goo blog サービス終了のお知らせ 

観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

私の孤独

2008-10-19 01:58:22 | オーディオ・音楽
 何かの拍子にふと思い出すメロディーというものがありますね。耳の奥で流れ始めた当初は、あれ? この歌、なんだっけ? なんて題名も浮かばず、しばらくして何とも言えない心持ちになったころ、ああ、あの歌だった! と思い出すという体験は誰もがお持ちだと思います。そういうのを心の歌といってもよいでしょう。
 数ヶ月前、「私の孤独」「ヒロシマ」などが時々聞こえるようになり、CDがなかったことに気づいて、ポリドールから出ているムスタキ氏のベスト盤を購入しました。日本で流行った曲は特別だったのか、輸入盤には気に入っていた曲が網羅されないので、お手軽なベスト盤となりました。
 故郷の地方都市に住んでいた学生時代、私は、現在も付き合っている友人に誘われて、地方公演に訪れたムスタキ氏のコンサートに行きました。詳細は覚えていませんが、しみじみと染み入ってくる彼の歌声に魅了されました。しかし、ひげをたくわえた吟遊詩人の風貌は、ボーダーレスに生きる厳しさのようなものをたたえて、引き締まっていました。政治的にもポリシーを持つ彼は、アメリカに追随する被爆国の弱腰に批判的だったようです。一方で、阪神淡路大震災ではチャリティーをやってくれましたし、日本に対しては複雑な感情をお持ちなのではないでしょうか。
 第二外国語でフランス語を学んだ私ですが、改めてアルバムを聴いても、その成果は感じられません。訳詞を見ていても、それほどピンと来るモノはありません。しかし、哀愁を帯びた曲と、甘美な歌声だけで、私には十分です。それにしても、あの頃も今も、私は孤独なままです。

人生が二度あれば

2008-10-11 21:36:51 | オーディオ・音楽
 井上陽水氏の初期の作品に「人生が二度あれば」という傑作があります。私は、これを聴いたときに、氏の非凡性を感じ、ブレイクするに違いないと確信しました。
 「父の湯飲み茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる 鏡に映る自分の顔をじっと見ている 人生が二度あれば この人生が二度あれば」
 たったそれだけの短い詩の中に、父親への思い、二度と繰り返すことのない人生の残酷さ・哀しみなど、さまざまな思いが実に見事に結実していると感じます。若くして、これだけ人生の核心に迫れる人は少ないでしょう。恋愛だけがテーマのような当世のJポップなどに比べると明確に一線を画し、普遍的な、人間や人生の機微までを描ききっていると思います。
 現在の生に満足していない私は、つい、人生が二度あればという妄想に駆られることがあります。しかし、冷静に考えれば、もう一度チャンスがあっても、私は現在と同じように、二度目の人生を空費してしまうことでしょう。『徒然草』に、弓矢の先生の弁を紹介して、初心の人は二つの矢を持たず、一本だけで決めるのだと念じて射るべしという有名な段がありますね。二度目があれば、一度目で手を抜くのが人情です。だから、人生は一度きりがよいのだと思います。一度しかないからこそ、それを慈しみ、そこからいろいろなことを学べるのでしょう。
 人生が二度あればと願うのも人情なら、二度目をあてにして今生がおろそかになるというのも人情でしょう。生きると言うことは素晴らしくもあり、それ以上に哀しいものだと改めて思います。

 

遂にナツメロ世代?

2008-09-07 05:52:54 | オーディオ・音楽
 2006年発売のCDで坂田明の「ひまわり」というアルバムがあります。また古い話で申し訳ありません。
 ヘンリー・マンシーニ作曲の名曲「ひまわり」は、映画とともに有名ですが、坂田氏の演奏を聴いたのは、永六輔氏がパーソナリティーを務めるラジオ番組でした。車の中で聴いたとき、思わず「これだ!」と思いました。アルバムは「日本チェルノブイリ連帯基金」が制作したもので、売り上げの一部は、チェルノブイリで被爆した被害者の治療費として使われるということでした。
 坂田氏のむせび泣くようなサックスは最高です。まさに、よく歌う演奏だと思います。選曲も素晴らしい。いずみたく氏の「見上げてごらん夜の星を」、中村八大氏の「遠くへ行きたい」、現代音楽の巨匠、武満徹氏の「死んだ男の残したものは」など、懐メロといってよいポピュラーな曲と、クラシック「早春賦」「G線上のアリア」、さらには自作の2曲という構成です。
 この中で、「見上げてごらん夜の星を」「遠くへ行きたい」の作詞は永六輔氏、「死んだ男の残したものは」は現代詩の大家、谷川俊太郎氏で、周知のように大変素晴らしい歌詞です。手元にあるCDで思い出すと、盲目の沖縄出身の歌手、新垣勉氏が、アルバム「出逢い~我が心の歌~」と「命どぅ宝」の中で3曲ともカバーしています。叙情的で魂に語りかけてくるような歌唱に心打たれます。「日本の心」「日本人の心」に訴えかけてくる詩や曲なのでしょう。
 しかし、こうした曲がよくなってくるのは、やはり年齢のせいなのでしょうか。 

友人の演奏会で

2008-07-22 23:44:25 | オーディオ・音楽
先日、友人の発表会を見に行ってきました。聴きに行ったと言うべきでしょうか。友人が習っているアルトサックスの発表会ですから。
 参加者は20名ほど。皆さん、同じ先生についてサックスを習っている方達でした。老若男女と言ってよいほど、多彩というか多様な方々で、初心者からセミプロまで、そのレベルもいろいろでした。クラシックを演奏された方もいらっしゃいましたが、ほとんどは、ジャズのスタンダードナンバーかポップスで、聴きやすい曲ばかりでした。
 リタイヤされてから始めたといった感じの男性諸氏は、気の毒なほど緊張されていました。私は聴くだけなので、気楽に音楽だけを楽しむことができました。改めて音楽の楽しさを教えてもらったように思います。友人はかっこよく演奏できて、応援した甲斐がありました。ピアノ、ベース、ドラムスを従えて演奏できたのは、よい思い出になると思います。趣味も、これくらいは学び、打ち込むことがあると、達成感も大きいだろうと感じました。
 

壊れかけのRadio

2008-07-05 22:37:16 | オーディオ・音楽
 徳永英明は、どちらかといえば、あまり好きなタイプのシンガーではありませんでした。それが、年末の紅白歌合戦で「壊れかけのRadio」を聴いて印象が変わりました。情けないことに、近年は、紅白を見て号泣するというのが、年末の恒例行事になってしまいました。涙もろくなったのは年齢のせいでしょう。
 中学に入学したとき、両親がラジオを買ってくれました。英語のラジオ講座を聴くという名目で、せがんでプレゼントしてもらったものです。ナショナルのGXワールドボーイという3バンドの高性能モデルでした。ラジオ講座も、野球中継も、深夜放送も、そのラジオで聴きました。風呂に入るときも、ビニール袋に入れて浴室にまで持ち込んでいました。
 ラジカセやミニコンポを買ってからも、ワールドボーイは捨てられませんでした。「思春期に少年から大人に変わる」、そういう時期を、私はこのラジオとともに過ごした気がします。
 その後、このラジオは同棲していた女性が使っていました。何でも大切にする女性でしたから、今でもきっと使ってくれているでしょう。宝物の証として、ラジオには、私のイニシャルのシールが貼ってありました。それだけは、もう剥がしてしまったかもしれません。
 「本当の幸せ」を、私は聞き逃してしまったのだと今になって思います。

清水の舞台

2008-06-23 20:37:46 | オーディオ・音楽
 オーディオファンです。最初の衝撃的な出会いとは、中学から高校くらいの頃でしょうか。友人の父上がクラシックファンで、すごいステレオ装置をお持ちでした。路地の中のお宅でしたが、防音工事までなさる始末。そこで初めて聞いたのがマッキントッシュの音でした。ガラスパネルに浮かび上がるブルーアイズ・・・・・・。それを見ているだけでうっとりしたものです(おわかりにならない方には何のことか不明でしょうが)。以来、マッキントッシュは憧れでした。まさか、自分がオーナーになるとは思ってもいませんでした。
 オーディオも中古でやっています。現在のラインナップは、プリメインMAー6900、CDPにESOTERICのX-30VU、SPはB&WのMATRIX802S3です。
 オーディオを決めるのはスピーカーと言われますが、アンプでもこれだけ変わるのだと言うことを実感できました。1年以上情報を収集し、タイミングを逃さずに買えたのは良かったと思います。よく思い切って買えたと我ながらびっくりしています。ちなみに以前のシステムはTANNOYのアーデンMK2をサンスイの907iMOS-LIMITEDでドライブしていました。
 倍の値段を出せば音が倍良くなるかと言えばそうはいかないのがオーディオの世界です。趣味とはそういうものなのかもしれません。こだわりや思い入れがすべてでしょう。
 音楽のことはまた書かせてください。