アラフィフ女のないない日記

独身、財産なし、家族なし。ないないずくしの待ったなし、の50代のホンネを書いてゆきます。

3.11 ーその時。

2011-03-11 17:56:28 | Weblog
生まれて初めて立てないほどの地震(私の体感震度は震度5)にあったのは、千葉県内の大きなビル施設で商談している時であった。
大まかに時系列に私の体験を書いてゆく。

15:05
すぐに管内放送の指示に従って外へ避難。
幸い、施設内にいた人にけが人はないようであった。
駐車してある車が揺れているのではなく、タイヤから動いている。
外に出てすぐに携帯で私の無事と、相手の安否確認のメールを送る。
携帯ニュースで、震源が宮城近辺で震度7あることを知る。

15:15
施設から地域の災害避難場所の地図を渡される。
施設利用グループごとに避難者の無事を確認するように依頼が出る。
私は個人商談中だったので、どこのグループにも属さず、不安を感じる。
帰宅を考えたが、荷物が館内に置いたままであること、帰宅するよりも施設下にいたほうが安全だと判断し、施設に留まって様子をみることにする。

15:20
一度は施設内に戻ることがOKになったが、その直後、大きな余震があり、再び外へ誘導される。
館内の安全が確認されるまで外にいるよう、指示が出る。

15:25
施設のTVが窓際から見られるようになる。
東北の津波の映像を見、千葉の震度は4程度であることを知る。
被害地域と状況がわかり、落ち着き度が増すと同時に、日本経済への影響が心配になる。
音声を最大にしてもらうように頼んだ。

15:30
施設の対応
・TVを大スクリーンで見られるよう設置
・毛布を20枚程度配布
・暖かい飲み物の配布
・簡易イスの設置
私の反応
体力温存と情報確保をこころがけ、最前列の施設関係者の近くに席を確保。
飲み物で手を温めながら、ニュースを見る。
安否確認の返信メールが数件ある。

16:00
グループごとに館内へ誘導される(1Fのみ入館可)。

16:20
施設の商談相手に帰宅する旨を告げ、館内に置いてきた荷物を回収、トイレを借りてから自転車で帰宅。
道路は渋滞、やはり館外避難指示が出ていたのか公共施設前は人だかりがしていた。
食糧確保のため立ち寄ったスーパーは「地震のため落ち着くまでお休みします」の貼り紙が。

17:00
帰宅。
エレベーターは使用禁止になっていた。

まず、テレビをつけてから、我が家の被害状況の確認。
普段から地震を前提に重いものは下に配置していたので、破損物はなし。
引き出しが開く、ベランダの窓が開く、小物が倒れる、程度で被害は軽微だった。
避難袋の充実と、避難経路の確保を図る。

18:00
地震発生5分後くらいから、今まで、ずっと救急車のサイレンが鳴りっぱなしだ。
幸い、見える範囲には火災は発生していない。
私はテレビを聞きながら、ブログを書き、現在に至る。

これから、どのくらいの被害が明らかになるのだろう。
みんな、がんばれ。

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