夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

カナダでのビザの話(その1)

2023-03-15 08:37:23 | プリンスエドワード島(PEI)

ブログ読者の方から私達が住んでいたプリンスエドワード島に関連して、地元カレッジを卒業して永住権を取得したという話に興味を持たれたというコメントをいただきましたので、少し私達が経験したカナダ滞在のビザ(査証)について書いてみます。長くなりますので2話に分けます。

渡航して直ぐ半年間住んだハリファックスの街

カナダは日本人に対し寛容な国で観光目的のビザなし滞在は6か月間認められています。逆に日本はカナダ人に対して日本でのビザなし滞在は3か月までとしています。私達は2007年に初めてカナダに渡った時はこのビザなし滞在でした。日本で早期退職していてカナダでも働く意図はなかったので6か月のビザなし滞在で良かったし、現地の日本人から6か月単位のビザなし滞在の延長は一定の生活費の所持を証明できればカナダ国内からの申請で何度でも可能と聞いていたのでそれで過ごせると思っていました。実際次の6か月は延長申請をして認められていました。

2008年5月プリンスエドワード島に引っ越したばかりの頃

ただ、カナダに渡った目的がやはり英語の勉強であったのでそれには語学学校に通わなければならず、カナダでは3か月以上の語学学校通学にはビザなしではなく学生ビザ(Student Permit)が必要でしたので、それまでは3か月以内の語学学校に通っていましたが、渡航1年後には夫婦でその学生ビザを取得し1年間PEIの州立ホーランドカレッジが設置していたESLクラス(語学学校)に通いました。

ハリファックスで3か月通った語学学校

ビザなしであれ学生ビザであれ働くことは出来ないし医療費も自己責任で旅行者保険や学生保険に入っていなければなりませんでしたので、そういう状態を払拭し長くカナダで暮らすために永住権取得は理想でした。1年間のESLクラスが終わる頃親しくなった担任の先生ビバリーの奨めなどもあり、永住権取得のためにカレッジで2年間の正規のクラスに入らないかという話になりました。

ホーランドカレッジESLクラス(左から2人目がビバリー)

ちょうどその頃カナダの連邦政府が新しい移民ビザとしてCEC(Canadian Experience Class)というプログラムをスタートさせていました。これは、カナダ国内のカレッジかユニバーシティを卒業し、一定の職種で1560時間以上働き、IELTS6.0以上等一定の英語資格を得ていれば永住権が取得できるというものでした。カナダに渡って2年が過ぎようとしていた時であり、カレッジに入れば少なくとも後2年間はカナダで暮らせると思いカレッジ入学はつらそうで嫌でしたが渋々その話に乗りました。

2年間通ったカレッジの校舎     

カレッジの正規コースに入るにはやはり英語の資格が求められましたが、ビバリーの後押しもあって何とかそのレベルに達し入学が認められ、カレッジからの受け入れレターがあれば2年間の学生ビザもスムーズに認められました。この時妻は一緒にカレッジには入らなかったのでこういう場合配偶者には同じく2年間の雇用主を特定しない(働いても働かなくても良い)オープンワークビザ(Work Permit)がもらえました。妻がこのビザを得たことで後に妻をオーナーとして2011年にB&Bがオープン出来たわけです。その時私はまだ学生ビザで働く資格がありませんでした。

カレッジでのレストラン研修の際ビバリーの生徒たちが慰問に来てくれた

私は2011年5月に悪戦苦闘の末ホーランドカレッジを卒業しました。カナダでは2年制のカレッジでも4年生のユニバーシティでも卒業するとほぼ自動的にそこから3年間のオープンワークビザがもらえます。私も、更に妻も配偶者としてこの3年間のワークビザを取得し、この3年間にCECビザの条件である1560時間以上の労働と英語力としてIELTSテストで総合6.0以上のレベルに達することが求められましたが、これも悪戦苦闘の末2年くらいかかって条件を満たし、2013年後半にいよいよ永住権取得の申請となりました。

卒業記念パーティの際にコックとなってゲストを迎えた

そして1年余りの審査の期間を経て2014年10月にカナダ政府から永住ビザを発行するという手紙をもらった時は渡航後7年の苦労を思って感無量だったことが思い出されます。(その2に続く)

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