小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る要衝に位置し、高原郷からの敵の侵入を睨んでいます。
小島氏は、三木氏の勢力が強くなるとそれに付き従い、天正10年(1582)の八日町合戦の直後、当主の小島時光は江馬氏の本拠・高原諏訪城に攻め入り落城させます。その折に手に入れた大般若経が、小島城の麓にある寿楽寺(古川町太江)に収められています。
小島城には、石垣を使用した大規模な枡形虎口があり、算木積みの石垣がその背面に構築されています。これは「土造り」を基本とする旧来の飛騨の山城には見られないものです。そのため小島城も古川城と同じく金森氏が改修した可能性があります。小島氏は金森氏の飛騨侵攻の際に滅ぼされたと伝えられていますが、その後に入った金森氏が統一政権の威光を示すために臨時的に改修を加え利用した可能性が考えられます。飛騨市教育委員会・飛騨の山城マップ姉小路編より
場所は岐阜県飛騨市古川町沼町
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国道41号線(国道472号線バイパス)中野交差点を左折、宮川に架かる「鮎之橋」を渡り、JR高山本線の踏切から250m程先にあるY字路を県道75号線方向に右折。
1.2Kmほど行くと「かあちゃんの店」が右手に見えます。
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その交差点には「史跡小島城3Km]の案内看板が建っていますので案内通りに右折。
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「奥飛騨田中牧場」の牛舎を通り
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田んぼの中を山に向かって走る農道があります
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突当りまで行くと害獣防止用の柵に行き当たります。
例によって自分で開閉し柵の中に入ったら戸締りを確認して、林道を山に向かって登ります。
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途中一か所分岐があります。「右小島城」
カーブミラーの所に案内石碑が建っていますので見おとさないように。
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林道の紅葉
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程なくして城址駐車場に到着です。
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城址遠景
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ここで当日の行程を縄張り図で示します。
飛騨市教育委員会、、、飛騨の山城マップ姉小路編より(北が上になるよう変換してあります。ブログ管理者加筆)
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ヤマップの行動履歴と照らし合わせてみます。
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駐車場の看板がある辺りの真下におおきな堀切があります。
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切岸を滑り落ちるように下へ降りてみました。
尾根から斜面に沿って深く長く彫り込まれています。
東側堀切断面
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同西側断面
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駐車場から主郭の方に向けて進んでいくと小山のような櫓台が見えます。
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櫓台から駐車場方向
櫓台下郭「出丸」と右手には南尾根からの大手道
内枡形虎口がかろうじて見えますかね?(>_<)
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櫓台
主郭方向より
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櫓台頂上
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櫓台からの眺望
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櫓台から主郭方向
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主郭には一段高くなった台地があります。現在は休憩所が建っており中には現地説明板が整備されています。
その台地の基礎部分に残る石積み。
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主郭からの眺望
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主郭下の段郭「二の丸」
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段郭より主郭を見上げる
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石垣が残る段郭「二の丸」先端
写真左が虎口で「内枡形虎口」を形成している。
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段郭「二の丸」先端の石垣
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同
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同角石 算木積み
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石垣が残る段郭から西側の尾根は急な崖となっておりロープが設置されています。
その斜面には崩れた石垣の一部と思われる石材が多数落下していました。
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急な坂を降りると一転して緩やかな尾根道となる。
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堀切
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その先に不自然は高まり(櫓台?)と傾斜した通路、
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その先に平坦地「三の丸」が広がる。
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削平地「三の丸」から櫓台?方向
「小島古城」の石碑
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西尾根先端の大堀切
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同断面
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同北側
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この先は麓の杉崎口(登城口)に向けて遊歩道が設けられていました。
東西に延びる尾根上に連続的に築かれた曲輪。四方への広がりはないものの高低差を活かした城郭で麓の集落や街道からも目立ちます。
豊臣秀吉の命で飛騨統一に乗り込んだ金森長近は、近世城郭・石垣で威光を見せつけようとしたのかもしれません。
これは飛騨地方で石垣が残る城が、金森氏によるものであることを示しているようです。
「神岡城(東町城)」→こちら
「増島城」→こちら
「松倉城」→こちら
「高山城」→こちら
※参考、、、飛騨の山城マップ姉小路編、現地説明板他
【小島城】
《こじまじょう》
名称(別名);
所在地;岐阜県飛騨市古川町沼町
城地種類;山城
標高/比高;620m/120m
築城年代;南北朝時代?
廃城年代;
築城者;不明
主な改修者;姉小路小島氏、金森氏
主な城主;姉小路小島氏、金森氏
文化財区分;岐阜県指定史跡
主な遺構;石垣、土塁、郭、堀、櫓台(天守台)、虎口
近年の主な復元等;
地図;