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arielの日記

水泳とジムや趣味を書いています。動画はリンク先がサービス終了のため平成24年以前は見られません。

ファンダイブ

2007年01月24日 | ダイビングの始めた頃

サイパンから戻ってきて講習の次を受けに行きました。

この頃から徐々にKeyさん夫婦とダイビングに行かなく

なりました。

替わりにファンダイブと言うのに参加するようになりました。

講習中のことはほとんど覚えていません。

3店舗がその頃合同でバスを出していたので、最初

ポセ○ドンからバスに乗っていたのが家に近い方の

ショップからバスに乗るようになりました。

ショップで集合だったので、その時いろんな人と知り合い

ました。その時知り合ったのが、積丹マリーンのYさん

(まだその時はショップのお手伝いもしていました)

inoさん、病気で亡くなった0さん、etc。

そのうちショップの社長から3店舗合同でしないことに

なったのでどっちのショップか選んでくれと言われました。

ここのショップで知り合いも増えたのでしょうがないので

そこのショップにしました。

本当はふらふら両方を行き来したかったのですが

もうそこのショップは無くなりましたが、器材また1式買ったり、

結構いろんなものを買わされました。

最初の器材と次の器材の間がすぐでその後はずーーと

同じ器材を使っていました。去年やっとネットで新しい器材

を買いました。(ネットの値引き率にはびっくりしましたが

ま、まともに使えるので良かったと思っています)

ショップと縁が切れてからは冬用のグローブにツギを当てたり

してほとんど必要なものしか買わないでダイビングをしていました。

 


病院通い

2007年01月23日 | ダイビングの始めた頃

無事サイパンから帰ってきて、すぐに風邪で通っていた病院

に行きました。

風邪はまだ治っていませんでしたが・・・・・

耳の鼓膜を見てもらったら炎症を起こしていました。

(ピンホールとか穴あいてなくて良かった)

病院で紹介してもらった耳鼻科に通い始めました。

しばらく二カ所通っていました。

何日目かに肌に湿疹が出てきました。

最初の病院での診断は風疹と言われました。

「三日たったら来てください」

私、子供のころ風疹してるのに・・・・・

三日たったら顔以外きれいな肌は無くなっていました。

すごーーくかゆかった。

病院で驚いて皮膚科を紹介してくれました。

後でわかったのですが耳鼻科でもらった抗生分質があわな

かったみたいです。

(違う病気で二回目に湿疹が出たときにわかりました。

その時は看護婦さんに初診のとき今回の薬全部書き出して

湿疹でますからと言っていたのにその薬を病院で出されました。

医者はそんなこと聞いてないと言っていました。お陰で皮膚科に

自腹で通ってたいへんでした。

三回目の病院のときは調剤薬局で似た薬だったので湿疹

でたら困るのでだめだと言ったら、相談ですが処方しますが

飲まないというのはどうでしょうと言われて湿疹出る前に

病院を変えました。)

熱はあいかわらずあるし、だるいし、肌はぼろぼろだし、

体調はすこぶる悪く、しまいにどこが悪くて調子が悪いのか

わからなくなってきていました。

もうほとんど治りかけの時皮膚科の駐車場が狭いので早め

に行って近くの喫茶店でモーニングセットを食べていたら、

隣のテーブルの上を照らしていたライトが留め金がとれて

いきなりターザンのようにわたしの方めがけて飛んできました。

テーブルの上の物をなぎたおして私の体をかすめて落下しました。

それを友達に言ったらサイパンからろくなことがないので、

神社でお払いしてもらったらと心配されました。

 

 

 

 


サイパン

2007年01月19日 | ダイビングの始めた頃

Cカードを取った翌年の3月Keyさん夫妻とサイパンに

ダイビングに行きました。

行く前に風邪を引いていておとなしくしていれば良かった

のに飲み会やいろいろ多忙にしていて、気がついたらサイ

パンに行く数日前に風邪をこじらせていました。

しょうがないので早くなおしてくださいと病院にいきました。

サイパンについても熱は怖くてはかれませんでしたが、

しっかり熱もありました。

サイパンについて本当はダイビングをしてはいけなかったのに、

ダイビングをしました。

いきなりそれもグロットでした。

最初、「こんな高いところからはいれないよ」とぐずぐずして

いました。

Keyさんにも「降りなきゃ潜れないんだよ」と言われて、

それでもぐずぐずして右足だして左足だしてと言われながら、

ためらっていたら後ろから突き落とされました。

(ただ私がそう感じただけで向こうのガイドさんにしたら連れて

いくところ間違えたと思っていたかも?)

地上でそんな状態ですから潜行もできませんでした。

そうしたらフィンをガイドさんがつかんで水中に引き込まれました。

(ただわたしがそう感じただけですが)

耳抜きもできないまま入っていきました。

(でもダイビングその後続行していたので途中で耳ぬきできた

んだと思います)

ほとんど海の中のことは良く覚えていません。

上がるときもエアーほとんど0に近かったですし、上がってから

マスクをはずしたら鼻血が出ていました。

(ガイドさんは大丈夫、大丈夫と言っていました)

自分では良く死ななかったなと思っています。(おおげさかも

しれませんが)

ガイドさんがなにがあっても途中で浮上はしないでくださいと

言っていたことだけは潜りながら覚えていました。

午後からはラウラウビーチというところでは、少し落ちついて

潜れました。

その時感じたのは積丹の海は結構暗いのであまりの透明度

の良さで水面がすぐそばのような気がして怖かったです。

いっぱい色の付いた魚がいるな・・・

一番思ったことは、中性浮力についてです。

講習でBCに空気を入れて水中に漂うのは習っていたのですが、

講習では言われたことはしましたが、意味がよくわかっていま

せんでした。

ガイドさんが魚とか見せてくれるためにそこに止まっているとき、

私は止まることが出来ませんでした。フィンをかかなければ、

そうするとエアーをたくさん消費します。

ここで初めて中性浮力の意味がわかりました。

次の日2本潜って全部で4本潜って帰ってきました。

ガイドさんはまったくと思ったことでしょう。

暇な時間は熱があったのでほとんどホテルで寝ていました。

その時のダイビングでわかったことは私はすごーーーく

下手だということでした。

このまま下手なままはくやしいので、

帰ってきてから講習の次を受けに行くことにしました。

まだリベンジでサイパンには行っていませんが、機会があったら

行きたいです。

 

1ヶ月間3カ所病院を1日に回ることになるとはその時思っても

いませんでしたが・・・

 


おぼれそうでした

2007年01月16日 | ダイビングの始めた頃

始めた頃はいつもKeyさん夫婦にダイビングに連れて

行ってもらっていました。

何回目かのダイビングの時、浮上サインで浮上したときの

ことです。

私だけ下から見たら白波のたっている岩に近づきすぎて浮上

していました。

BCに空気を入れて水面にいたら岩に吸い込まれてそこでたてな

くて波にもまれてしまいました。

Keyさんのご主人が一緒に岩まで来て私を支えてくれました。

波でスーツのarielと言う文字が消えてしまいました。

作ってまだ何回も着ていないのに・・・・

 

次は初めてボートダイビングをしました。

Keyさんのお友達の知り合いのお金持ちのクルーザーを持って

いる人にクルーザーに乗せてもらってダイビングをしました。

その人の息子がしばらくして別な舟で来ていましたから、

舟2艘も持ってるなんてお金持ちーーーと思いました。

舟に初めて乗って気がついたのは船酔いすると・・・・

その後しばらくはいつも船酔いして青い顔をしながらダイビング

していました。

ダイビングが終わって舟に上がろうとしたとき、シュノーケルをくわ

えて、フィンをはずして、BCを脱ごうとしたとき、BCが後ろで自分

腕を羽交い締めにしたようにとまってしまいました。

クルーザーから手もはずれてしまって、水面が顔の20cm位に

あるまま一人漂流していきました。

シュノーケルも水中にはいったまま、20cm上は空気があるのに

届きません。

Keyさん達が「あれ溺れてるんじゃ」

と飛び込んで体制をなおしてくれたので息ができました。

私は水泳はたぶんその時いた人のなかでは一番上手だったと

思います。でも溺れそうになっちゃいました。

 

それから下から見て白波が立ってるとこには近づかない。

フィンは最後に外す。(ビーチのときは笑われるぐらい浅瀬

までフィンはいて戻ってきます)

 

でも1番ひどかったのはサイパンに行ったときでした。

帰ってきてから病院に通いました。

 

 

 


初めてのダイビング

2007年01月13日 | ダイビングの始めた頃

Cカードを取って、初めてのダイビングは、Keyさん夫妻に

私のリクエストどおりすぐ歩かなくてダイビングができると

ころで、盃温泉の海水浴場に行きました。

そのころはプールでフィンとパドルをつけてよく2000m以上

泳いでいたので水面をシュノーケルをつけて移動するのは、

Keyさんのご主人より速いくらいで楽勝でした。

その頃ダイビングとは水中を泳ぐものだと勘違いしていて、

水中を漂うものだとは思っていませんでした.

Keyさんのお友達とも何度が潜りに行きました。

そうしたらその人達は最初のころハーネスでBCを

使わないで潜っていたことがある人達や中にはまだ

ハーネスで潜っていました。

それで私が初心者なのに足から潜行したらすごいと

感心してくれました。(真相はただウエイトをたくさん

つけていただけなのですが)

それでダイビングってちょろいと思ってしまってその後

結構いろいろ大変なめにあいました。


海洋講習

2007年01月11日 | ダイビングの始めた頃

最初1年位Cカードを取ってからログ帳はつけていませ

んでした。

サイパンでダイビングをしたときからログ帳をつけ始めました。

(たまにつけるの忘れるときもありました)

サイパンで自分の下手さに気がついて、その後オープン

ウオーターⅠ、Ⅱを取りました。

今回はその前のベーシックの海洋講習を書きます。

(3つとも今は名称がありません。去年アドバンスにCカード

を変えてもらいました)

覚えているのは最初海の上で手をつないで輪を作って漂って

いたことと海の中に潜ったらカレイがおよいでいたことぐらいです。

ただびっくりしたのはインストラクターの人が自分の器材をつけて

歩けないようならダイバーでないと言われて結構な距離(その時

自分はそう思いました)歩かされました。

それが一番大変でした。

次の週には崖のようなところを道路からのぞいてまさか器材

を持ってそんなとこ降りるとは思っていなかったので、びっくり

しました。

講習が終わって、

「タンク上まであげてください」と言われた時にはできませ

んでした。

そうしたらインストラクターの人が今日だけだよと私の分を

持ってくれました。

Keyさんの分を二人で道路まであげました。

海の中のことより私には器材を持って地上を移動することの

ほうが鮮明に覚えています。

Cカードを取って最初のダイビングにKeyさん夫妻に連れて

行ってもらうとき、私が言ったことは

「歩いたり、崖降りたりしないですぐ海に入れるところに

行きたい」

それが最初のダイビングの希望でした。

 


学科講習

2007年01月08日 | ダイビングの始めた頃

低気圧のせいですごく風が強いです。

車庫の前にたてかけておいた雪かき用の道具が向かい

まで飛んでいました。

コーンポストのふたも庭に飛んでいました。

 

積丹では去年の低気圧の時よりもすごいそうです。

 

波は10数M、施設のそばの建物の壁は壊れて屋根は

飛びそうだそうです。

舟も大変みたいです。

私の方は風が強いだけですが、南区(定山渓、藤野近辺)

は30~50cm位水を含んだ重たい雪が降っているそうです。

車庫から車が出せないそうです。

 

 私も今日用事があって街まで届けるものがあった

のですが、風がつよいので明日速達で送ろうと思っ

ています。

 

講習ですが、プールでの講習は覚えているのはこの間

書いたことぐらいです。

学科はほとんど覚えていませんが??、教科書を習い

ながら思ったことがありました。

ダイブテーブルを習っているときです。

「時計がいるな」と思いました。

器材とかもいるのにその時はなんにも考えず、すぐに父と

一緒に時計屋さんに行ってダイビング用の時計を買ってもら

いました。

その時ついでに着物用の時計も買ってきてしまいました。

(腕に時計をすると粋じゃないから、着物は結構そのころ

自分で髪もアップにしてよく着ていました。和傘をさして

地味目の着物を着て街に出かけたりしていました

 

学科を習っている頃器材を選んで(さっぱりわからないので

言われたものを買いました)、ウエットスーツの採寸をしました。

覚えているのはこれくらいです。

 


ショップ選び

2007年01月06日 | ダイビングの始めた頃

昨日の続きです。

母にダイビングは却下され、しかたないので父に言ったら

「ダイビングしても良い」と言われたのでそのまま強行突破

しました。

もうその当時のことはほとんど忘れましたが、たしか体験で

もう一人プールの人が参加しました。

3人でCカードを取ろうと盛り上がって、早速ショップをどこに

しようか?相談しました。

それで一人が某ショップのツッチーがいい男?だったので

押したので私は良くわからないのでそこでもいいよとポセ○

ドンになりました。

ところがその乗り気だった人が都合で行けなくなって、Keyさん

と二人で習うことになりました。

プール講習では少し早めに行って鼻栓を持ってスカーリングとか

なんとかレッグもどき(もう名前わすれました)とか足あげたりし

て水の中で遊んでいました。

講習の方はシュノーケルの口にくわえるところが大きいし、

レギのマウスピースはゴムくさいしで気持ち悪かったです。

マスククリアーを習ってやりすぎたのか、曇り止めがとれてし

まっていました。

残圧の数字を知らせるのを習っているとき、視界が真っ白

でした。

ゲージが見えないので一生懸命水の中でゲージをふいてい

ました。

Keyさん達は後で聞いたら笑っていたそうです。

曇っているのはゲージじゃなくマスクだよ・・・・・・

終わってからお風呂で立ちくらみがしてKeyさんに心配かけ

ました。

そのころすごーーーく痩せていて食も細くて顔色も青じろくて

その後海での講習であんなに器材が重いとは夢にも思って

いませんでした。


ダイビングの動機

2007年01月05日 | ダイビングの始めた頃

ダイビングを始めた動機は、同じプールのクラブにいたkeyさん

がご主人とダイビングするためです。

カードとりに行くのに一人で行くのがいやで私を誘ったのが

最初でした。

それで体験ダイビングで、プールで某ショップのツッチーに

つないでもぐってもらいました。

なにが感激したかというとプールが深かったことです。

ちょうどプールでシンクロもどきのことを習っていたので、浅いと

結構大変なのが足がつかないので遊ぶにはばっちりと思い

ました。

それで講習を受けることにしました。

その前に母に「ダイビングしても良いかい?」

「あぶないからだめ」と却下されました。