年金ふわふわ

年金についての執筆やセミナー講師を生業とするFP・社労士が
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書くことと話すこと

2014年07月03日 | コーヒーブレイク
今日の新聞紙面から。

<ある映画監督の連載コラムから>
僕は完璧な映像に興味はない。完成度という言葉も評価とは思っていない。それよりも観客が見ている間、どんな時間を過ごし、何を考えたかが重要だ。
受け手の心で完成されるのが「作品」だと信じているから。

<ある美術評論家の連載コラムから>
何時だったか、新国劇の俳優・島田正吾氏の小唄を聞いたことがあった。ちょっと肩の力を抜いた老紳士の小唄はなんとも粋なものである。
しかし、島田氏の小唄は独特の間があり、島田流に崩した独自のものだった。この崩すという作業は正調を極めた者だけに許される業であり、
日本の芸事はこの境地に極まるように思った。
不完全だからこそ美しいという「不足の美」は、日本人が発見した茶の湯の基本美学である。

どちらも一部を抜書きしたものですが、感じるところがありました。
私も紙の上に文字を連ね、人前で言葉を発することにより、自分の考えを相手に伝える作業をする者ですが、これがなかなか上手くいかない。
言葉選びに失敗したり、言葉足らずであったり、逆に言い過ぎたり。とくに私は、言い過ぎる、書きすぎる面が強い。
おそらくは、自分の知識の豊富さを自慢したいという欲のためだろう。
自分を極め、でも、それを伝えるときはその多くを削ぎ落として芯の部分だけを伝えるように、伝わるようになれたら理想かなと思う。

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