夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

話しが繋がった

2024-05-30 08:26:04 | 日記

昨日は、ナブさん(山口さん)の家にお邪魔して3度目となる油絵用の額縁の制作をお願いして来ました。愛称のナブさんはかつて敷地内に「ナブの家」というティールームを運営されていたからと聞いています。彼の作る木工クラフトはすごく味わいがあって、脚本家の倉本聰さんもお気に入りなことから富良野の「珈琲 森の時計」にはたくさんの彼の額が飾られています。

ナブさんの家はケンとメリーの木の近く

以前作っていただいた小ぶりの額がとても気に入っているので、お歳のために木工をそのうち辞めると聞かされている私はナブさんがお元気で美瑛町にいる間にと今回は2個特注の額を頼みに伺ったと言うわけです。

昨日は少し寒い日でしたのでナブさんのリビングは薪ストーブが炊かれていました。上には膨大なヨモギの葉の乾燥ネットがありヨモギ茶を仕込んでるんだ~寒いからストーブをつけて乾燥するのに丁度良かったと笑っていました。ヨモギ茶をすすりながら、あれこれお話をしていると、先日行者ニンニクを採りに4人で山に行った話になりこれが一番若い日南人(ひなと)だと写真を見せてくれました。

手塚日南人と言えば最近徹子の部屋でお母さんの手塚理美と一緒に行者ニンニクを徹子さんにプレゼントしているネットニュースを覚えていたのですが、「ひょっとしてその時の行者ニンニクですか?」とお聞きしたら「そうだよ~熊が居るので4人で採りに行ったやつだよと」言ってました。

「どうして彼を知っているの?」と聞くと、彼は今美瑛町に住んでいて倉本さんから美瑛町に住んでいるならナブさんに挨拶に行けと言われて訪ねて来たということでした。私達がお邪魔しているリビングでギターを弾いたり歌ったり遊んでいったそうです。

彼は倉本聰さん脚本の舞台劇「悲し別23」に出演していてギターを弾きながら22歳の別れを歌った役を演じていました。私達も富良野の劇場に見に行きましたがその頃は日南人をよく認識していませんでした。

ナブさんの携帯に写る日南人は実に楽しそうな好青年でお父さんの真田広之というよりお母さん似かなと感じました。どうして美瑛に住んでいるのかはナブさんも良く聞いていないということでしたが、「美瑛が好きなようだよ」ということでした。ネットのニュースで手塚理美母子の話を読んだことから気になっていたことが巡り巡って昨日のナブさんの家で話がつながりました。面白いですね。

独り暮らしで近くお仕事をたたむ気でいるナブさんに、いつまでもお元気でまだまだ制作に励んでいただきたいですと希望をお伝えして帰ってきました。

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