猛暑で散歩もままならず、仕方なく溜まった録画を見る時間も多くなります。
この日は昨年末に放送された山田太一さんの追悼番組で、1987年のドラマ「今朝の秋」。
笠智衆、杉村春子、倍賞美津子、杉浦直樹、樹木希林というドリームチームで、演出はこの作品がNHKでの最後の演出となった深町幸男。
蓼科で一人暮らしの笠智衆は、余命僅かと診断された息子(杉浦直樹)の最後の願いを叶えるため病院を連れ出してタクシーで蓼科に向かう。
30年前に夫と息子を捨てて家を出た妻(杉村春子)、杉浦直樹と離婚協議中の妻(倍賞美津子)、杉村春子が営む飲み屋の従業員(樹木希林)もそれを追う。
崩壊している家族が蓼科で一晩だけ儚い家族の形を取り戻す。というようなストーリー。うわ、面白そう。ちなみに音楽が武満徹。
ドラマは80~90年代のNHKドラマ班の本領を発揮した素晴らしいものでした。
私ごときが語ることは何一つありません。
数十年前のドラマを見ることは数十年前の社会や風習、住環境などをタイムスリップ的に見るのも楽しいのです。
今回は入院している杉浦直樹の汗を拭く演技がとても気にかかりました。
病室に30年前に自分を捨てた母親が見舞いに来た気まずい場面。杉浦直樹は手に持った小さなタオルでしきりにあごの周りの汗を拭います。
離れて暮らす父親が蓼科から駆け付けたところ。父は息子の余命が短いことを知っています。父が来たことで息子は自分の寿命を悟りつつあります。
無口な父親ですので病室が暑いことや風通しの話などしています。杉浦直樹はやっぱり始終汗を拭いています。
父親が何日も帰らないので息子も自分が助からないことを確信しつつあります。この日もとても暑そうです。
こんなシーンを見ている限り、ドラマが作られた1987年当時は東京の大病院でも病室にエアコンはなかったようです。
自分もその時代を生きてきて「ようです」というのもアレですが、振り返ってみれば入社した1984年からしばらくは会社にもエアコンはありませんでした。
真夏の残業時、女子社員がいなくなった後はワイシャツもズボンも脱いで下着姿で仕事をしていた記憶があります。
電車やバスも数少ない冷房車にあたるとうれしかったことを思い出しました。そんな時代だったんですね。
まだ7月初旬と言うのに連日36度を軽く超えている2023年の東京で、エアコンのない生活というのは考えられないものですが40年前は違いました。
おそらく気温もかなり違ったんだろう、ということで気象庁のデータを見てみました。
左がドラマが作られた1987年の東京の31日間の気温。(上から最高気温、平均気温、最低気温)右が2023年8月の気温です。
1987年はだいたい30度から33度の範囲に収まっています。2023年の最高気温は34~36度に集まっています。比べ安いように25度と35度に緑の直線を引きました。
最低気温もずいぶん違います。最低気温が25度以上を熱帯夜といいますが、2023年は最初の二日間を除いて全て熱帯夜です。
1987年くらいの気候であればタオルで汗をふきふきしのいでいたんですね。まだ熱中症という言葉が使われ始める10年以上前のことです。
気象庁の温暖化に関するページには「世界の年平均気温は、様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり0.76℃の割合で上昇しています」とあります。
100年で0.76度とはずいぶん小さい。さきほど東京の1987年と2023年を見比べてわずか36年の間に3度も違っていたのとはまったくイメージが違います。
年ごとの変動誤差はもちろんあると思いますが36年前より夏は3度ほど熱くなったと言われれば全員が同意してくれると思われます。
100年で0.76度なら(大きな声では言えませんが)あまり関係ありません。いろんな統計の取り方があるんだと思いますが。
「今朝の秋」を見ていてもうひとつ驚いた36年前の風習。
樹木希林が剥いた夏ミカンに大量の砂糖をかけています。一人当たり大さじ2杯くらい。
なんとなくうちでもそんな風景を覚えています。グレープフルーツにも砂糖でした。
昔の夏ミカンは酸っぱかったし、お砂糖が今ほど禁忌されていなかった時代だったようです。
昔のドラマを見るとドラマもいいけどタイムマシン的に過去を除けるのも面白いという話でした。
この日は昨年末に放送された山田太一さんの追悼番組で、1987年のドラマ「今朝の秋」。
笠智衆、杉村春子、倍賞美津子、杉浦直樹、樹木希林というドリームチームで、演出はこの作品がNHKでの最後の演出となった深町幸男。
蓼科で一人暮らしの笠智衆は、余命僅かと診断された息子(杉浦直樹)の最後の願いを叶えるため病院を連れ出してタクシーで蓼科に向かう。
30年前に夫と息子を捨てて家を出た妻(杉村春子)、杉浦直樹と離婚協議中の妻(倍賞美津子)、杉村春子が営む飲み屋の従業員(樹木希林)もそれを追う。
崩壊している家族が蓼科で一晩だけ儚い家族の形を取り戻す。というようなストーリー。うわ、面白そう。ちなみに音楽が武満徹。
ドラマは80~90年代のNHKドラマ班の本領を発揮した素晴らしいものでした。
私ごときが語ることは何一つありません。
数十年前のドラマを見ることは数十年前の社会や風習、住環境などをタイムスリップ的に見るのも楽しいのです。
今回は入院している杉浦直樹の汗を拭く演技がとても気にかかりました。
病室に30年前に自分を捨てた母親が見舞いに来た気まずい場面。杉浦直樹は手に持った小さなタオルでしきりにあごの周りの汗を拭います。
離れて暮らす父親が蓼科から駆け付けたところ。父は息子の余命が短いことを知っています。父が来たことで息子は自分の寿命を悟りつつあります。
無口な父親ですので病室が暑いことや風通しの話などしています。杉浦直樹はやっぱり始終汗を拭いています。
父親が何日も帰らないので息子も自分が助からないことを確信しつつあります。この日もとても暑そうです。
こんなシーンを見ている限り、ドラマが作られた1987年当時は東京の大病院でも病室にエアコンはなかったようです。
自分もその時代を生きてきて「ようです」というのもアレですが、振り返ってみれば入社した1984年からしばらくは会社にもエアコンはありませんでした。
真夏の残業時、女子社員がいなくなった後はワイシャツもズボンも脱いで下着姿で仕事をしていた記憶があります。
電車やバスも数少ない冷房車にあたるとうれしかったことを思い出しました。そんな時代だったんですね。
まだ7月初旬と言うのに連日36度を軽く超えている2023年の東京で、エアコンのない生活というのは考えられないものですが40年前は違いました。
おそらく気温もかなり違ったんだろう、ということで気象庁のデータを見てみました。
左がドラマが作られた1987年の東京の31日間の気温。(上から最高気温、平均気温、最低気温)右が2023年8月の気温です。
1987年はだいたい30度から33度の範囲に収まっています。2023年の最高気温は34~36度に集まっています。比べ安いように25度と35度に緑の直線を引きました。
最低気温もずいぶん違います。最低気温が25度以上を熱帯夜といいますが、2023年は最初の二日間を除いて全て熱帯夜です。
1987年くらいの気候であればタオルで汗をふきふきしのいでいたんですね。まだ熱中症という言葉が使われ始める10年以上前のことです。
気象庁の温暖化に関するページには「世界の年平均気温は、様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり0.76℃の割合で上昇しています」とあります。
100年で0.76度とはずいぶん小さい。さきほど東京の1987年と2023年を見比べてわずか36年の間に3度も違っていたのとはまったくイメージが違います。
年ごとの変動誤差はもちろんあると思いますが36年前より夏は3度ほど熱くなったと言われれば全員が同意してくれると思われます。
100年で0.76度なら(大きな声では言えませんが)あまり関係ありません。いろんな統計の取り方があるんだと思いますが。
「今朝の秋」を見ていてもうひとつ驚いた36年前の風習。
樹木希林が剥いた夏ミカンに大量の砂糖をかけています。一人当たり大さじ2杯くらい。
なんとなくうちでもそんな風景を覚えています。グレープフルーツにも砂糖でした。
昔の夏ミカンは酸っぱかったし、お砂糖が今ほど禁忌されていなかった時代だったようです。
昔のドラマを見るとドラマもいいけどタイムマシン的に過去を除けるのも面白いという話でした。