何かの拍子にふと思い出すメロディーというものがありますね。耳の奥で流れ始めた当初は、あれ? この歌、なんだっけ? なんて題名も浮かばず、しばらくして何とも言えない心持ちになったころ、ああ、あの歌だった! と思い出すという体験は誰もがお持ちだと思います。そういうのを心の歌といってもよいでしょう。
数ヶ月前、「私の孤独」「ヒロシマ」などが時々聞こえるようになり、CDがなかったことに気づいて、ポリドールから出ているムスタキ氏のベスト盤を購入しました。日本で流行った曲は特別だったのか、輸入盤には気に入っていた曲が網羅されないので、お手軽なベスト盤となりました。
故郷の地方都市に住んでいた学生時代、私は、現在も付き合っている友人に誘われて、地方公演に訪れたムスタキ氏のコンサートに行きました。詳細は覚えていませんが、しみじみと染み入ってくる彼の歌声に魅了されました。しかし、ひげをたくわえた吟遊詩人の風貌は、ボーダーレスに生きる厳しさのようなものをたたえて、引き締まっていました。政治的にもポリシーを持つ彼は、アメリカに追随する被爆国の弱腰に批判的だったようです。一方で、阪神淡路大震災ではチャリティーをやってくれましたし、日本に対しては複雑な感情をお持ちなのではないでしょうか。
第二外国語でフランス語を学んだ私ですが、改めてアルバムを聴いても、その成果は感じられません。訳詞を見ていても、それほどピンと来るモノはありません。しかし、哀愁を帯びた曲と、甘美な歌声だけで、私には十分です。それにしても、あの頃も今も、私は孤独なままです。
数ヶ月前、「私の孤独」「ヒロシマ」などが時々聞こえるようになり、CDがなかったことに気づいて、ポリドールから出ているムスタキ氏のベスト盤を購入しました。日本で流行った曲は特別だったのか、輸入盤には気に入っていた曲が網羅されないので、お手軽なベスト盤となりました。
故郷の地方都市に住んでいた学生時代、私は、現在も付き合っている友人に誘われて、地方公演に訪れたムスタキ氏のコンサートに行きました。詳細は覚えていませんが、しみじみと染み入ってくる彼の歌声に魅了されました。しかし、ひげをたくわえた吟遊詩人の風貌は、ボーダーレスに生きる厳しさのようなものをたたえて、引き締まっていました。政治的にもポリシーを持つ彼は、アメリカに追随する被爆国の弱腰に批判的だったようです。一方で、阪神淡路大震災ではチャリティーをやってくれましたし、日本に対しては複雑な感情をお持ちなのではないでしょうか。
第二外国語でフランス語を学んだ私ですが、改めてアルバムを聴いても、その成果は感じられません。訳詞を見ていても、それほどピンと来るモノはありません。しかし、哀愁を帯びた曲と、甘美な歌声だけで、私には十分です。それにしても、あの頃も今も、私は孤独なままです。