goo blog サービス終了のお知らせ 

観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

明治村をお勧めします

2008-10-29 00:51:37 | 旅行
 私は建築には少なからぬ興味を抱く者であり、歴史的な建造物と聞けば見なくてはすまないようなところがあります。そうした私にとって、明治村は、貴重な建物をまとめて見ることの出来る文化財の宝庫であり、大変印象深い場所でした。
 近代以降の我が国には、古いモノを捨て去り、新しいモノを取り入れていくことだけが美徳のように考える風潮があり、貴重な文化財が簡単に取り壊されていきました(それは現代も同じで、特に官僚などの皆様は、必要がなくても、ご自分の業績を作るためだけに、既存の制度等をいたずらに改変するなどして、平然としていらっしゃいます)。そうした建物を保存しようと考えた創始者の志が素晴らしいですね。なくなれば二度と再現できない「本物」を、資金と労力をつぎ込んでまで移築し、保存したことは、大変な文化的功労者でいらっしゃると思います。
 広大な敷地の中で、70近い建造物を見るのは1日がかりですが、飽きることがありません。私が特に印象に残る建物は、明治村の一番奥まった場所に建つ帝国ホテル中央玄関の威容です。20世紀の巨匠、フランク・ロイド・ライトによって設計されたこの建物に入ったとき、私は建物に「意志」があることを感じて動けなくなってしまいました。その意志とは、ロイド自身のものかもしれませんし、国際的なホテルを作って列強の仲間入りを果たそうとした当時の人々の意志かもしれません。あるいは、竣工直後の関東大震災でもガラス1枚割れなかったという、強靱な建物自身の意志なのかも知れません。
 メインロビーの吹き抜けを中心に、その周りに連なる、床や天井の高さを違えた多様な空間は、大階段や廻り階段から眺めると実に複雑な表情を見せてくれます。食堂前の巨大なブラケットが目を惹くかと思えば、細部には彫刻を施した大谷石や透かしテラコッタなどによって微妙な陰影が付加されており、その心憎いばかりの立体構成力には圧倒されるしかありません。建築に多少なりとも関心のある方は、必ず見なければならない作品であると断言させていただきます。
 明治村を訪れる際には、国宝犬山城や茶室如庵も合わせてご覧になるべきでしょう。充実した旅行になることを保証いたします。建物をメインにする旅で、これ以上の旅はありますまい。何度でも行ってみたいです。

恐るべし京都

2008-09-30 00:06:01 | 旅行
 近代の文化遺産が脚光を浴びています。明治・大正時代に作られた産業遺構を文化財として認知していこうとする動きが各地で盛んになっているようです。
 先週末、大学院修士課程の学位を受けるために上洛した際、たまたま訪ねたのが、梅小路公園内の蒸気機関車展示施設でした。もう京都では行く場所がなくなってしまい、軽い気持ちで訪ねた場所でしたが、その迫力と意気込みのようなものには圧倒されてしまいました。
 入口になっているのは、国鉄時代の二条駅の駅舎を移築した建物です。内部は資料展示室になっており、裏側にはプラットホームが再現されていました。古き良き時代を感じさせるモダンなたたずまいでした。そこを抜けて奥へ進むと、メイン施設である大正期に建てられたSLの車庫があり、マニア垂涎の貴重なSL車両が何両も格納されています。さらには、その中の1両がSLスチーム号として、客車を引いて専用のコースを10分程度走ってくれるというサービスぶりでした。
 私は、一日に3回運行されるスチーム号の最終回に乗車したので、最後の整備作業や方向転換台上で回転する様などをつぶさに目にすることができました。
 私は鉄道マニアではありませんが、重厚長大なSLの存在感と、それを伝え、現在も整備している老鉄道マンの方々の情熱に胸打たれ、感動しました。この施設は、鉄道ファンならずとも、ぜひ訪れるべき近代遺産であると断言させていただきます。恐るべし京都。そこに息づいているのは古い社寺ばかりではありません。

憧れの旅

2008-09-10 03:47:48 | 旅行
 JR発行の山口の観光PR誌に奥田瑛二氏のインタビュー記事が掲載されていました。氏は列車の旅について、時が止まっていて景色だけ走っているような、時空に逆らっているような不思議な感じがいいと述べています。私の思いを言い当てられたように感じ、うまいこと言うなあと感心しました。
 氏の旅は、行き当たりばったりで、駅名が面白いと思ったらそこで降りるというような自由なものですが、私の旅は、あまりそういったことがありません。貧乏性なので、合理的に観光地を回ろうと、事前にかなりハードな計画を立て、ほとんどその通り実行してしまうのです。そのためか、最近、旅でときめくものが少なくなった気がします。それどころか、ストレスで旅行中、腹具合が悪くなるほどです。
 以前、山口県に旅した折、萩で悩んだことがあります。有名な秋吉台に行くか、三徳山三仏寺に行くか、決断を迫られたのです。事前の計画でも、それぞれのルートがよくわからず、現地で決めようと、珍しくプランも白紙でした。悩んだ揚げ句、私は後者を選びました。自然よりも人工を選んだのだと思います。心配した交通の便ですが、その日は偶然、寺の大祭に当たっており、私は一人でも投げ入れ堂(写真)まで登ることが出来ました。そんな天の配剤もあり、素晴らしい旅になりました。あのとき行っておいてよかったと今でも思います。
 気の向くままの自由な旅に憧れます。温泉で、身も心も解放するだけ、そんな旅ができればいいなあ。一人もいいけど、そうでない方がもっとよいでしょう。
 

酒浸りの二日目

2008-09-02 21:30:24 | 旅行
 伏見には行ったことがなかったのですが、今回は初めて京阪の伏見桃山で下車しました。まず行ったのは商店街の中にある酒屋さん。地元の小規模な酒蔵を紹介するため、いろいろな銘柄のきき酒ができるというユニークな店です。マスターの話を酒肴に、ここでしか飲めないという限定酒をいただきました。都鶴大吟醸萬、同じく都鶴しずく酒は大吟生原酒、玉の光純米大吟、どれも実に旨い酒でした。私はしずく酒をおかわりしました。メジャーな蔵にはない、伏見の底力を味わった思いです。
 鳥料理の専門店で神聖を飲みながら昼食をとり、初めて寺田屋を訪ねました。当時のままだという建物の中を見て回り、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』の場面場面を思い出したりしました。酔った勢いで買った短冊は「酒は飲むべし 酒は飲むべし 人生唯酒ありて胆を開く 酔中の快楽人知るなし」「世の人はわれを何とも言はばいへ わがなすことは我のみぞしる」の二枚でした。
 さらに月桂冠大倉記念館(写真)で試飲の後、北山に戻って、料亭に上がり込みました。3年ぶりで行ったのに、私のことをよく覚えていてくださり感激。今度は、京都の徹底したホスピタリティーと言いますか、もてなしの奥深さに圧倒されました。おかげで開店から閉店まで飲み続け、気持ちよく散財しました。
 旅行の二日目は、以上のように、見事に酒浸りの一日でした。

古都の夜は更けて

2008-09-02 00:52:02 | 旅行
8月30日から9月1日まで京都に行ってきました。「そうだ、京都行こう」と思ったからではなく、修士論文の口頭試問を受けてきたのでした。
 初日の夜は、四条河原町まで出て、夕食をとりました。私は遠い昔、四条通に面したオフィスで働いていました。現在、会社の社屋は建て替えられており、昔日の面影はありません。同時に、近隣の街並みも一変しています。私はかなり懐古趣味の強い人間だとは自覚していますが、それにしても、街の変貌には驚かされ、絶句するほどです。特に、京都は革新的な街なので、変化のスピードも尋常ではないようです。
 よく通っていたレストランも飲み屋さんも、ほとんどなくなっていた中で、うどんを名物にした店だけがまだ残っていました。ほとんど変わらない店内で、マンガンジ(知らない方は巨大なししとうを連想してください)の焼き物とナス焼きを酒肴に、奥播磨(酒の銘柄)を飲みました。あの頃の私はとがっていました。会社や社会、上司や先輩方にも過度な抵抗意識を持ち、固く心を閉ざしていました。皆、私のことを心配してくれていた、よい方たちでした。迷惑をかけた方々の顔が次々と浮かんできて、涙が一筋流れました。
 あの頃に戻れたら、違った人生が送れるだろうかと、詮ないことを考えているうちに古都の夜は更けていきました。
 

尾瀬再び

2008-08-06 23:09:25 | 旅行
 昨年訪れた尾瀬を再訪しました。昨年は晩秋で一泊二日でしたが、今年は盛夏の二泊三日。どんな尾瀬が見られるのか、楽しみでした。肝心の天気は全日、朝が雨で、午前中が晴れ、午後は曇りから雨とめまぐるしいものでした。
 昨年は鳩待峠から尾瀬ヶ原を見晴まで行って野営、そこから鳩待峠へ戻ったのでしたが、今年は見晴で野営の後、沼尻から尾瀬沼を一周、見晴に戻って野営後、鳩待峠へ戻るというコースでした。初心者がいたので、余裕の設定でした。それでも念願の尾瀬沼が見られて、二年越しで尾瀬を制覇した気分です。
 ビジターセンターで尾瀬の四季をスライドで見たせいもあり、雪一色の過酷な冬を越えて、生命が横溢する夏の光景を目の当たりにし、旺盛な生命力に圧倒されるようでした。生きる喜びを体感できたと思います。
 撮った写真は約300枚、愛機CANON-G9はバッテリー切れの心配もなく、一眼レフに負けない期待通りの映像を残してくれました。アップしたのは湖沼に映る山と空の光景です。
 最後に口コミです。尾瀬に行くなら、断然、8月のウィークデーがよいでしょう。理由は、鳩待峠まで車で入れること、信じられないほど人が少ないこと、それほど暑くないことなどです。
 

尾瀬へのアプローチ

2008-08-04 00:34:53 | 旅行
 夏の尾瀬に行くため、新しい登山靴を買いに出かけました。モンベルかホーキンスあたりを狙ってお茶の水まで行ったのですが、意外に品揃えが少なく、ほとんど見あたりませんでした。ようやくモンベルを見つけて履いてみましたが、かなりきつめでNG。店員さんに勧めてもらって数足履いた中から、結局、ダナーというメーカーのデイハイカーというモデルを選びました。リーズナブルなこともありましたが、履いてもきつい感じがなく、クッション性もよくて、私にはうってつけの靴でした。ネットで買うことも考えたのですが、やはり靴は実際に履いて選ぶべきだと改めて思いました。
 以前、イタリアに旅した折、知人からフェラガモの靴を土産に頼まれたことがあります。サイズをセンチで聞いて行きましたが、イタリアではサイズ表示はセンチメートルではなく、しかも男女で異なるというので面食らってしまいました。結局、購入した靴はかなり大きかったようですが、知人は「かえってよかった」と言って受け取ってくれました。しかし、どう見ても大きすぎて、そんなはずはなかったと思います。
 実際に試してみるって、本当に大切なことですよね。

はるかな尾瀬

2008-07-02 23:58:41 | 旅行
 昨年の秋に、初老の紳士と若者2名とで尾瀬に行きました。尾瀬は憧れの地だったので、無理に頼んで連れて行ってもらったのです。
 中高生の頃、雑誌で、尾瀬沼の自然を守った平野長靖氏の記事を読みました。平野氏は長蔵小屋の主でしたが、尾瀬の自然をこよなく愛し、詩や短編にして自費出版する芸術家でもありました。ところが、当時、尾瀬を貫くスーパー林道が計画されていました。自然破壊を恐れた平野氏は、当時の環境庁長官大石武一氏に直訴、大石氏は尾瀬を実際に踏査して、スーパー林道が尾瀬の自然を損なうという判断を下し、その計画をぎりぎりのところでストップしたのです。一般人と政治家が手を取り合って、貴重な自然を守ったのでした。
 その後、平野氏は若くして亡くなり、大石元長官も近年亡くなりました。私は、地元に来た大石氏の講演を聴きに行って、感銘を受けたのを覚えています。
 初秋の尾瀬は雨でした。しかし、雨に煙る木道や、湿原に咲いたリンドウの花は、私を十分に満足させてくれました。平野氏と大石氏の尽力がなかったら、こんな素晴らしい風景を見られなかったかもしれない、そう思うと感動も一入(ひとしお)でした。今年は8月に、また連れて行ってもらうことになりました。秋とは違う、どんな風景に出会えるのか、今から楽しみでなりません。(写真は私が撮影したお気に入りの一枚です)

山形の蕎麦

2008-07-01 23:36:36 | 旅行
 山形県のある村に、年に数回通っていた頃があります。ただ蕎麦を食べるためでした。大きな民家は、昼、建具を取り払って、家全体を店にしていました。かなりの広さでしたが、昼時は表で待つくらい繁盛していました。その店の蕎麦は素朴ながら、噛むと風味が口から鼻へ抜け、濃い鰹だしとともに、後味が余韻となって残るような、何とも素晴らしいものでした。
 有名人が訪れることもあるようで、壁には来店した人の色紙が貼ってありました。蕎麦を待つ間、ぼんやり眺めていると退屈しませんでした。その中で、私が気に入っていたのは芹沢九段の色紙でした。
 芹沢博文九段が亡くなってから20年くらいはたつのでしょうか。私は「クイズダービー」という、往年の人気番組の回答者として知っていました。勝負の世界に生きる棋士にしては、温厚な人物のように見えましたが、実際は豪放磊落といったところもあって、周囲と衝突することも多かったようです。晩年は、病気をして酒に溺れていたと聞きます。伊集院静氏がエッセイの中で、癌で壮絶な死を遂げたと書いていたように思いますが、勘違いかも知れません。
 色紙に書かれていた文句は「酒は楽し 将棋は苦し 人生は哀し」というものだったと記憶しています。あの笑顔の裏には、こんな思いがあったのかと胸が締めつけられるようでした。
 もう十年以上行っていませんが、あの色紙は今も飾ってあるでしょうか。あったとしたらすっかり黄ばんでいることでしょう。この夏あたり、それを確かめに行こうかと思っています。
 

過程より結果が大事?

2008-06-26 20:30:16 | 旅行
 ネットを見ていて面白い記事を読みました。過程が大事か、結果が大事かといった内容でした。
 私達は社会に出ると、会社や仕事で常に結果を求められます。そこでは過程は重視されず、結果がすべてです。利益を追求するならば、それは当然と言えるでしょう。結果が出なければ「頑張った」と褒めてもらえることはごくまれです。しかし、そうした風潮が行きすぎて、最近の食品等の擬装問題が起こっていることも事実です。
 さて、ネットには、だいたいこんなことが書いてありました。「旅行に行くときに結果を問題にする人はいない。なぜなら、結果は家に帰ることだから。旅行というものは、結果を求めるものでなく、過程を楽しむものなのだ。」
 考えてみれば、旅行って本当にそうですね。アップした写真は秩父の札所の結願寺である水潜寺門前の民家です。毎回前を通って眺めると、いいなあ、こんな家に住んでみたいと思います。建物自体も雰囲気がありますが、清流を隔てて桜が植えられた風情が何とも言えません。
 最初は、もちろんこの家を見に行ったわけではありません。札所を回り、水潜寺をお参りするという過程で巡り会った家なんですね。水潜寺自体も旅の過程なら、この民家はさらにその過程と言えましょう。そんな旅の過程にこそ楽しみがあるというのは、土地の方々との触れ合いや予期せぬ名店の発見など、誰もが経験したことだと思います。
 結果でなく過程を楽しむ余裕を大切にしたいと思いました。だって、人生の結果は死です。過程を楽しまなければ、生きている甲斐はないということになります。
 

春の横浜

2008-06-21 15:30:31 | 旅行
春の横浜
 ホームページは以前から作っていましたが、ブログというのは初めてです。
 これから週に一回程度は書きたいと思っていますが、どうなることか、自分でもわかりません。きっと誰からも反響がなく、すぐに書く気が失せてしまうような気がしています。
 昨日は、久しぶりに横浜に出かけてみました。自分としては、横浜美術館で開催中の山下孝則展を見るという大義名分で繰り出したのですが、本当のところは伊勢佐木町の焼き鳥屋さんが目当てでした。まあ、見るものを見て、飲むものも飲んで、お手軽で楽しい旅でした。ちなみに、私は東京都下の某市の住人ですので日帰りでした。
 写真でアップしたのは、美術館前でお見受けした老婦人です。失礼とは思いつつ、後ろから無断で撮影させていただきました。高層ビルの谷間に開いた、白い日傘が印象的でした。天気がよかったせいか、お一人であっても淋しい感じはしませんでした。どのような方か、もちろん存じ上げませんが、あんな静かな老後を迎えられたらよいなあと思いました。