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海外旅行初日

本ブログはリタイア後niftyブログで作成していたものの移管です。
古いものですがこの移管ですべて完了。16回に分けて移管予定。

1992年10月24日
初日:成田→サンフランシスコ
旅行記のカテゴリに入ったので旅行に関することをと思い日記を見てみました。
今から20年前(1990年代)のことになりますが、ソフトウェア製品に関する品質管理についての海外調査ということでアメリカ、イギリス、スペインを訪問しました。その時の日記からの抜粋です。

写真はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ(金門橋)です。


サンフランシスコを海から望む


サンフランシスコを高台から望む


「初日」
・自宅を出発。荷物は、スーツケースとショルダ-バック。スーツケースがズッシリと重い。ケ-スは、中クラスで約15~6kgの重さ。
・東京駅から半蔵門線の大手町駅まで、地下道がよくわからず20分以上歩いた。くたくたになってようやく水天宮駅に辿り着いた。動く歩道に乗りTCATの入口が見えたときはホットし、後一歩のところが非常に遠く感じた。
・12:30少し前、TCAT着。まずは食事。13:30集合であったが10分前には全員集合。リムジンバスでTCATから成田へ。
・18:00成田発。気分すこぶる快調。記憶によると、飛行機は苦手であり気分が落ち着かなく精神的に動揺するのであるが今回は以外とスッキリした気分であった。
・現在飛行機内、高度約3万5千フィ-ト(約1万m)、時速1000kmを少しスピードオーバ気味で約8000kmの旅の途中。ジェットストリ-ムの速度が100km/hとかなり激しく加速されている。
時差の関係で1日が40h(24-8=16hが+α)。
日本時間で1:30分、日本では真夜中であるが機の外では太陽が一杯。
・10/24、日本時間では25日の朝になる訳であるが時差の関係で24日。飛行機の騒音でうたた寝程度の仮眠をとる。いまいちスッキリしないが現地時間で朝食が出た。4回目の食事。サラリとした食事内容であったため食べることが出来た。
・シスコは曇り、空港からバスで市内観光。
シスコが一望で出来るツインピークスの丘にいきシスコの全貌を見渡す事が出来た。それから、5回目の食事、それも中華料理。さすがに少ししか食べることが出来なかった。ゴールデンゲートブリッジ及びパークとシスコを一周して回った。
・夜6回目の食事。日本人街にいき鮨を食べた。
内容は、日本とほとんど変わらないが米がうまくない。値段も同じようなもので10$前後である。
・サンフランシスコは、ゲイの町、坂の町、虹の町(ゲイの自己主張として虹の旗を窓に掲げている)と言われている。シスコは、ゲイ(オカマ)の人が4人に1人位いると言われている。中心街にいくと男同士手を握って歩いている光景をアチコチに見る。シスコではゲイですよと虹の旗を窓に掲げ堂々と自己宣言している。バスからかなり虹の旗をみた。我々日本人の習慣から見ると見るに耐えない光景である。
・坂の町にふさわしくケ-ブルカ-が多い、このケ-ブルカ-が旧式で地面下をロ-プで引っ張っている。シスコの道路は一見の価値あり、昇り下りといった高低の激しいこと、TVドラマでみたことがあるが実物は凄い迫力であった。
・霧の都と言われる街であったが、今日は午後からスッキリと晴、一週間に一度あるかないかの良い天気、シスコの街が一望できた。
シスコの街が霧の中から不思議なお城のように浮きでた感じで素晴らしい風景であった。
・ゴールデンパークは人工の公園で世界一の大きさ、日比谷公園の28倍。人工とは思えない公園である。家族連れの人がたくさんスポ-ツを楽しんでいた。雨がめったに降らないため、公園作りは大変な事業である。アチコチにスクリンプラ-で芝に水をまいていた。それでも感心することは芝生内への立入りを禁止せず開放している。
・シスコは天候が良く浮浪者が多い、夜ともなればビルの谷間にアチコチ見受けられる。危険地区というのがあり一般の人は近寄らない。
・ジャパンタウンの紀国屋書店で一般本は日本価格の約1.8倍と高い。
・10/24日で夏時間は終わり、夜が一時間長くなる。
時差が16+1と17時間、従って、一日が24+17で41時間と非常に長い一日だった。

 初日は時差との戦いですね。これは現在でも全く同じでしょう。
次回は二日目ということで一日毎に掲載していきます。
 

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