2020・4・23、天地の慈悲
[叩かれて憤り憎むところに 不幸病気の因がある]
『叩かれて』とありますが、これは精神的な問題で、ひょっとすれば、嫌いな人の言動を捉えてのことでしょうか?
善いことよりも、悪いと思えることから、性分は引き出されることが多いようです。
嫌な自分が見えれば、たいしたものですね。
私はこれは、『停止なのか。進歩なのか。』考えては、ときに沈み、ときに立ち上がりの繰り返しできました。
ただ糸がほぐれない時は合掌しかないし、解けるまで時間がかかります。
この時間がかかるところに、まだまだ性分の開拓されてない心の井戸を覗く思いです。
御神尊様は朝のことばの意味は、あなた方は知っているといわれています。
そして、とかく世間一般の人と同じ考え方で生きるのでは、真の合掌生活ではないといわれます。
それは叩かれたら、相手のために祈るところに真の合掌があり、辛くとも苦しくとも努力の道こそ最善の生活と示されています。
世間並みに腹を立てたり、咎めたりでは運命開拓は絵に描いた餅。
とにかく、神の心をいただく道は、『やります人』になり切る以外にありません。
『これ神と共にある最善の生活』です。やります!