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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

絵本なんてどうですか?

2008-10-03 01:48:29 | 読書
 絵本作家の五味太郎氏の絵が好きです。端正でいてユーモラスであり、幼い子供にぜひ触れさせたいものばかりだと思います。もちろん、内容も凝っていて、各作品ごとに、ユニークな試みがなされていて、好感が持てます。各作品での実験的な試みも、大変成功している気がします。
 私が好きな作品は、まず『さる・るるる』(絵本館)です。全部「る」で終わる言葉からなる言葉遊びの本。文は少ないし、短文ばかりなので、小さい子にも親しみやすいでしょう。20年以上のロングセラーだといいます。次に『わにさんどきっ はいしゃさんどきっ』(偕成社)。虫歯になったワニが歯医者へ行きますが、意外に意気地がなくて戦々恐々。歯医者さんも患者がワニなので怖がっています。この作品、文章は二人の気持ちが書かれているのですが、全編を通して、各場面での文章が、二人とも全く同じ。それなのに、二人の心境を見事に描き出しているのは、絵の力でしょう。『みんなうんち』(福音館書店)は動物のうんちを見ているうちにトイレのしつけができるようになるというもので、定評のある作品です。
 私が最も好きなのは『おまたせしました』という、小さな本です。確か表紙からすべて黄色で、黒の単色だけで描かれていたと思います。レストランを訪ねてくる動物の客たちに、ウエイターの紳士が食事を出すシーンだけで構成されています。ウサギやネコは可愛いですが、ヘビやライオンといった珍客もあり、ロボットの客まで登場します。文章は「おまたせしました」という台詞だけ。若干の表現の違いが、客に対するウエイターの心理をうまく表現しています。レストランに来る動物たちを使って、人間が千差万別であると教えているような気がします。つまり、危険な人や自分勝手な人、意思の疎通ができない理解不能の人などが世の中にはいるということですが、考えすぎでしょうか。
 図書館などに行ったときに、たまに絵本コーナーに立ち寄られてはいかがですか? 童心に帰れると同時に、けっこう考えさせられますよ。

ブックリスト~『さおだけ屋は・・・』

2008-09-24 23:24:27 | 読書
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』山田真哉 光文社新書191

 2005年の出版です。古書店ではかなり目にする本で、よく読まれたことは知っていましたが、題名が媚びすぎている気がして敬遠してきました。最近になって話題の本だったことを知り、ようやく読んでみた次第です。
 さおだけ屋は確かに昔からありますが、売れているようには思えない。それでは潰れないのはなぜか。素朴な疑問ではありますが、作者はフィールドワークから、二つの結論を導き出します。一つは安いさおだけを看板にしながら、実際には高い商品を勧めたり、物干し台が壊れていると指摘して工事を斡旋したりして、売り上げを増やしていたこと。もう一つは、さおだけ屋などは存在せず、金物屋等が配達のついでにやっていた副業で、仕入れの費用の必要がない、費用を減らす対策だったということです。そして、この二つの原理こそ、利益を出すためのセオリーだというのです。
 他にもベッドタウンの住宅街の中にある高級フランス料理店の謎や、「50人に一人が無料になるキャンペーン」のトリックなど、興味深い、まさに身近な話題を大変わかりやく解説してあって面白い本でした。会計学と銘打っていますが、経済・経営の超入門書として推薦できると思いました。

彩の国古本まつり

2008-09-09 05:09:53 | 読書
 日曜日に、所沢の東口正面、くすのきホールで開かれていた「彩の国古本まつり」に久しぶりに出かけました。これは年に4回(3、6、9、12月だったと思います)定期的に開催されており、各回は1週間程度の会期です。以前は、毎回必ず行っていたのですが、この2年ほどはご無沙汰していました。
 東京、埼玉、千葉から40店ほどの古書店が出店している古書市は、関東では最大級と言われます。会場を一周するのに2時間程度はかかってしまいます。仏教書を中心に見て回りますが、今回は修士論文の呪縛からも解放され、暢気なものでした。
 書を再開しようと考えて、写経の本を1冊買った他は、触手が動きませんでした。ずらりと並んだ背表紙を見ているだけで、さまざまなテーマに挑戦した人々がいることを再認識し、敬意を表しはするものの、以前なら、いつか読むだろうと買ったような本まで、もう読む時間はないだろうと諦めてしまうことが多かったように思います。歳をとるとはこういうことで、好奇心も減退したのかもしれません。これではいかんなあと思いました。

ブックリスト~『求めない』

2008-08-26 02:21:05 | 読書
『求めない』 加島祥造 小学館

 1年ほど前に出版された、比較的新しい本です。掌サイズの可愛らしい装丁も目をひきます。
 作者は、早稲田の英文科卒で翻訳などをされていたようですが、老子に影響を受け、老子に関する著作も多いようです。信州伊那谷に住み、詩作、著作のほか、墨彩画の制作もなさっているということです。御歳85歳くらいでしょうか。
 これは、詩集と言うよりアフォリズムというか、「求めない」と繰り返し、それがどういう心的作用を及ぼすかを平易に述べています。
 私達が日々、不安であったり、憎しみあったり、悲しんだり、満たされなかったりするのはなぜか。作者は、そのキーワードとして「求めない」というフレーズを使っているようです。その思想は、老子であり、禅的でありましょうが、原始仏教に通じる明快で実践的なものを感じます。悟り澄ませと言うのではなく、少しでよいから発想を変えろと教えられているようです。
 常に相手に期待し、自分の思い通りにならないと、それもすべて相手のせいにしてしまう。それが人間関係のつまずきの源ではないでしょうか。最初から相手に求めず、自分の中にあるものをしっかりと見つめる、それが大切だということを気づかせてくれる本でした。
 

ブックリスト~落日燃ゆ

2008-08-13 14:01:53 | 読書
 城山三郎著 『落日燃ゆ』 新潮社

 東条英機の終戦前の手記が発見されたというニュースを見ました。
 東京裁判で死刑になった7人のうち、ただ1人の文官だった広田弘毅を描いたのが、この作品です。彼は外相、首相を経験しましたが、一貫して戦争を回避すべく努力しました。例えば、昭和10年、協和外交の一環として中国の在日公使を大使へ昇格させたときは、軍部を出し抜き、米英独など列強にも先んじた英断を下しました。結局、これに反発する陸軍は南京大虐殺へと暴走し、広田の努力は無に帰すわけですが、列強は日本に追随して公使を大使に昇格させ、中国の地位は向上しました。外相の仕事が陸軍を抑えることだった当時、その責務を果たしたばかりか、日本の主権を行使して、他国を利することもできた政治家でした。
 A級戦犯には軍部だけでなく、どうしても文官が必要でした。その文官に、和平に尽力した広田が選ばれたのは、何と皮肉な運命でしょうか。彼は、自分の死によって天皇の戦争責任が回避できると考え、一切の申し開きをせずに処刑されたようです。
 畏敬する故司馬遼太郎氏もおっしゃっていたように、昔の日本人にはすごい人がいたものです。それが、どうして……と思わずにいられませんが、司馬氏がご存命なら、現代日本に対して、どんなことをおっしゃるのでしょうか。

ブックリスト~超バカの壁

2008-08-07 08:17:01 | 読書
『超バカの壁』 養老孟司著 新潮新書

 またしても古い本ですみません。もう説明を要しないベストセラーですが、やはり面白いと唸ってしまいます。
 私が特に気になったのは二カ所。一つは「人間関係」の冒頭で「なぜイライラする人が増えているのか」について書かれた箇所です。養老氏は「脳の特性とは関係なくイライラしている場合は、自分の問題に戻さないで、完全に人のせいにしているのが原因」と切り捨てます。これは生物学的には都市化や過密化が、さらなる要因のようですが、最近は老いも若きも、物事が少しうまくいかないと、すぐにすべてを人のせいにして、自己を正当化するような人が大変多い気がします。私も自戒すべきことです。
 次に、「システムの問題」では、活字離れに触れています。養老氏によれば、日本語とは、脳の働きから言うと、読みが中心の言語だそうです。そして、漢字読みと仮名読みでは別々の脳を使っているので、西欧人の二倍脳を使っていることになるといいます。したがって、日本人の場合は、弁論よりも文字言語に重きを置いており、活字文化が消滅することはないそうです。ネットやメール文化も確かに文字に依拠しており、氏の説を裏付けているようです。
 氏独特の語り口で、すらすら読めてしまう本です。まだの方はぜひどうぞ。

わが狐狸庵先生

2008-07-06 07:13:04 | 読書
 中高生の頃、遠藤周作のぐうたらシリーズなどを耽読していました。遠藤はユーモア作品や対談などでは「狐狸庵」なる号をお使いでした。PHPから出版されている『年々歳々』という本は、稲井勲氏の写真と遠藤の断章で構成されています。おどける狐狸庵先生と、純文学作家遠藤周作の姿が見事に描き出されています。
 遠藤を考えるとき、カトリックとの関わりがポイントになります。日本人としてキリスト教をどのように受け容れるかというのが、彼の終生のテーマだったでしょう。最晩年の『深い河』では、彼の信仰が東洋の信仰と融合した帰着点を見いだすことができます。
 『沈黙』の主題は、殉教者に対して、神がなぜ救いの手をさしのべないのかという疑問です。『年々歳々』にも、踏み絵に触れた文章がありました。多くの人に踏まれたキリストの顔は摩耗し、西欧の宗教画のように美しい威厳のあるものでなく、我々人間と同じ惨めで孤独な表情だったと書いています。そして、その目が「自分を踏みなさい」と語っているように感じたといいます。キリストは、踏む者の足の痛み、心の辛さを誰よりも知っていたというのです。『沈黙』の司祭は、その声に促されて踏み絵を踏み、棄教するわけですが、それは棄教によって信者を救おうとした慈悲の行為だったでしょう。東洋の母性的な神仏の姿は『深い河』にも示されていました。それは罰する神ではなく、許す仏の姿なのかもしれません。
 長崎の西坂町には、二十六聖人殉教碑が建っています。舟越保武氏の彫刻が深い精神性を感じさせる、素晴らしい碑です。かつて、私はその前に立って『沈黙』の世界を思い出しました。
 遠藤はコルベ神父を敬愛し、長崎の旧居やアウシュビッツを訪ねています。地獄の収容所で、一人の男の身代わりを申し出て餓死した神父の行為を、遠藤は「奇跡」と讃えていました。
 遠藤も舟越もコルベ神父も、私には信仰を超越してしまった人々のように感じられてなりません。それは、私がカトリックをよく知らないからでしょうが、人間は信仰によって成長しても、最後にはそれを超越してしまう、あるいは離脱していく運命を持った存在なのではないでしょうか。それとも、むしろ、個人の中に深く浸透し同一化することによって、信仰が見えなくなるというイメージの方が近いのでしょうか。この3人のことを思うと、改めて信仰と人間という問題を考えさせられます。
 
 

ブックリスト~若者はなぜ「きめられない」か

2008-07-03 23:52:56 | 読書
『若者はなぜ「決められない」か』 長山靖生 ちくま新書
 また古い本で恐縮です。私も決断力に乏しい人間なので、この本に興味を持ちました。
 私が感銘を受けたのは2点。いずれも本論とは直接関係のない内容かも知れません。
 一つめは、先日、死刑が執行された宮崎勤死刑囚に関わる話題でした。あの事件は、自動車を利用しなければ成立しない事件でしたが、世論は、部屋から見つかったホラービデオにだけ着目し、ホラーを規制せよとは言いましたが、自動車を規制せよとは言わなかった。同じことを、著者は、事件の類似性から、映画「コレクター」を挙げて説明しています。蝶の収集をしていた男が、やがて女性を監禁しコレクションしていくという物語。男の犯罪を抑止するために有効なのは、蝶の規制か、車の規制かというわけです。つまり、車を規制しろと言わないのは世論の偏向であり、社会全体の利便性や最大公約数的な立場からしか問題をとらえようとしないことの現れだというのです。世論の限界を示唆する意見だと思います。
 二つめは、ゆとり教育について。ゆとり教育は偏差値教育の反省から生まれました。成績だけがすべてではないという考え方は正しいとしても、人間存在を丸ごと教育し、評価しようというのは不遜であり、不可能だと認めることが重要だと、著者は指摘しています。私も同感です。
 この本は、歴史や文学論、社会問題をからめつつフリーターを論じていますが、例や資料が面白く、飽きることなく読むことができました。

ブックリスト~国家の品格

2008-06-21 16:19:11 | 読書
『国家の品格』 著者:藤原正彦 ISBN:4-10-610141-6
 私の趣味の一つは古書店巡りです。私は古本しか読まないので、いきおいブックリストも古い本ばかりで申し訳ありません。この本も駅前の古書店で購入しました。
 後半の「武士道精神の復活を」というあたりからは、ちょっと辛いものがありましたが、第2章「論理だけでは世界が破綻する」というあたりでは、思わず膝を打つような共感や、思っていたことを代弁してもらって溜飲が下がるような感激がありました。そこでは、小学生に英語教育をすることへの疑問や、重要なことは理屈抜きで押しつける会津藩の教育など、教育が主な問題になっています。「最悪なのは情緒力がなくて論理的な人」という指摘では、国民不在の議論を続ける我が国の政治家の皆様を思い出さずにはいられませんでした。
 無理に武士道まで行かなくても・・・・・・とは感じますが、さすがベストセラーです。

ブックリスト~うつ病

2008-06-21 16:05:43 | 読書
『うつ病』 著者:岩波明 ISBN:978-4-480-06394-6

 家族がうつ病という診断を受けたので、新書ばかり、うつ病について数冊読みましたが、これが最高でした。
 第6章「自殺者の国」は一つの文化論になっていると思います。成果主義導入や終身雇用制の崩壊など、日本社会は大きく変質し、グローバリゼーションという語が実感されますが、むやみにアメリカナイズすることが本当によいことなのでしょうか。著者は『超・格差社会アメリカの真実』という本から次のような引用をしています。「新しいアイデアには周囲が注目し、成功すれば賞賛するし、失敗しても笑ってすませる風土もある」 これは、前例主義が浸透し、「出る杭は打たれる」日本とは全く異なる精神風土です。そうした伝統や国民性を無視して、いたずらにアメリカに追随する政治家の皆さんは、アメリカをまだ理想の国だと考えているのでしょうか。裁判員制度なども日本人に馴染むものなのかどうか疑問です。
 この本は、死に至る病、うつ病を知るだけでなく、この国の今後を考えるヒントにもなると思いました。