびたびかかっていました。

のちに、何が原因か、道の勉強が進むにつれて、理解できるようになりました。

その子のお母さんは、キレイずき。
主人にも、つねひごろから、上から目線で物を言っていました。
加えて、親戚姉妹への批判が激しいものがありました。

家の掃除は、行き届いていましたが、心の掃除は〈心中の整理〉
わだかまりの掃除は、知らなかったのです。

そこに、〈幸福、健康〉の秘訣がありました。
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10/9 見ゆるもの

2018-10-13 11:29:35 | 運命と心


私たちの心は、隠そうとすると、色にでるなどといわれてきました。

善いことは、〈喜色満面〉
悪いことは、〈梅干しを噛む音きいて、しかめ面〉

隠しようがない〈心と体〉そして、〈人間関係〉に現れてくるものです。

合掌が身に付いてくると、
顔のかたさがとれ、
言葉の角がとれて、
体つきが柔和になってきます。

その人なりのバリアが生まれて、「友達になりたい」とか、「一緒にいると安らぐ‼️」と
云われる方がいます。

年齢を重ねると共に、夫婦がそうなると良いですね。

ご先祖様も、御神尊様も、見えませんが、向こうからは見えているのです。
見えない存在が、感じられたら幸せ者ですね。

そうなりましょう。 合掌!
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10/3 人生の卒業証書

2018-10-13 11:17:39 | 信仰



今朝の祈りは、義母の「私が死んだら祈ってくれる」を思い出しました。

18才で結婚。姑に鍛えられ、4才の私を育ててきました。
当時の教主様に、「息子(私)を差し上げます」と言ったことを、しきりにおもわれるのも、幽顕行でしょうか?

義母は、昭和33年を境に、苦海から喜びの世界にはいりました。

それまでの苦労は、御神尊様とのご縁のきっかけとなりました。

姑を見送り、主人も見送り、
実の子がありながら、私たち家族と暮らしていました。

義母は、祈りを軸に、大きなことはできずとも、人の話しに耳を傾けました。
〈ともすがり〉と、原田行場の献身行にも、定期的にまいっていました。

常に御神尊様と向き合う姿勢、
その背中は、今もはっきり思い出されるのです。

人を憎んだり咎めたりする心は、〈笑顔と笑い声〉を奪っていました。
手を合わせて、そのことが分かってきました。

義母は〈我の念〉を断ち、〈どんなときでも、にっこり、おはよう〉と云える人になって、人生を卒業しました。有りがたいことです。

合掌
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